そのゴジュウ 悦子さん
「いや〜そのね?ワシ、神界で蛇神ちゃんにメッチャ怒られちゃってさ。
『八岐大蛇!うぬの眷属が現世でまた騒ぎを起こしておるぞ!
吾が動けば天地が大いに乱れる、封印が仮に解けたとて、吾はもう二度と現世に姿を顕すつもりなど無いというのに、それを!うぬの起こし方がわからぬといって、同じ蛇の吾を起こせばどうにかなるだろうなどと……吾にとってはとばっちりもいいところ、それも千年前から次から次、痴れ者共めが!
常ならば。不埒者の始末は鴻神の裔に任せ、吾は敢えて相関せざるところなれど……だが此度は!吾の大切な娘、小姫まで狙われては到底捨て置けぬ。
大蛇、うぬだけでは心許ない。吾が妹を、姫を共につけてやる。されば!吾に代わって現世に参り、しかと事を収めて参れ!』
ってね♪……ねぇ桜ちゃん?こんな感じだったよね?似てたぁ?」
この際誰からも求められていなかったその女声のモノマネを、桜姫は華麗にスルーして。
「ほらほら大蛇様、また一寸ほど現世にはみ出してますよ?お気をつけて、ささお下がりを。
……いえ皆さん?これでも八岐大蛇様は太古の大神、御神力だけは実に実にあらたかなのです。ただ、すぐお調子に乗って何かと粗相をなさりがちで。蛇神様はそこをご心配なされて此度は私を共に、と」
どこもかしこもツッコミ所だらけだ、だが。
「ああ嘘よ嘘……こんなはずないわぁぁぁぁあ……」
大蛇のこの余りのグダグダな体たらくにショックで放心状態の八ッ神恐子と、
「やっ……いやその、ううん……困ったな……」
気真面目さが災いして困惑で固まっている俊介。どちらも大蛇の発言の重要ポイントを逐一問いただすことが出来ない。
どうやらここは、自分が相対せねば話が進まない。諦めた悦子がおずおずと、御神鏡に一歩にじりよる。桜姫様にならって、なるべく大蛇さんのダメなところは無視で行きましょう、そう方針を固めて、では何から……
そうだ。大蛇のモノマネの中に一点、何を措いても問わねばならない重大発言があったではないか。
「今その、『蛇神様の娘』とおっしゃられましたか?蛇神様に?御子様が?それも今、この現世におわしますのですか?」
「そう!いるのよ〜、いるいる。名前はノリちゃん!それがね?可ン愛いのよ、お目々くりっくり、ほっぺはプリプリのピチピチ!この桜ちゃんそっくりの娘ちゃんでさぁ〜♪」
八つの頭は伊達ではない、実に無駄口が多い蛇である。お前じゃなくて姫様から要領よく説明を、と言いたいところだが、いかにグダグダとはいえ神は神。そう邪険にも出来ないのがつらい。
「はぁ……」
ポーカーフェイスを固めた悦子が、溜め息に限りなく近い相槌をひとつ。すると大蛇、なんだか余計に調子に乗って。
「……や、それでねそれでね?実はノリちゃんこないだね?いっぺんここにも来たんだよ!えと、確か奥さんは会ってなかったかな。でもそっちの旦那さんにはね、ノリちゃん、チョコっと挨拶した」
「……あなたァ?!」
しっかり者の悦子も、これには流石に声が裏返る。弾かれたように振り返って夫を視線の矢で射ると、すぐに俊介も自分で自分の横面をパシンと一張り。マゴマゴしている場合ではないと自分に喝を入れたのだ。そしてその手のひらを頬に貼り付けたまま、記憶を手繰る。
「『ノリちゃん』?桜姫様に似た?……ああっ!!そうだ、土屋さんのお嬢さんだ!確か『ノリコ』と?!」
「はい、祝う子と書いて祝子。蛇神様と私がその子を、十五年前に土屋さんご夫妻にお託し申し上げたのです」
(……それで、か!)
俊介は息を呑む。神主と氏子として表面上は親しく付き合いながらも、彼は土屋を、鴻神神社の秘密を半ば知る怪人物としてずっと警戒してきた……しかし実は!「半ば知る」どころではなかったのだ、彼こそが、自分達も知らない蛇神の最大の秘事に関わり、それを守る者だったとは!
だが俊介のその得心も安堵も、すぐにかき乱される。
「何ですってぇぇ?!」
それまでは惣菜屋で売れ残った海老天のように、簀巻きのままくったりと寝転んでいた八ッ神恐子。だが、土屋と聞いてたちまち我にかえり、またビタビタと畳で跳ね始めたのだ。
「ノリコ……ノッコ!S・L・P!あの1号はやっぱり蛇神の子孫だったのね!
