1-44 倒すべき者ー②
──クロガネ。ここに居るパヌルは全て本体から分かれた分体だ。が、案ずるな。こちらの攻撃は本体まで届く。
「……凄いね。でも、どうしてそんな強力な力が?」
──言ったはずだ。パヌルを滅するため。その為なら、今より先を生き延びる必要はない……と。
「ああ……条件付け、か」
クロガネにも聞き馴染みのある単語だった。おおかた、パヌルを倒した時点で死んでもいいとか、そんなところだろうか。
「取り敢えず、誰でもいいからパヌル顔の奴はぶっ飛ばせばいいわけだ」
──そうだ。
「分かりやすくて結構」
クロガネはその場で三度ほど飛び跳ね、具合を確認し、四度目にて高く跳躍。地上十メートルの地点から、翼を勢いよく羽ばたかせる。
途端、クロガネは高速で街中を滑空した。一般的な男性が両手を広げるよりも大きな翼は、人間一人を飛ばすにもあまりに過剰だ。一キロ近い距離をものの数秒で移動すると、そのまま一人目のパヌルにドロップキックをぶちかます。
突然の術者への貫通攻撃に狼狽えていたパヌルは被弾。勢いよく吹き飛び、建物に突っ込むかに見えた。「……!?」だが、空中を亜音速で駆け抜けるクロガネは余裕で追いつき、左の拳がパヌルの顔面に打ち込まれる。
地面に叩きつけられるパヌルに対し、反動で空中に浮かび上がったクロガネは、すかさず追撃。
赫灼剣を逆手に構え、一切の容赦無しにパヌルの顔面へと突き刺す。
目を見開いたパヌルに赫灼剣が触れた瞬間、勢いよくパヌルの顔面から発火し、瞬く間に全身に燃え広がった。
が。
「……なんだ?」
何も反応がない。視線を動かせば、複数体のパヌルは右手を失い胸を抑えているものの、燃えているわけではない。
──分体を指揮下から外したようだ。
「どうすれば?」
──今までと何も変わらない。ただ、本体に攻撃が当たりづらくなっただけだ。
そうしてクロガネは、ゆっくりとパヌルの方に身体を向ける。
……と、そこでパヌルの様子がおかしいことに気が付いた。身体からは黒い瘴気が湧き上がり、苦しみにもがく様な素振り。
あの姿をクロガネは目にしている。マナとミナ。二人の姿に酷似していた。
──不味い。あちらも死に物狂いなようだ。
湧き上がる瘴気が益々増えていく。直感的に危機を感じ取ったクロガネは即座に身体を傾け、駆ける体勢を取ったが、それを止めたのは赫灼剣の声だった。
──待て。
赫灼剣の声から間もなく、六人のパヌルが突然ナイフを首に突き立て、自害した。ぎょっと、クロガネは思わず身を引いた。
「なんだ、あれ」竜人化によって研ぎ澄まされた感覚器官が、パヌルからの殺意をしっかり感じ取る。「……死に物狂い、か」
咄嗟にクロガネは視線を動かす。斜め左前方、約五十メートルほどの位置に、マナやミナ。エフレインたちがいる。
嫌な予感。
こういうのは大概、当たる。
マナたちのところへ向かってクロガネが駆け出したのと、パヌルの纏う瘴気が一層濃くなったのはほぼ同時だった。
──命を懸けた【狂化】! 刺し違えるつもりか!
