そのヨンジュウヨン アークさん
「おじいちゃんやめてーーーー!!」
「……早苗!」
突然コーヒーカップの中から出現した親友は、だがいまだに正気を失っているらしい。自身に迫る危機には気付かず、ただ虚空に向かって叫び続けるばかり。
早く、早く早苗を!急ぎ駆け寄ろうとする仁美、だがそれには、ザワザワと立ち塞がり視界を塞ぐグロゲロたちを、次々と押し退けなくてはならない。いかに焦っても、思うように親友には近づけない!
もっとも、仁美はまだマシな方。
「集まれ!アタシたちも早苗を守……ああ、このぉ!」
「ここはくねっとスルッと華麗に振り解いて……また捕まった!重い、だから重いって〜!!」
「てめぇら、ワッパに絡まるな!……チクショウ、チャリが使えねぇ!!」
「あたっ……ぐはっ!どっちに行ってもぶつかる!邪魔すぎて一歩も走れんわ!!」
「キキキ!キキキィ!!」
怪異たちも慌てて早苗の保護に向かおうとする。彼らにも早苗の姿はよく見えた、声も聞こえた。実際彼らは、誰もが十数メートルの範囲に散っていたにすぎないのだから……だが彼らは次々とグロゲロたちに直にタックルされ抱きつかれる。
そもそも怪物たちの群れは、出現当初はこれ程の密度ではなかった。圧縮カプセルはずっと広範囲にばらまかれたし、大勢の客たちもいて、怪物の感覚も攪乱されていたのである。一体一体のその動きはバラけていて、大きな求心力を持たなかったのだ。
だが今や、強力な霊気妖気の持ち主だけが、半径二十数メートルほどのこの地点に集中している。彼らの強い妖気は黒い怪物たちには実に魅力的、わずかの間に怪物たちがギュウギュウに集まって、電車のラッシュアワーもかくやという状態になってしまったのだ。
この中を、仲間たちがおいそれと進めるものではない……霊能力皆無の自分を除いて。仁美は、それをよく知っている。
「ああ口裂けさんたちはダメかも……やっぱあたしが行かないと!」
「ぽぽぽぽ……困ったわぁ、動けない……子供に懐かれるのは嬉しいけど、こんなに抱きつかれたらぁ♪
……あ、そうだわ」
そんな中、ただ一人。その長身の上から下まで数体のグロゲロにたかられて、呑気にニヤケていた八尺様が。
「要するに、早苗さんを一度私たちの闇に拐うんでしょ?……だったら」
たちまちその場からシュンと姿を消した八尺様。そう、消滅することで抱きつくグロゲロを振り解いたのだ。そしてすぐに。
「ぽぽ、早苗さんの目の前に現れる、と。簡単簡単♪もう、こんなの他のみんなも出来るのに、慌てちゃってるからダメなのよ。さぁ早苗さんわたしと……ぽぽぽぽ?」
「ぽぽぽぽぽ♪」
「ぽぽぽぽぽ?」
「ぽっぽぽぽぽ、ぽぽぽぽぽぽぽ」
そう、このタイミングで間に合った出雲の八尺様が、昴ヶ丘の八尺様とバッタリ鉢合わせ。同タイプの現代怪異であってもお互い没交渉なのが普通、こういう邂逅は滅多にない……だからお互い珍しい。なんだか呑気な会話が弾もうとしているところで、足元から。
「ややややや、挨拶も細かいこともあとで!お二人のどっちでもいいですから、早く早苗さんを拐って園の外にィ!!」
「ぽぽ?そういうそこの猫ちゃんは、もしかして珠雄くん?」
「そうですそうです珠雄です、でも僕のことは置いといて!いいから早苗さんをぉ!!」
慌てる珠雄。八ッ神恐子も厄介だが、仲間たちに今の彼の隠密行動の理由やら些細を問いただされるのはもっと困る。昴が丘八尺様に自分の姿を見られるのはもう仕方ない、この人はおっとり呑気だから多分ごまかしようがある。だが早苗をどうにかしたら、珠雄は一刻も早くこの場をトンズラしたいのだ。
——自分が(とくに仁美に)捕まる前に!早く早くぅ!
「お邪魔娘……2号!でも妙ね、なんだか錯乱してる?いいえこの際都合がいいわ、捕まえて人質に!」
計画性はレベルD・しかし即応力はS+。八ッ神恐子はサッと頭を切り替える。
爺さんと土蜘蛛の対決場所は彼女には不明、だがそれはまた後で考えればいい。2号が宿敵二人のどちらにとっても大切な存在らしいのは明らかなのだ。今は2号を手中に置いて、どうにかして改めて二人を呼び寄せれば……今度こそもう私を無視出来ない(そこが一番頭に来てた)でしょぉぉぉぉぉ?!