あの姿、能力、どおりで……でもその土屋って、土蜘蛛の土屋でしょう?蛇神が?自分の娘を?宿敵の土蜘蛛に預けたぁぁぁ?どうして?」
「「……土蜘蛛??」」
土屋氏が?今度は夫妻が同時に声をあげる。疑問と疑問の玉突き合戦、バウンドが止まらない。
これは収拾がつかなくなると見たのだろう、桜姫が鏡の中から、音高らかにパンパンと手を叩いて。
「はいはい皆さん、落ち着いて、お静かに!細かなことは後に致しましょう。まずは事を収めるのが第一。これをご覧に……」
と、鏡の中で自分の身を横にずらす。何かを鏡に映し出そうとしているようだ。だが姫が開けたそのスペースに。
「うぇ〜〜〜〜い、みんな見てるぅ?」
わざわざ割り込む八岐大蛇。
「あの大蛇様?そこでは皆さんが見えないので……」
「ねぇ見て見てワシ、うねうねしてるぅ?うぇ〜〜〜〜い♪」
「だからちょっと……大蛇様、脇に引っ込んで下さいまし!」
流石にちょっとイラッとした様子の桜姫、鏡面に居座っていた大蛇をシッシと追いやる。
「……はぁい」
「……コホン、失礼致しました。さ、どうぞ皆さんこちらを」
映し出された光景。広々と整備された公園のような空間だ。八ッ神恐子だけはそれがどこだかわかっている、そう、そこはもちろん昴ヶ丘行楽園。あちらこちらの華やかな設備やその装飾と裏腹に、人影はまるで無く……いや!
一瞬何かが、誰かが、恐るべきスピードで通り過ぎた!そしてそれが二度、三度と……
今や遠隔覗き窓と化した御神鏡。その映像はごく明瞭、しかし鏡面の大きさは限られ、画角は狭い。故にその「何か誰か」の動きを捉えるのはその場の誰にとっても簡単ではなかった。さらに目をこらす、ようやくわかってくる。人影はどうやら二人……
そしてついにその一瞬が来た。鏡の中の画面真正面で、その二人が激突した、その一瞬!
その場の全員の目がとうとう捉えた。その二つの姿、どちらも異様、黒い鎧のようなものを着込んだ子供と、全身白銀の鱗に包まれた少女だ!
「ヤスデ!!」
八ッ神恐子が悲鳴を上げる。
「スーパーコーデ!どうして?どうして私に警報が入らなかったの?!いいえそれより、いったいいつからあれを?!ダメよヤスデ……ヤスデェェェ!!」
「ねぇ恭子ちゃん、恭子ちゃんだったよね?」
画面外から、大蛇の呼びかける声。
「知ってるよ、出雲の恭子ちゃん。ワシ、ずっとチミのこと見てたから、生まれた時からずっと、ね。
なんかごめんね、チミ、ワシのために今までずっと頑張ってくれちゃってたんだよね?
でもね?蛇神ちゃんと一緒でさ、ワシも現世には帰れないの。
大昔さ、ワシいい気になって現世で暴れちゃって。それでスサっちにコテンパンにされちゃってさ。そんで神界に閉じ込められてるのよ。
まぁね?ワシ、自分のことは納得してる。ワシ、強過ぎるから。ちょっと力加減間違えても、世界を滅茶苦茶にしちゃう。みんなに迷惑なワシなんだって、自分でよくわかってる。うん、ワシのことはもうこれでいいの。
ただワシね、ワシの力をいっぱい現世に残して来ちゃったでしょ?その力を後から拾っちゃった人たちもいっぱいいて……それで人として変になっちゃったり……
そういう人たちもなるべくね?他の人たちから虐められないようにって。隠れ里作ったりして、神界からフォローはしてきたと思ってたんだけど……あんまり上手くいかなかったかも……ううん、かもじゃない、上手くいかなかった!だって「それが窮屈だ」って思った人たち、昔からいっぱいいたから……チミみたいに、ね。
ごめん。ホントにごめんね、謝るよ。
だからお願い、もう乱暴なことはよしてさ、それで出来たらさ?ワシらに今だけちょっと力を貸してくんないかなぁ?
