1-55 異なる選択肢
街を歩く。
パヌルとの戦闘からは既に二週間以上が経過しており、街の人々はすっかり日常を取り戻していた。
陽風の宿屋からシユウの住む宿への最短距離は、パヌルとの戦闘があった地区を横切ることになる。クロガネは遠回りすることも提案したが、ナリィは別にいいよ、と首を振った。
そうして、戦闘があった地区に足を踏み入れる。
被害のあった範囲自体は狭いものの、建物の損傷は大きい。それまでの街の景観から一変して、まるで戦場にでも迷い込んだかのように錯覚する。
「こんなに、被害があったんですね……」
思わず足を止めてそう呟くナリィに、クロガネはそうだね、と返した。
「あの時は、S級冒険者が揃っていたからね。マナとミナ、ダリルにアレク。そしてエフレイン。それでもパヌルは互角以上に戦っていたらしいし、本当に化け物だよ。寧ろこの程度の被害に収まったという方が正確かも」
その戦闘に、かつてシユウ、ナリィと共にパーティーを組んでいたバルトが参加していたことは、敢えて言わなかった。
ナリィの雰囲気から察するに、バルトはこのことを明かしてはいないのだろう。であるならば、わざわざクロガネがいう必要もない。
「…………」ナリィは何も言わず、だがその手はきつく握りしめられていた。「……もっと、強くならないと」
気を張ることは悪いことではないのだろうが、張りすぎるのも良くない。
再び歩き出すナリィに、クロガネは絶えず言葉を投げかけた。ただの雑談。美味しい食事や珍しい露店の話。武器屋の話。行きつけの店や、動物の話。
話が弾むほどに時間はあっという間に過ぎ去り、気がつけばシユウの住む宿の近くまで来ていた。
「……ご、豪邸……?」
そこは、宿というよりかは大きな屋敷だった。
入り口には巨大な鉄製の門扉があり、庭があり、そして屋敷がある。典型的な貴族の屋敷といった様子だ。
クロガネは思わず口をあんぐりと開けて眺める。
「デッカ……」
「個人冒険者としてB級以上だと認められると、こうしていい宿を紹介してもらえるの。クロガネさんは違うんですか?」
「うん……俺は、こういうのはちょっと落ち着かないから、べつにいいかも……」
聞けば、この豪邸は見た目通りかつては貴族の屋敷ではあったらしい。だが住んでいた貴族が没落し、夜逃げ。なんやかんやあって冒険者協会の所有物となり、冒険者の宿として使われているのだという。
その“なんやかんや”が気にならなくもないが、あまり綺麗ではない話が出てきそうであったため、クロガネは敢えて聞かなかった。
門扉の手前まで行くと、ナリィは慣れた手つきで門扉に取り付けられた小さな鈴を鳴らした。
心地よい音色。それから間もなく、門扉の向こうから人の気配が近づいてくる。
「どういったご用件ですか?」といって姿を現したのは、若い女性。特筆すべきは……メイド服。「って、ナリィさんでしたか。シユウさんですね?」
「はい、よろしくお願いします」
「どうぞ、お入りください」
メイドが手を振ると、門扉がゆっくりと開かれた。どこにも触れていない辺り、魔法で開けているのだろう。
まじまじと門扉と眺めていると、ナリィは「そこ、門扉の足元です」と指さした。その指の先はクロガネの足元を向いている。半歩ほど下がると、石畳の中に小さな石が埋め込まれている。
なるほどと思いながら見ていると、メイドに「こちらへどうぞ」と促されてしまった。
広い庭園を通り抜け、屋敷の前に立つ。
口には出さないが、ソラマメ亭や陽風の宿屋とは比較にならない装飾の扉。落ち着かない。クロガネにはやはりソラマメ亭でのんびりしている方が性に合っていると感じた。
ぎぎ、と扉を開け、中に進む。大理石の床、赤い絨毯、そして豪華なシャンデリア。これでも用途的にはただの玄関ホールなのだから圧倒される。
「シユウさんは、今はお部屋におります。お呼びしますので、こちらの客間でお待ちください」
客間という名の、なんだろうか。とにかく広くて本当に落ち着かない部屋だ。
ナリィは慣れた様子だが、対してクロガネは落ち着かない様子で、ソファに腰を下ろす。
「ふふ、本当に落ち着かないんですね」とナリィは笑った。
「俺はもっとこじんまりしてるぐらいでいいよ……」
案内してくれた人とは別のメイドが現れ、紅茶を注いで去っていく。また別のメイドが、小さなお菓子を持ってきては去っていく。
ずっと落ち着かず、口の渇きをごまかすために飲んだ紅茶の味を覚えてはいない。
お菓子は甘かったのだけは覚えている。が、それは何も覚えていないのと変わらない。
ずっとナリィはくすくすと笑っていた。
ナリィが笑っていてくれるなら、それで十分な気がした。
そうしてそわそわしながら待つことおよそ二十分弱。