「さぁ行くわよ、そこでじっとしてなさい2号!……ア痛ぁ!」
リモコンを操り円盤にダッシュをかけた瞬間、しかし円盤はガタンとつんのめり、恐子はバリアボンネットに鼻の頭をぶつける。
「ダメです!ケバケバさん、あなたをセンパイのところには行かせませんよぉ〜!!」
そう、ノッコがハサミに挟まれたまま自分からもカニの腕を捕まえ、思い切り引っ張っている!
「ああコラぁ!邪魔しないで!離しなさいよ!」
「離しませーん!ていうか、わたしを捕まえてるのはそっちです!!」
「あ、そっか……じゃあホラ、離してあげるから離しなさい。はいハサミパカっと!ね?」
「離してもらっても……離しませんよぉぉぉ!」
「……こんのぉぉぉぉぉ!!」
「……ふんにゅにゅにゅぅ〜〜〜〜!!」
「うぉ・にょ・れぇぇぇぇぇ~~~!!」
ノッコとカニ円盤の、実に不毛な空中綱引き。だが今はそれが早苗の生命線。
(ノッコありがと、お願いもうちょっと頑張って!待ってて早苗!!)
仁美はほんの一瞬だけ振り返って宙を仰ぎ、そしてまたグロゲロをかきわけ先を急ぐ……あともう少し!!
「「ぽん、ぽん、ぽぉ!……ぽぽぽぽぼ?」」
「ニャハハ、アンタたち、顔も同じだけど気も合うんだねえ、またあいこだ♪」
どちらが早苗を拐うのか、どうやらジャンケンで決めようとしているダブル八尺様。実に呑気、そして何度やっても出す手が同じ、一向に勝負は決まらない。
……やばいよやばい、何がって、もう仁美さんが目の前だ!
焦った珠雄、たまらず割って入る。
「わわわ、だったらコインで決めましょう!僕がトスします、表が出たら昴ヶ丘さん、裏だったら出雲さん!」
よし、こうなったら自分が人間の姿になってコイントスだ。仁美に見つからないよう、狭いカップの中にギュッとしゃがみこんで。
「いいですか、いきますよ!それ……ああそんな落としたぁ〜!!」
そして手の甲で受け止めるはずが、コロリ地面を転がって行くコイン。慌ててる時はそうなりがち。そしてコインはコロコロとさつきの目の前を転がって……
「ニャハァ?さあ表かな裏かなどっちかな?」
だが彼女はその行先を楽しそうにただ見送るばかり。
「ああさつきさんそれ、それ止めて下さいよぉ!」
「いやぁー、あたしゃもうそんな歳じゃないし?」
(ええそうですね、目の前で動くものにじゃれつくのは、子猫の時だけですもんね!
……でもそういう問題じゃなくってさぁ!)
また忙しく猫に戻って、コーヒーカップを飛び出す珠雄。早くコインの裏表を見なきゃ……と、狼狽えるあまり彼もやはりまた、問題の肝をすっかり見事に取り違え。
今大切なのは、それじゃない。
結局。
「早苗!」
いち早くその場に辿りついたのはやはり仁美だった。そして。
「落ち着いて早苗、聞いて……早苗?早苗!!」
親友の両肩を掴み、大きく揺する。だが早苗の理性は帰ってこない。虚ろな視線、全身をおこりのように震わせ、何度もただ祖父を呼び叫び続けるだけ。
仁美は大きくその片手を後ろに振りかぶる。キュッと目をつむり、まるでその痛みを自分が引き受けるかのように切なく歯を食いしばって。
「早苗、ゴメン!!」
仁美は親友の頬を一つ、パンと平手打ちした。
「あ……仁美?」
早苗の目にようやく理性の輝きが戻った。そうと観て仁美は軽く安堵しながらも、再び親友の両肩をがっしり捕まえ、問いを畳み掛ける。
「大丈夫早苗、大丈夫?あたしのことわかる?!」
「ああ仁美……仁美聞いて!見えたのよ、大変なのよ、おじいちゃんが!」
「うんわかってる、わかってるよ!先生と巌じいが大変なんだよね?ニコがね、教えてくれた!
話は後、急いで巌じいを止めに行こう!土屋先生が危ない!」
だがまさに、その時。
「やっちゃってプチ、『スパークサンダー・レイン』!」
「フラ!
……フララララララララララララララララララララララララララ!!」
ついに動き出したヤスデ。鋭く号令一つ、それを受け宇宙人ロボットがカニ円盤のさらに上空から撃ち注ぐ、雷撃の雨!