ノリちゃんとチミのお友達のケンカ、すぐ止めなくちゃ。
……ね?」
「大蛇……様……」
恐子、いや恭子の蛇眼を濡らして流れるその涙の色、それはさつきと珠雄が見た、スミのあの涙と同じ。今や全てが報われた。憑き物は落ちた、恭子が自分にかけた八ッ神恐子という名の呪いは解けたのだ……ならば。
「鴻神さん!降参よ、私の負けです。もう逆らいません!協力もします!だからロープを解いて!私はヤスデを止めなきゃならないの、お願い!!」
「縄を解く前に一つだけ」と、これは桜姫の声。
「あなたのあの乗り物で、一人であちらに戻ってはなりません。それではあの子も救えない。ここは私達の指図に従って下さい。決して悪いようには致しませんから。
……いいですね?勝手に動かない、約束出来ますね?」
「約束するわ、いえ姫様、鴻神さん、お約束します!ですから!!」
恭子のその返事を聞き終わる前に、俊介はすでに縄を解き始めていた。
「それと皆さん、もう一面、なるべく大きな鏡はありませんか?」
「姫様あります!」
悦子が答える。社殿の回り廊下を回って裏に、儀式諸々執り行う準備のための控室がある。そこに装束の着替え用に一面の姿見が設えられているのだ。大きい分重いが、三人いれば十分運べる。
「ではそれをこちらに……ああ縄が解けましたね?ささ、皆さんで鏡を」
先頭に悦子、恭子を挟んで殿に俊介。三人はたちまち列を作って、本殿から更衣控室に駆け出して行った。
「しっ!三人とも静かに……近い、やっぱりこの上にいるわ」
展望台への、傾斜の低い登り階段。先に立っていた槌の早苗は、残り十数段というところで、階段に這いつくばる。自分たちが登っていくその姿が、万が一にもあちらから見つからないように。それを見て後続の仁美たち三人も、サッと中腰に座り込む。
「まず私たちが様子を見るわ、ちょっとそのまま待ってて……」
展望台の頂上近くの階段は、もう段差は申し訳程度。槌の早苗は殆ど地面を這うよう。ついに一番上の段に手をかけ、そろそろとその向こうを覗き上げると。
「ふぬうぉぉぉぉおお!まだ足掻くか土蜘蛛ぉぉぉ!」
「ねぁぁぁぁぁんのこれしき先代様……ぬぐぐまだまだぁ!」
半径三メートルほどの、青白く光る網のドーム。その中で巌十郎と土屋先生が対峙している。ここに来るまでの「毒ガス」はこの術の余波に過ぎない、あの光の網こそが巌十郎の術の本体。
だがその中で、二人のポーズは実に珍妙だ。
かたや巌十郎。腰を直角に折り曲げ、両足を揃えて爪先立ち、両手は腕立て伏せがぐきっと途中で止まったような形。
すなわち、何かを全力で下に押し付けようとしている。
かたや土屋はと言えば、大地を支えるギリシャ神話のアトラスの形。両足を大きくガニ股に開き、両手で何かを頭上に担ぎ上げているような……
「何か」とは何か。槌の早苗にはもちろん明瞭だ。巌十郎は今、その渾身の霊力で土屋を上から押し潰そうとしているのだし、土屋はそれに必死で抵抗しているのだ。
いやそれはわかる、わかるけれども。
二人のその姿はどうにも滑稽なのだ。達者過ぎるパントマイムである。双方命懸けの対決という光景にはとても見えない。
タハハと頭を抱えながら、槌の早苗は後の三人を手招き。そろりそろりと三人も近づいて覗きあげると。
「にゅぉぉぉぉぉぉぉん!!」と巌十郎。
「うんがぁぁぁぁぁぁぁ!!」と土屋先生。
全員まず、プッと吹き出す。この際、大声で笑い出さなかっただけでも彼女らにしてはお手柄だろう。
クツクツ笑いが漏れるのを手で押さえながら、仁美が。
「ちょ、プププ何アレ?てか早苗、どうしよっか?どしたらいい?」
すると、早苗は答えて平然と言い放つ。
「そうね、ここはショルダータックルかな。仁美お願い、一発ドンとブチかましちゃって」
【やや巫女殿それはぁ?】
驚く槌の輔、だが同じ体の頭の中に響く彼の声を、早苗はガン無視だ。
「ええ……マヂ?いいのぉ?それ、巌じいヤバくない?」
【いや仁美、お主やる気だな?!】
言葉とうらはら、顔がニタリと笑っている。遠慮する気は全く無い様子。答える早苗は、なお変わらず声涼やかに。
「いいわよ。中途半端な勢いでいって、見つかってバレちゃったらチャンス台無しだもの。全速で思いっきりぶちかましてちょうだい。
大丈夫、『心技体揃ってこその鴻神流』とか言って、おじいちゃん昔から合気道やら太極拳やらで結構カラダも鍛えてるし。その辺のお年寄りより断然頑丈だから」
【やや、そうは言ってもだな……】
「よっし!んじゃ口裂けさんさっちゃん、スクラム!」
と言うなり、仁美はまず両脇にいる二人の肩をガシッと抱いて。
「二人はしっかりあたしの腰に手を回して服を掴んで!一緒に突っ込むよ、離れないようにね!」
【何?体当たりを三人で?それはいくらなんでも……】
「ハハ、早苗公認なら遠慮なく!アタシね、いっぺんあの爺さんを驚かして見たかったんだよ!