ようやくシユウは姿を現した。
「……ごめん、待たせちゃって。って、クロガネ君も来ていたんだ」
「ども」
久々に見たシユウの顔は、ナリィと似たり寄ったりで酷いものだった。だが違いがあるとすれば、今にも破裂しそうだったナリィとは打って変わって少しばかり心に余裕があるように見えるところだろうか。
その理由は、クロガネが聞くよりも先にシユウが口にした。
「さっきまでバルトが来てたんだ。クロガネ君が全快したことも聞いてはいたけど……直接来てもらって、申し訳ない。それに、ナリィまで」
なるほどとクロガネは思った。同性であるバルトであれば確かにシユウも気を遣わずに話せるのだろう。バルトはそもそもの性格面でも接しやすい柔和ないところがあり、それはシユウの心の蟠りを解くのに一役買ったのかもしれない。
「別に。勝手に来たかっただけだからそんなに気にしないでよ」
「……うん。ありがとう。クロガネ君」シユウは視線を動かし、ナリィに向き直った。「ナリィも、ありがとう。辛いだろうに、来てくれて」
「お互い様、でしょ?」
ふっと笑うナリィに、シユウは安心したように微笑んだ。
「そうだね。お互い様だね」
シユウは、明らかにナリィの雰囲気が変わっていることに気が付いていた。それは、単に塞ぎ込んでいたそれまでから立ち直った、ということだけではなく、もっと別のこと。
かつて好意を向けられていた側であるシユウだからこそ、余計に感じられること。
ナリィの視線の先に、すでにシユウはいない。
その瞳に映されているのは、シユウではなく──クロガネだ。
シユウは聡い。それ故に、恐らくナリィ自身もまだ気が付いていないであろうその感情による僅かな動きの変化に気が付いていた。
少し寂しくもあり、少し嬉しくもある。
だが、シユウはそれを口にすることはない。
見守るべきだという素直な想い。
……と、単純に見ていて面白い、という少し自分勝手な想いによって。
──それからしばらく、三人は談笑した。
とりとめのない話。
一時間ほど経過し、話題も尽きかけた頃になって、シユウは深呼吸と共に口を開いた。
「……まだ、誰にも言っていないんだけど」
「うん?」
「冒険者、辞めようと思っているんだ」
クロガネとナリィの息が止まったのは、ほぼ同時だった。
あまりに突然の言葉に思考が止まる。特に驚いているのはナリィだ。シユウがそんなことを言うとは思いもしなかったのだろう。口をパクパクと動かして、けれど言葉は一向に出てくる気配がない。
そんなナリィの気持ちを代弁するように、クロガネが問いかける。
「……そんな、どうして」
「…………ここ最近、ずっと考えていたんだ。僕に出来ることとか。冒険者としての限界とか」
背もたれに寄りかかり、天井を見上げながらシユウは言葉を続ける。
「赤竜との戦いをこの目で見てから、痛感したよ。目指すべき場所の高さと、そこに向かうにはあまりにも弱い自分の心について。赤竜と戦えるようになる未来が、全く想像つかなかったんだ」
「…………」
「素直に、これ以上は無理かなって思ったし、そう思ったら随分としっくり来た。これが正解なのかな、って」
寂しそうに笑うシユウに、クロガネもまた何も言えなかった。
余程深刻そうな表情をしていたのだろう、シユウは真っ直ぐに二人を見て、諭すように、極めて優しく言葉を続けた。
「とはいえ、元冒険者としてできることはいくらでもある。後進の育成とか、ちょっとした依頼をこなすとか……だからさ、そんな深刻そうな顔をしないでよ」
けれど、それでも一向にナリィの表情は晴れず。
そうした微妙な雰囲気のまま、久々の再会は終わりを迎えた。
──陽風の宿屋への帰路。
ナリィの口数は目に見えて少なかった。
当然だ。これでシユウと共にパーティーを再建するという未来は閉ざされたといっても過言ではない。
結果として残ったのはナリィ、そしてバルトの二名。
魔法士と盾士という単独では行動しづらい職業である二人は、実質的に他のパーティーメンバーを募集するか、もしくは他のパーティーに参加するしかない。
目に見えて落ち込んだ様子のナリィに対して、クロガネは何も言えなかった。
いや、正確には、言うべきか迷っていたという方が的確だろうか。
悩みに悩み、遂に陽風の宿屋の前まで来てしまった。
「今日は、ありがとうございます」とお辞儀するナリィに、クロガネは意を決して話した。「……もし、よかったら、だけど」
「……?」
「一緒にパーティーを組まない? と言っても、赤竜のところに行って戻ってきたらになると思うけど……」
少しだけ、驚いた表情。
それから間もなく、ナリィはふっと笑った。
「……それも、いいかもしれませんね」




