1-47 フィア
幸いというか、なんというか。取り返しのつかない騒ぎになる前に収拾ついたのはよかったのだろう。
クロガネは医務室に一人置き去りにされ、のんびりと天井を眺めていた。
アマテラスは一瞬だけ現れて、『驚いた? だよね。だと思った』と言い残して即座に消えた。言い逃げされた気分だった。
エフレインは業務に戻り、マナとミナはフィアに対して服を着せている、はずだ。
それだけのはずなのだが、隣の部屋から戦闘しているかのような音が聞こえているのはなんなのだろうか。
などと思っているうちに、ズシン、と部屋が一際大きく揺れた。
「何事?」
とクロガネが視線を向けると、非常に何か言いたげな表情のフィアと、戦闘後のような姿のミナが部屋の扉から入ってきた。
『やっぱり、うう……なんかこれ、ヤダ……動きづらい』
「ダメですって……服着ないのはホントにダメです……クロガネさんは服着てる方が褒めてくれますから」
『ほんと?』
フィアは真っ直ぐにクロガネを見ていた。
その後ろから、ミナは眼光鋭くクロガネを睨……見つめていた。
服着ている方が可愛いよと言え。服着るのは偉いぞと言え。言え。言わなかったらどうなるか分かるか? 分かるな? 言え。…………言え。
という声が聞こえる。というか、見える。
例え冗談でも、そんなことないよとか言った時には本当に殺しに来る気がする。
そう思わせるだけの気迫をミナは確かに纏っている。
「ホントだよ。似合ってるよ、白のワンピース。可愛い」
『……そう? …………分かった。着る』
褒められるのは満更でもないという気持ちの中に、若干の不服が残りつつ、といったところの表情ではあるが、一先ずは大丈夫だろう。
俯きがちにワンピースの裾を弄る姿は、見た目相応といった仕草だ。
「あれ? ところでマナさんは?」
「ご飯を買いに」
「あ、なるほど?」
言い換えれば、ミナに着替えを押し付けて逃げた、とも言える。
これはあまり追及しないのが吉と見た。
着替えを終えたフィアは、少しの間クロガネとミナの顔を交互に見たのち、どこか遠慮がちにクロガネの方へと駆け寄った。
『えっと』
「ん」クロガネはベッドの縁を手で軽く叩いた。包帯ぐるぐる巻きだが。「ここに座る?」
『はい!』
そうしてフィアはベッドに腰掛けると、すぐにクロガネを真っ直ぐに見つめて、ニコッと笑った。
こうして見ていると、赤竜の子どもなのだということを忘れてしまいそうだ。
「……足は閉じて座ろうね」
『そうなのですか? その方がかわいい?』
「そうなのです。その方が可愛いのです」
オウム返しになってしまったが、まぁそれは一先ず置いておこう。
フィアは“可愛い”という単語が判断基準になっている雰囲気がある。全てそれで決定してしまうのもあまり良くはない気がするが、素直に話を聞いてくれることは悪いことではない。
駄目なことは駄目。そう伝えればそれもまた素直に聞いてくれそうではある。
『そしたら、お話があります』
「はい」
『ママのところまで一緒に来てくれませんか?』
「うん。……うん?」
ママ。……ママ? マザー? お母さま?
…………赤竜と面談しろってことですか!!!!????
瞬間、蘇る赤竜との激闘の記憶。
最期に撃ち込んだ氷雪一閃。根に持たれていたらどうしよう。そんな人間臭い不安が突如クロガネの心の内に充満した。
意思疎通の出来ないモンスター相手であればまだしも、赫灼剣という前例と、目の前には人化した赤竜の子どもがいる。意思疎通が可能であることは想像に難くない。
「え、な、何故……」
『さぁ。“誤解を解かせてほしい”と、ママは言っていました』
「誤解……」
赤竜の誤解。パッと頭に浮かぶのは、赤竜の行動原理だろうか。赤竜がカルファレステ街を執拗に狙っていた理由が、冒険者協会の地下で眠っていた赤竜の卵によるものだということは分かった。
だが、なぜ冒険者協会の地下に赤竜の卵があったのか。誰が、いつから。そう言ったことはまだクロガネの理解の外側にある。
『……だめ、ですか?』
「いや? 全然駄目じゃない。うん。一緒に行くよ。ママのところまで」
『そうですか!? やったぁ!』
フィアは嬉しそうに飛び跳ねた。対して、ミナはぎょっとした顔でクロガネを見ている。
それもそうだ。赤竜のところに向かうなんて、普通に考えれば自殺志願者だ。それに、ミナは赫灼剣の声を知らない。当然の反応ではある。
「大丈夫なの? クロガネ君……」
「うん。卵……フィアを直接返した時とか顔合わせてるし」
「……まぁ、そう言うなら……、そしたら私とお姉ちゃんも一緒に」
『あ』とフィアは動きを止め、顔をミナに向けた。『……ママ、連れてくるのはクロガネだけだって、言ってたような』
「え」
『ごめんなさい、ミナ』
「えええ……」
不安や心配、少しの恐怖。それらが入り混じった感情が、ミナの表情に浮かんでいる。
総じて、明るい感情は見当たらない。
「ま、すぐに向かう訳でもないし、そんなに心配しないでよ」
