1-56 出発前夜の喧騒
ソラマメ亭。自室に戻ったクロガネを迎えたのは、やかましい声だった。
「く、クロガネ君が女を連れ込んだ!!」
「ええい! 人聞きの悪いことを叫ぶな!!」
いきなり叫ぶミナに、クロガネは思わず顔を赤くした。
そんなクロガネの背後には、どこか居心地悪そうなナリィの姿があった。
……陽風の宿屋の前で、クロガネはナリィをパーティーに誘った。そこまではいい。
そこから先、当然ながらパーティーの話になるわけだが、実際のところクロガネは正式にパーティーを組んだことはない。だが強いて言うならばマナとミナが実質的にパーティーを組んでいるようなものである。……と、クロガネは思っていたので、そう言った。ここまでもいい。
問題だったのは、マナとミナの両名と同棲しているということについてだった。
「え。……同棲、してるの………………?」そう言ったナリィの表情は、驚愕が四割、困惑が三割、哀感が二割、そして羨望が一割。そんな感じだった。
それから数秒間の沈黙の後、ナリィは「ちょっと、待っててください」と言い残して陽風の宿屋へと入っていった。
待つこと十数分。
陽風の宿屋から出てきたナリィの両手には、沢山の荷物が抱えられていた。
──今に至る。
クロガネとナリィは自室に入ると、そのままマナとミナに促されるままテーブルに着いた。
フィアに関しては自分の分のチーズケーキとタルトを完食したのち、すやすやと眠っているという。育ち盛りか。
そうして四人で向かい合うこと、約五分ほど。最初に口を開いたのはマナだった。
「クロガネ君も油断ならないね」マナはニヤニヤしながらクロガネとナリィを交互に見る。「私たちというものがありながら」
「勝手に外堀埋めてから俺の部屋に居座ってる人たちよりはマシだと思うけど」
マナは椅子ごと勢いよく後ろに倒れた。
「そんなこと言ってぇ」とミナは姉に続いた。「追い出そうと思えば追い出せただろうに、それをしなかったのはなんでかな〰〰?」
「追い出されたいんだ?」
ミナは椅子ごと勢いよく後ろに倒れた。
「なんなんですか、これ……」
「比較的、平常運転……かな」
「そ、そうですか……」
ややテンションは高めな気がするが、それを変に突いて調子づくのも面倒だった。
極力平静を保ちながらいると、マナは「ふざけるのもこれぐらいにして」と言って話を切り替えた。
「要は、ナリィちゃんとパーティーを組みたい、と」
「まぁ、そうだね」
「私的にはどちらでも構わない。おけおけ」
「軽いね?」
「大方、シユウ君が冒険者引退を考えてるとか、そんなとこでしょ」
図星だ。クロガネとナリィの表情が動いたのをマナは見逃さなかった。
こうした観察眼は、やはり鋭い。
「だよね。となるなら必然的に、ね。折角なら面識のある人と組むのが手っ取り早いし」
ミナも同意するように頷く。
「お姉ちゃんがそう言うなら私もおけ~。純粋な魔法士がいて困ることはないし。クロガネ君はまぁ、かなり特殊だし」
実際そうだ。
クロガネも魔法は使えるが、使用するのはショットを中心とした魔法が主で、純属性魔法はまだまだ未熟だ。
純属性魔法は何度か使用しているものの、正直なところヤタガラスから受け取った知識に頼っている部分が大きい。それで何とかなっているのも、クロガネの魔力親和性によるもので、まさに物量で押し切っているようなものだ。
その点、魔法士であるナリィの知識を借りることが出来るのは大きなメリットだ。いかんせんヤタガラスとの特訓は忙しなく、本当に覚えるだけ覚えてあとはクロガネの独学と言ってもいい。
「……そう言ってもらえて助かるよ」
とクロガネは素直に感謝した。そうして優しく微笑むと、マナとミナもまた静かに微笑んだ。
「それはともかく、なんで起き上がらないのかな、お二人は」
「「タイミング?」」
「……あ、そうですか……」
そんな真面目な話をしていながら、マナとミナは椅子ごと後ろに倒れたままだった。
ナリィの困惑した表情を見て、そうだ、それが正常な反応なのだと思った。同時に、クロガネはこのよく分からない感覚に毒されてしまったのだと、少しだけ後悔した。
「……だそうなので」とクロガネはナリィに向かって言った。「これから、よろしくね」
「あ、はい! よ、よろしくお願いいたします……」
と、そこでミナはナリィを真っ直ぐに見据えながら、「それはそれとして」と口を挟む。「急にこの部屋に来たのはどうして?」
返答は──ない。
おや? とクロガネはナリィに視線を向けると、当の本人は俯いて微動だにしていなかった。