……こうかい仁美?なぁ、服よりスカートのベルトを掴んだ方が良かないかい?」
【いや其方までやる気満々?】
「ニャッハァ、やるやる!あたしは土蜘蛛様に御恩返し、いいとこ見せなきゃ!そうだね、ベルトをギュッとね、掴んでくっ付く!」
【ああさつき殿は……元々それが目的であったな……】
「早苗、準備オッケイ!」「「オッケイ!」」
「ゴーサイン、プリーズ♪」「「プリーズ♪」」
仁美のコールを二人が復唱。トリオに今や、カンペキな一体感。
【巫女殿これはやはり無茶……】
「了解、いくわよみんな!」
【タハハ、やはりもう止まらんか……】
「オン・ユア・マーク、セット!」
「「「セット!」」」
「レディ!……ゴー!」
「「「ゴーーーー!オラオラオラオラァーー!!」」」
一致団結掛け声と共に、たちまちオラオラと段を駆け上がり、巌十郎めがけてまっしぐらに突進していく三人!
そして。
【ああああ……】
【槌の輔様!ぼんやりしてる場合じゃありません!仁美たちが体当たりしてお師匠の術が止まったら、今度は槌の輔様の出番ですよ!先ほどお願いしたあれ、わかってますね?!ちゃんと頭に入ってますか?!】
【わ、わかっておる、あれであるな?やるやる、やるとも!】
【だったら私たちも行きましょう!それ!】
繰り返しですがもう一度、槌の早苗状態の二人の【会話】は、小説の都合上会話体だけど、全ては一瞬。そう、早苗の体も即座に三人を追って駆けていた。
「むおおおお、観念して早う潰れろ土蜘蛛ぉぉ、にゅんんぐぐぐ……」
術に無我夢中、背後に全く注意していなかった巌十郎。
その後ろ脇腹辺りに、突然!
「「「オラァーーーー!!」」」
「?!……ぐっほぉぉぉ!!」
グサッと刺さった仁美のランニング頭突き、ガッチリスクラム、スピードの乗った三人分の体重がドカッと炸裂!光の網もたちまち雲散霧消、術は破れて……
「……ひ、仁美ちゃん?!ああ、父さぁぁぁあん!!」
巌十郎がひとたまりもなく、キリモミしながら三メートルほど吹っ飛ばされるその映像。それを、鴻神神社の一同は社殿に運び込んだ姿見で見ていた。
これは桜姫の、遠隔モニター術。
ノッコとヤスデの戦いを止める、それはもちろん一刻を争う急務だ。だが一方、土屋と巌十郎の無益過ぎる争いもまた急ぎ止めなければならない。昴が丘行楽園と、丘の上公園、二つの争いの、ならばどちらを先に止めるか?
八岐大蛇も桜姫も、現世の事象に直接の関与は出来ない。となると、このままでは動けるのは恭子だけであり、それでは、ノッコたちの戦いの方はどのみち止める術がない。
「ですから。ここはあなたにはどれだけ遠回りに思えても、丘の上公園の一件を先にかたづけ、皆の力を集めるのが先決なのです。わかりますね?」
焦る恭子に、桜姫はそう説き聞かせた。そして姿見を使って、土屋と巌十郎の戦いの行方を見守らせたのである。幸い現地では、頼もしい味方がすでに行動を起こしてくれている、あの方たちにまかせましょう、と。そして……
共に見守る俊介悦子夫妻にいきなり見えた光景が、寄りにもよってそれ。
ああ、父のその大事故。一声叫んで、後は固まって口も聞けない様子の俊介。それに対して。
「……やったわ!う〜ん、さっすが仁美ちゃんね!元気元気ぃ♪」
ガッツポーズで歓声を上げたのは、なんと悦子。あんぐりと口を開けて自分を見返す俊介に。
「大丈夫ですよあ・な・た。あなたもご存じでしょ?お義父さんあのお年でもカラダなら、しっかり鍛えてらっしゃいますから。あのくらいなら全然平気ですって」
あっさり言い切る。なるほど、どうやら早苗は悦子からこういうところも受け継いでいるらしい。
(続)