「マジか……!?」
崩れ落ちる六人のパヌル。その瘴気が丸ごと一人に集約されている。
ゾッと背筋を駆け抜ける悪寒。この感覚には覚えがある。
あの時。夢の中で感じた恐怖。
竜人化を経てもなお感じる威圧感。
クロガネはぎり、と歯を食いしばった。刺し違えるつもりだろうが何だろうが、関係ない。
もう、人が傷つくのを見ているだけは、嫌だ。
地面を踏み砕きながら疾走するクロガネ。
そしてそれよりも数倍は速く移動するパヌル。
二人の衝突点は、マナたちの僅か数メートル先。クロガネは思わず眉をひそめた。速すぎる。だが惜しむらくは、僅か数瞬であれ早く行動していればこうはならなかったということ。
咄嗟にマナたちを庇うように立ち回れたからいいものの、長続きはしなさそうだ。
バギギギッ──と火花が散る。
赫灼剣の熱はそこらの炎とは訳が違うが、パヌルの瘴気も同格だったようだ。収束し、あまりにも濃いその瘴気は、光をも飲み込む深淵の黒。赫灼剣であってもその黒い瘴気を突き破ることは出来ない。
「硬い……!」
「若造如きが──赤竜の力を得たからと調子に乗るな!」
「うっせぇ! こちとら鬱憤溜まってんだよ調子乗らせろ!」
クロガネの感情の昂りに赫灼剣は応える。ぐん、と赫灼剣の火力が上がったのを、クロガネもパヌルも見逃さなかった。
クロガネは翼を羽ばたかせ、赫灼剣に更なる推進力を付加させた。
対してパヌルは瘴気を増幅し、踏み止まる。
凄まじい鍔迫り合いの余波が周囲に吹き荒ぶ。
数秒の末、競り勝ったのはクロガネだった。
「──ラァ!!」
全力で赫灼剣を振り抜く。弾かれるようにパヌルは吹き飛び、地面を何度か跳ねた。だがすぐさま体勢を立て直し、ギラリと眼光鋭くクロガネを睨みつける。
瞬きの間にクロガネとの距離を詰めたパヌルの斬撃が迫る。
構えた赫灼剣と衝突し、二度目の鍔迫り合い。──にはならなかった。パヌルは凄まじい速度でナイフを逆手に持ち替えると、四度ほど赫灼剣目掛けて突き刺す。
「あ、っべ……」
「未熟者が」
赫灼剣を弾かれ、クロガネの胴体ががら空きだ。やばい、とクロガネは思うものの、腕、手、指先、それらが動いてくれない。
経験の差。クロガネには埋めようのない差だ。
思わず死を覚悟した。
──だからどうした。
赫灼剣の声。
パキッ、と弾けるような音。刹那、クロガネの瞳が変質した。黄金色で、縦に切り裂かれた瞳孔。竜の瞳だ。
クロガネの姿をした『それ』は、ニタリ、と口角を上げて不気味に笑った。
「……これでようやっと、貴様に仕返しできる」
「──赤竜の亡霊が……ッ」
『それ』は咄嗟に赫灼剣を手放すと、クロガネの出せる全速力を遥かに上回る速度で両手を胸元に構えた。
竜人化により変質した身体の使い方、反射神経、それらが本来の速度で繰り出される。クロガネの速度を見ていたパヌルにとってもそれは予想を超えていた。
「──フッ」
左手がパヌルの頬を捉えた。
次いで右手が、パヌルの手を弾く。指を的確に打ち抜き、パヌルの指がひしゃげた。即座に放たれた左手によってナイフは遥か先まで転がっていく。
右手のアッパー。鳩尾に抉り込まれ、パヌルの身体が前のめりに傾く。
すかさず左手が髪を掴み、左膝が顔面に突き刺さる。
そのまま左手を全力で持ち上げ、パヌルの顔面を睨みつけたのち……右手を固く握り締める。
メギメギ、と悲鳴をあげる右手。ブチブチ、と何かが切れる音。
人間の身体の限界を超える膂力が右腕を痛めつけている。
「ハハハハハハハ!」
『それ』は満足そうに笑った。
そして放たれた右手の一撃は、衝突した瞬間にクロガネの右手さえも粉砕しながらパヌルの顔面を抉った。とてつもない衝撃。地面は揺れ、二人を起点として蜘蛛の巣状にヒビ割れる。
街を横断してしまうほどにパヌルは吹き飛ばされるのかと思いきや、予想外にパネルはよろめいて数歩後ろに下がったのみだ。
いや。
正確には、吹き飛ぶことが出来なかったのだ。
振り下ろし気味に放たれた『それ』の衝撃は、パヌルの顔面に衝突後、首、胴体、足を巡って地面へと流れていった。
それ故に地面は大きくヒビ割れた。
それまでの打撃と打って変わって身体を巡り、長く残留する衝撃は、パヌルの意識を飛ばす寸前まで追い込んだ。