「きゃあ!」「うわぁ!」「ちょっとヤスデ?!」
敵も味方も周章狼狽、だが気付く、この電撃あんまり痛くない。
「え?何これ?ちょっとビリッとするだけ?」
拍子抜けするほどマイルドなその威力。ノッコにも怪異たちにも、ただの人間である仁美にすら、痛いは痛いが残るダメージは皆無だ。いや恐子だけは円盤で苦々しく顔をしかめているのだが、それは痛みのせいではない……
「……あんたたちにはね。でもそれ、よく効くんだよ。あ〜あ、これでやっとスッキリだね!」
そう、実は効果テキメン。一発一発は大したことないその電撃に、しかし次々と倒されていくのは……園内に解き放たれていた、総勢六百体の小グロゲロたちだ!
「あいつらは特に電気に弱いんだって。弱めの電撃でもすぐ消えちゃうって。恐子が言ってたよ。でもその弱い電気でも、これだけ撒き散らせば……これだけやっつければ!エサは十分、そうだよね恐子!!」
そう、消滅していく園内のグロゲロが残りほんの数体にまでなった時、異変は起こった。その数体が突然、黒いゴムのような体を銀色に輝かせ始めたのだ。
「ああやられた、とうとう……」
仁美がため息を漏らす。彼女がずっと恐れていた、黒い怪物たち小グロゲロの、まさにこれがその進化だ。
「そっか」
そして仁美は卒然と気付く。ケバケバが宇宙人ロボに新たに電撃能力を与えたのは、最初からこのため。自分たちで大量に増やした小グロゲロを、自分たちで攻撃して倒し進化させる、そんなマッチポンプ計画。ただ、なぜこのタイミングで?とは一瞬頭をよぎったが……仁美はそれをすぐに頭の片隅に追いやる。
今重要なのは対策だ、自分だけが持っている情報を、皆に開示伝達だ!
「みんな!あれが、『超グロゲロ』!!気をつけて、強いよあれは!あれはね……」
だが仁美がそこまで言いかけて、しかし言い終わる前に動き出してしまった者が一人。
「ちっ、なんだか知らねえが……しゃらくせぇ!じゃあもう遠慮もいらねぇってことだろ、なぁ?!」
仁美と口裂け女の制止の声が喉から出る前に、刀を振りかざして突撃するトンカラトン。グロゲロが目障りだったのは、ヤスデの次は多分彼だったろう。黒い怪物出現当初、うっかり数体を切り刻んでしまった彼は、それで口裂け女に大目玉を喰らった。彼の腹はそれからずっと煮えていたのである。
たちまち一体の、今は銀色の怪物に駆け寄り大上段から唐竹割に——
「一刀両断どりゃあ、うわっ!!」
——しようとして、その刀は弾かれた。
以前の怪物は、耐久力は普通の動物以下。トンカラトンの振るう日本刀の前では、それは古タイヤを据え物斬りにするのと等しかった。さて今や金属のように輝く怪物たちは、実はいまだに柔らかい。だがしかし、その弾力がこれまでと桁違い。一瞬ズンと少しめりこんだだけで刃は全く通らず、たちまちその全く同じ力で刀身は真上に弾き返された。反動で一瞬棒立ちになったトンカラトン、その隙をつくように、怪物の銀色の触手が彼のガラ空きの胴に伸びてグルリと巻きつくと。
「テメェ離せこの、離……アガガガガ……」
即座にトンカラトンの体が痙攣を始めた。
「超グロゲロに捕まっちゃ、いいえ触られちゃダメ!神経ショック攻撃を喰らっちゃう!」
仁美のそのアドバイスは、残念ながらトンカラトンには既に遅し。数秒で彼が意識を失いガクリと首が折れると、ようやく怪物はその体を離した。ドサリと地に倒れた彼はもう動かない。愕然とする一同を、ヤスデは空中高くから睥睨しながら。
「キャハハハハ!いいじゃんいいじゃん、使えるじゃんアレ!ピカピカでちょっとカッコいいし、今までよりダンゼンいいよ!」
「ヤスデ!!どうして?!」
相棒のまさかの行動、八ッ神恐子は堪らず問いただす。いや「まさか」ではない、ヤスデが焦れていたのは知っていた。こうなるのは半ばは予想済み、覚悟済みでもあったのだが……しかしそれでも恨めしい。今ここでグロゲロを進化させるのは段取りが違う、それでは計画は総崩れなのだ。
だがヤスデはせせら笑う。
「恐子ぉ?い・ま・さ・ら!もうあんたの計画なんて、とっくにグチャグチャだったじゃん!こんなの、すっかりキレイにして最初からやり直した方がマシ!!