「もし? もしかして? もしもしもしかして?」
急に何かに火がついたのか、ミナはぬるっと立ち上がると足音を立てずにナリィの背後へと回り込んだ。
速い。流石はS級か。完全にナリィの意識の外側へと回り込んだであろうその動きは、クロガネからも見失いそうなほどだ。ナリィに至っては本当に音もなく背後に回り込まれた感覚なのだろう。
そうしてミナはナリィの耳元に口を寄せると、何かを囁いたようだ。
クロガネには聞き取ることが出来なかったが、ナリィはその言葉を聞いた瞬間に顔を真っ赤に染めた。耳まで真っ赤だ。
何が何やら? とクロガネは首を傾げるほかなかった。
すると、少し騒がしくしすぎたのかフィアがのそのそと寝室から顔を出した。眠そうに目を擦りながら、クッションを抱えている。
ぎょっと目を丸くしてフィアとクロガネを交互に見るナリィ。フィアのことは説明したが、実際に見るのは初めてだ。本当にこうしてみると、竜の子供には到底見えず、ただの子供にしか見えない。
少ししてから、ハッとそれに気付いた様子だ。
そうしてナリィが話しかけるよりも先に、フィアはカッと目を見開いてナリィを見た。
『クロガネさんが女の人連れ込んでる!!』
クロガネは椅子ごと勢いよく後ろに倒れた。
「……フィア。そんな言葉誰に聞いたの」
『え?』
クロガネは見逃さなかった。フィアの視線は間違いなくミナに向けられていたこと。
そして当のミナは、全力の身振り手振りでマナの方を指さしていたこと。
「フィア。正直に言った方がいいぞ。いいことがあるかもしれない」
『い、いいこと……?』
「例えば、そうだね。俺の分のタルトを食べていい、とか」
『はい。ミナさんから教わりました』
即答だった。
「わあああああああああああ!! フィアちゃんんんんんんんんん!!」
挨拶し損ねて、周囲を見回すナリィ。
頭を抱えて絶叫するミナ。
笑顔のフィア。
呆れた表情のクロガネ。
そして、いまだに椅子ごと後ろに倒れたまま微動だにしないマナ。
「……あ、あの……えっと…………」
混沌とした空気の中、ナリィは思わず天を仰いだ。
もしかすると、選択を間違えてしまったのかもしれない。そんな、悲痛な表情だった。
そんなこんなで、夜。
マナとミナに甘やかされていたらしいフィアは、もう慣れた様子でナリィに取り入っていた。
フィアは自身の可愛さに気が付いているのか、或いは無意識なのかは分からないが、ナリィに対してもその可愛さを存分に発揮している。
結果を言えば、ナリィもすっかりフィアにメロメロだった。
フィアはナリィの膝の上に乗って、タルトを頬張っている。すでにクロガネの分は完食し、甘やかされるままナリィの分を分けてもらいながら食べている。その隣にはミナもべったりだ。
タルトは多めに買ってきておいて正解だった。
そんな光景を、クロガネは少し離れた位置から見ていた。
「……誰に見惚れてるの?」と言いながら隣に座ったのは、マナだ。
「どしたの急に」
視線を向ければ、マナはどことなくぶすくれたような表情だった。
「面白い返答期待したんだけどなぁ」
「あんまり期待しないでくれ……」
「それはさておき。……ナリィちゃん、赤竜のところに行くのには誘わないんだ?」
「……うん。何となくね」
クロガネの言う「何となく」のことを、だがマナはその言葉以上に理解してくれたようだった。
あまり言いたくはないが、もし仮に赤竜との関係が悪化し戦闘へと発展した場合、その時クロガネたちに求められるのは恐らくパーティーとしての強さではなく、個々で生き延びる力だろう。
そしてそれをナリィが持っているかどうかは、直接的な戦闘技術があるかどうかに大きく依存する。
すなわち冒険者としての単体等級。一個人による依頼達成能力。──ナリィは、E級だ。
直接戦ったからこそ分かる。
赤竜の強さは、E級では到底太刀打ちできないこと。そして、赤竜の攻撃から誰かを守ろうとした時とは、すなわち死と同義だ。
異常なまでの威力を誇る赤竜の攻撃を、正面から受けて耐えられる者はいないのではないか。そう思わせるだけの力が赤竜にはある。
「……だよね」
マナは短く返すだけだったが、クロガネにはそれがありがたかった。この話題は、話していてもあまり楽しいものではない。ましてや本人が同じ部屋にいるのだからなおさら。
それに気付いてか、マナはニコッと笑って言った。
「じゃ。明日は忙しいだろうし、そろそろ休みましょうね」
「うん、そうだね」