──だがパヌル、渾身の精神力で意識を保つ。
『それ』は大きく舌打ちした。それは間違いなく、とどめを刺しきれなかったことに対してだ。
あと一歩、届かない。赫灼剣に手を伸ばすも、掴むより先に終わりが来た。
『それ』の瞳がギョロリと揺らめき、クロガネの瞳に戻る。
途端にクロガネの身体中に蓄積した痛覚がまとまって脳に流れ込んだ。「ぐっ、が、ぁ、あぁ、あ゛、が」ヂカヂカ、ヂカヂカ、視界の中を閃光が爆ぜ、真っ白に染まる。
動きが止まったクロガネを視認したパヌルは、常軌を逸した一撃をまともに食らいながらもだがその目は今だ殺意に満ちている。
「あ゛はぁ゛はぁ゛はあ゛はあ゛!」パヌルは右手を大きく振りかぶった。
それは笑い声だったのか。
はたまた叫び声だったのか。
パヌルの顔面はおよそそれまでの面影を残さないほどに歪んでいる。あの一撃を食らって即死していないだけでもパヌルは十分に異常だ。だがそれでもなお殺意を緩めることなく、反撃に転じるその姿はまさしく狂人だった。化け物だった。悪魔だった。
感じたことのない痛みの中で、霞む視界、揺れる身体。
クロガネは迫るパヌルの姿を静かに眺めていた。
酷使されたのは何も右腕だけではない。ひとつひとつの動作で身体全身を使っていた『それ』は、結果的に足にも蓄積し、クロガネから“避ける”という選択肢を奪っている。
動かないクロガネ。
迫るパヌル。
勝負が決まるかに思われたその時だ。
「忘れてもらっちゃ、困りま──すッ!」
クロガネの背後から突然現れたアレクが、パヌルの胸へと剣を突き立てた。それは間違いなく貫通している。そのまま剣を振り下ろそうとして、だが何かに阻まれる。
「がっ、ああああああ!」鬼の様な形相で力を込めるも、アレクの武器が持たなかった。「──クソッ!」
バキッと剣は中ほどから折れ、パヌルの体内にそれを残した。
それでもなおパヌルは止まらない。即座に追撃を行おうとしたのはマナとミナだった。クロガネの前に立ち塞がるように立つ二人に対し──ぎょろりとパネルの目が向けられる。
その視線を向けられただけで、思わず慄くほどの威圧感。
それでもなおマナとミナは一歩踏み出した。下がればクロガネが殺される。そんな直感。
最後の【狂化】。
すでに二人の身体も限界だった。
「「あああああああ────ッ!」」
二人による、神速の連打。計三十二連打が撃ち込まれ、パヌルは半歩下がるも、だが止まらない。
それはもはや、生ける屍。
いくら殺せども、その度に起き上がってきそうな、そんな気迫。
「もう──寝ろ! パヌル!!」
助走を付けたエフレインが、片手で扱うにはあまりに大きすぎるその剣を、身体全体と遠心力にて振り回しパヌルに叩き付ける。
それを受けるのは流石にマズいと判断したのだろうか。咄嗟に左腕で庇い、かつ瞬間的に湧き上がった瘴気が盾となる。左手は両断。胴体を袈裟懸けに斬り裂くも傷は浅い。
なおも振り上げられた右手はクロガネを狙っている。
「がああああああ!!」
エフレインの後に続いたのは、顔面が血塗れながらも戦線復帰したダリルだった。
戦うには重症だが、一撃入れるだけならばそれぐらいは動ける。そんなダリルによる、パヌルの胸部目掛けて仕返しと言わんばかりのドロップキック。
胸部にアレクの剣が残留していたのが功を奏した。
ぐらりと揺らめき、足がもつれるパヌル。ようやく四歩分後ろに下がったパヌルを待ち受けていたのは。
──喰われろ。
赤竜だった。
それまで上空から動かなかった赤竜が、その隙を逃すまいと迫る。
──。数瞬の思考ののち、パヌルは標的をクロガネから赤竜に切り替えた。
ぐるりと身体を反転させ、右手を振りかぶる。
「はあ゛ッは は は は は !」
赤竜の牙が迫る。だがそれよりも先に、パヌルの拳が赤竜の頭蓋を叩き割る、そんな一瞬先の未来が、その場にいた全員の脳裏によぎる。
一名を、除いて。
「視覚誘導……!」
相手がスキル発動者を警戒していなければその分だけ、より、強力に作用する。
赤竜の牙が迫るなか、右手を構えているのにも関わらず。
パヌルの顔だけは、バルトに向けられていた。
「……………………ゴミが」