……もういいよ恐子、ここからはあたしが仕切るよ。んじゃアイツらに、アイツらの親分も呼んでもらっちゃおうかな」
「ヤスデ待って、それは待って!」
慌てて制止する八ッ神恐子、だがヤスデは完全無視。
「プチ、新しいグロゲロにスパークサンダー!今度は思いっきりでいいよ!
進化したら電撃は効かない、だけど攻撃されたら、防衛本能で仲間を呼ぶ……親分も!そうだったよね、恐子ぉ!!」
「え?親分って……」
「大グロゲロの進化体、『超母体』!!」
正気を取り戻し、どうやら周りの状況もうっすらわかってきた早苗。その疑問のつぶやきに、仁美が側ですかさず答える。
「アークマザーがここに来るよ!ヤバい、みんな早く逃げよう!!
……あれ?八尺様さんが二人?!うんちょうどいいわ」
仁美は自分の思考の今いらない部分を器用にクローズ。そこ気にしてる場合じゃない!
「こっちのあなた、トンカラトンさんを助けに行って!進化しても鈍いのは変わってないはずだから、サッと行ってスッと消えれば大丈夫。でも絶対触られないようにね!
そっちのあなた、あなたは今のうちにみんなをさらって!……早く!」
「「……ぽぽぅ!!」」
仁美の指示する声の勢いに、慌てて背筋をシャキッと正し、返事と共に同時に消えるダブル八尺様。
一方。
「……槌の輔様?近くにいらっしゃいますね?狼狽えて申し訳ありませんでした。もう私、大丈夫です!どうか御力をお貸し下さい、私もみんなを助けに行きます!
……仁美!」
キリリと親友を見返した早苗。
「まずはここから脱出、そうだよね?それから……!」
「うん!」
見かわす二人、これがあたしの早苗、これが私の仁美。共に感じる、幼馴染のその姿の頼もしさ。頷きを一つ交わすと、早苗は怪異たちの元に駆け寄っていく。その体を、すかさず再び憑依した槌の輔の、青い霊気の輝きに包んで。
しかし。
「だからさぁ……ムダ!一人も逃すわけないじゃん。もう遅いよ、お前ら。
プチ!スパークサンダー・バースト!!アイツらにもピカピカにも、構わず全員撃っちゃって!!」
「ヤスデ、だからそれは駄目ェ!!」
「フラーーーーーーーー!!」
八ッ神恐子の制止も虚しく、たちまちその場に荒れ狂った強電撃の嵐。それは誰にもかわせない。元から動かないトンカラトンに加えて、怪異たちは次々と地に倒れる。
無事なのは。
「くっ、なんたる威力!——やっぱり強いわ……!」
霊力全開でかろうじて耐えた槌の早苗、だが地に膝を突いていた。ショックは大きい、回復には時間がいる。
「きゅうう~……」
神の御子ノッコは無傷、だが地面で大の字。いきなりの電撃に目が眩み、思わず円盤の腕を離して落下。目が回っているのは頭を打ったから。
そして。
「ニャハァ!おやおや、こりゃ物騒だねえ。二人とも大丈夫かい?」
「え……あなた誰?」
「さつきさぁん!!」
素早く開いた妖力の傘。際どく仁美と珠雄を守ったのは、白黒ブチ模様の浴衣に裸足、ウルフカットの女、古猫の怪・さつき。
「あれが恭子のオイタの相棒かい?こりゃあたしも……少しばかり本気がいるね!いいかい二人とも、あぶないからあたしから離れるんじゃないよ!」
カッコイイ!としかし、仁美は黄色い歓声をグッと吞みこんで。
「どなたか知りませんが、ありがとうございます!でも、すぐにもっと危ないのが来ます!気をつけて!」
「何だって?」「ホラ、あそこ!!」
仁美の指さす先に見える光景。
数体程の銀色の怪物が、触手と触手を繋ぐように連なって輪を描いている。その輪の中にさらにワープで現れる超グロゲロたち。それらは昴ヶ丘八尺様が隠れ里に確保していた小グロゲロたちが、あちらで進化したもの。それらも輪に加わり、さらに大きな一つのサークルが完成すると、その輪の中心の地面から!
何か巨大なものが、むくむくと伸び上がってくる。銀色に光る、細長い花瓶を逆さに伏せたようなシルエット。いやあるいは、ボウリング場のビルの屋上に、看板として掲げられる巨大ボウリング・ピンのような、それ。
「あれがアークマザー……アークマザーだよ……」
(……ニャハ?)
さつきは聞き逃さない。自分に危機を知らせる娘、確かにその言葉に嘘はなさそうだ。あれは手強い、厄介だ、さつきも本能でそう感じる。しかしそれでいて、娘のそのつぶやきには何か、不思議な憧憬の匂いが。
「本当に……会えるなんて……」
(続)