「それは、そうかもだけど」
と、そこでフィアはきょとんとした顔をして、首を傾げた。
『……あの、クロガネさん。ママのところに行くのは、すぐじゃないんですか?』
「え? あ、うん。見てのとおり、怪我してて」
『……?』
ん? とフィアは首を傾げた。クロガネも同じく首を傾げた。
『怪我、してるんですか? どこですか?』
十数秒の沈黙の後、ハッとクロガネは違和感の意味に気が付いた。
フィアにとっての怪我というものの認識が、クロガネの、ひいては人間のそれと違うのではないかと。
すなわちクロガネの身体の包帯は、フィアの目にはただの装飾にしか見えていないのではないか、ということだ。
「えっと、腕のこれはね。怪我の治療のために巻いてる包帯なんだ」
『ほうたい……』
「正直、身体も本調子じゃないし、そもそもまだ歩けないんだ。ごめんね」
『そ、そうだったんですね……』そう言ってフィアは、クロガネの腕に触れた。『……でも、なんか、痛そうには見えないです』
「それはね」と口を開いたのはミナだった。「右手の包帯に描かれた魔法陣は、鎮痛、回復促進の効果のためにあるの」
『ちんつう……かいふくそくしん……』
「あーと、簡単に言うと、痛くないおまじないと、早く治るおまじないかな」
『おまじない……なるほど! 物知りなんですね! ミナ!』
誇らしげに胸を張るミナ。素直な瞳に見つめられ、更には褒められて、それが嬉しくない訳がない。
思い返せば、ミナには治癒魔法の心得があると言っていた。タングリア旧都跡で、ライカンスロープと赤竜との戦闘で負傷した仲間を治療していたのを覚えている。
『うーん、そしたら、クロガネが元気になるまでどれくらいですか?』
「十日以上昏睡状態だったからなぁ……」
え? そんなに寝てたの? とクロガネは言いたくなった。それでは身体の調子が良いわけがない。
「最短でも、一か月」
『一か月……!』フィアは目を見開いた。『……って、何日ですか?』
思わずミナはずっこけそうになっていた。分からなくもない。クロガネも同じだった。
「えっとね、三十日ぐらい」
『……なるほど』と溢すフィアの表情は少し曇っていた。
「だめかな?」
『いえ……その……』俯きながら、フィアは言葉を探しているようだった。そして、少しの間を置いてから、顔を上げた。『ママ、どれぐらい待っててくれるのか、言ってた気がするんですけど……』
「ですけど……?」
『忘れました……』
思ったより笑い事じゃなさそうな内容が出てきてしまった。
これはあれだろうか。
のんびりしすぎると、赤竜の機嫌を損ねてしまうのだろうか。
急に不安になってきた。
そんなクロガネの心境を察したのか、フィアも困った表情でクロガネを見上げた。
『ご、ごめんなさい……』
「え、あ、いや。まぁ……そんなときもあるさ」クロガネはミナに視線を向けた。「ちなみに、戦闘を行わない前提で日常生活を送れる程度に回復出来る最短だと、どれくらい?」
ミナはぎょっとしてクロガネを見た。
クロガネが思うに、ミナは間違いなく大袈裟に言っている。それもそうだ。赤竜と顔を合わせるということは、言い換えればいつでも戦闘が起こり得るということ。そう考えるのも仕方がない。
となれば、戦闘が出来る程度まで回復する期間を言うのは至極真っ当。責めるべきではない。
だがクロガネには、ある考えがあった。
「……一週間くらい、かな」
「なるほど」
思い返せば過去二回、この医務室のベッドで目を覚ました時もクロガネはそう時間もかからず動けるまでに回復していた。
今回は怪我や昏睡期間がそれまでの比ではないが、だとしても戦闘を行わない前提であれば一か月は長いという感覚があった。……治癒魔法を過信しすぎるのも考えものだが。
「で、でも、日常生活に支障はないとしても……」
「不安はある、だよね?」
「うん……」
「なので、それを理由にマナとミナ、二人を同行させる感じでどうかな」
簡単な話だ。相手を待たせて機嫌を損ねるわけにはいかない。だからクロガネは、まだ全快ではなかったが急いで向かった……ということにすればいい。
代わりに、向かう道中の護衛役としてマナとミナを同行させる。
それがクロガネの提案だった。
この場に赤竜がいれば、クロガネの提案は即座に却下されるかもしれない。だが今この場にいるのは赤竜ではなくフィアだ。
フィアはクロガネの提案に対して、少し考え込んでから口を開いた。
『……大丈夫、だと思います! もしママに何か言われたら、私も言い返します!』
「お。心強い。そしたら、そんな感じでいこうか」
『はい!』
そうして話がまとまったのと、本当に同時だった。
「お待たせぇ」と、聞き覚えのある声が医務室の扉から聞こえた。「マナが美味しいごはん買ってき……」
そこで、マナは言葉を止めた。
この場の雰囲気から、明らかに何か真剣な話をしていたということに気が付いたのだろう。
「あ〰〰。もしかして、私、場違い?」
うんうん、とミナは頷いた。




