ニニデ解放 1 白の剣士 2
鮮血。
常人には嗅ぎ取る事の出来ないくらいの微かな臭い。
だが嗅覚の鋭いグランには充分すぎる匂いだった。
体液、、、血の香しい匂い。
抗いがたい渇望が湧き上がり犬歯がそれに反応し伸びる。
そう、いつもなら。
今はまるで薄い膜が張ったかのように全てが遠い。
グランは渇望に支配される事無く変わらぬ動きで攻撃を繰り返す。
一手一手が単調な物ではなく試行錯誤を重ねた攻撃だった。
その様子を注意深く観察していたトリストだったが
どうやら変化は無いと判断したようだ、口元が綻ぶ。
打ち込んできたグランをいなし、後頭部をコツンと叩く。
「ほい、終了」
「へ?」
叩かれた後頭部を撫ぜながらグランが間の抜けた声を出す。
「し、終了って俺まだ一本も、、
待ってよ、せめてもう少し稽古を、、」
俺もう少しで、、、だからっ!!」
このままでは認めて貰えないと思ったグランは必死の形相で食い下がる。
「何言ってんだ?
お前ちゃんと2本とってるぞ?」
トリストの答えにグランの眼が点になる。
グランは一本も取った覚えは無かった。
「3割で行くって言ったろ?
俺は一歩も動くつもりは無かった
が、動かされた
これで一本」
トリストは指を1本グランの目の前に立てる。
「で、フェイントのつもりで飛ばしてきた単発の衝撃波
あれ、最初の奴が掠ってたぜ
ほら此処、赤くなってるだろ
これで2本な」
立てた指をそのまま左頬に向ける、なるほど微かに赤く筋が入っていた。
「それに、、、変わらなかったからな
大丈夫お前ならやれるよ」
そう言って微笑む。
蜘蛛の渇望に流される事無く踏み止まれた事。
それが重要だった。
その言葉にグランの顔色があからさまに変わる。
やはり自分に蜘蛛の血が流れていることに気付かれていた。
頭の中でトウランスの言葉が木霊する。
-グラン、幻羽人の蜘蛛に対する憎悪と恐怖はすさまじい
お前が幻羽人として生きるなら蜘蛛の血が流れていることを
決して気付かれてはいけないぞ
どうして?自分はどんなへまをしたんだろうか?
糸も出さなかったと思うし牙も出てはいない
だけど、、、一本取るのに夢中になっていたから、、、。
悶々とし蒼白になっている。
「どうした?
全然嬉しそうじゃないな?」
その様子に気付いたトリストが訝る。
「トリスト、、、俺、、、
、、、だって解るようなどんなへま、、、」
たどたどしい言葉がグランから漏れる。
「なんだそんな事か」
グランの杞憂がわかりトリストが破顔する。
「安心しろへまなんかしちゃいないさ
しいて言えば出来過ぎたってくらいかな」
トリストはグランの不安を拂拭する様に話し始める。
「お前の動きや敏捷性は訓練で身に付けたというより天性の物だと思った
で、何の動きに一番近いかと考えたら思い当たったってトコだな
俺はなんだかんだと蜘蛛との接触が多くてな
奴らについてはかなり詳しいんだ
まぁ、お前が女ならいくら出来が良くても白の剣士に推薦はしないが
お前は男だし、しっかり理性もあるし前例もある事だし
大丈夫だろ」
「前例って?
まさか本当に蜘蛛の剣士が?」
トリストの言葉にグランが驚く。
「ああ、いた
たった一人だが、お前と違い彼は純粋な蜘蛛だ
少し他の蜘蛛とは変わってはいたけどな
俺の親父のダチだったらしい
お前は、多分混血だろう?
蜘蛛の特徴がほとんど無いし、素性を隠せって言ったのはトウランスか?」
「え、あ、うん
そう、トウランスが幻羽人として生きるなら隠せって、、、」
「賢明だな
幻羽人の蜘蛛に対する憎悪は根深い
白の一族にしたって似た様なもんだしな
蜘蛛だって付き合ってみればそう悪い奴等じゃないんだが、、」
色々思い出したような表情でトリストはそう言う。
「付き合うって、、、
トリスト、仲のいい蜘蛛とかがいるの?
その蜘蛛の剣士?」
「いや、俺は彼とは直接会った事は無い
大体、前大戦時の剣士だぜ?俺まだ生まれてないし
彼の事は全部親父の受け売りだ
んで、俺は、、、まぁちょっとばかり
蜘蛛とはいろいろあってな、、、」
そう言ってトリストは苦笑する。
「お前の素性に気が付くのは『彼』を知っている
マスタークラスの白の剣士ぐらいだから安心していい
理性のある男の蜘蛛に偏見を持っている奴は居ないと思うぜ
お前も自分からバラす必要は無いからな
今のまま隠してろよ?
特にリューズなんか筋金入りの怖がりだ、トラブルの元にしかならないだろうからな」
「う、うん」
グランは頷く。
そう、リューズには知られたくない。
怖がらせてしまうだけだと解っているから、、、。
「さて、その問題のお嬢さんは上手くあのまま頑張ったかな?」
ようやく落ち着いてきた砂煙の向こうを覗く。
砂煙の向こうに薄っすらとリューズの張った防護壁が現れる。
「トリスト、、今の話リューズに聞かれたんじゃ、、」
案外近くに居たリューズにグランが心配そうな声を出す。
様子を確認しようと防護壁を覗きこんだトリストは首を横に振った。
「大丈夫
中で伸びてる、、、つーかこれは寝てるな」
「へ?寝てる??」
意外な答えにグランの緊張が一気に解ける。
寝てるって?
視れば球状の防護壁の中に横たわり寝息を立ててるリューズが居た。
「大方伸びたまま寝ちまったんだろうな
まぁ、、防護壁を張ったままってのは立派だが、、、」
トリストの声も脱力気味である。
臆病で怖がりと皆に言わしめるリューズだがもしかすると案外大物かも知れない。
「どうする?
リューズが起きるまで此処に居るか?
まさかトウランス程の強度は無いとは思うが
これ割るのすげー痛かったからなぁ、、」
流石のトリストも素手で割るのは二度とごめんだと思っていた。
かと言って剣で攻撃するのももしものことがあればと躊躇してしまう。
なにしろ唯一回復魔法が使えるリューズ本人が中に居るのだ。
二人は防護壁の傍に腰を下ろした。
「そういやゆっくり話すのは初めてだよな
トウランスとはどこで知り合ったんだ?」
「え?うん
助けて貰ったんだ、、、俺」
グランはトリストに生い立ちを語り出す。
「俺、物心ついた頃にはもうずっと檻に中に居て
いっつも棒で叩かれてたんだ
宿屋だったかな、そこにトウランスがたまたま来て、、、それが出会いなんだ
俺の母親は幻羽人だったらしいけど蜘蛛に犯されて半狂乱のまま俺を生んで
死んだんだってさ
その宿屋の娘だったんだ
今思えば宿屋の主は俺を苛むことで娘の仇をとっていたのかもね
俺、半分蜘蛛だから
本物の蜘蛛にぶつけられない怒りを俺にぶつける事で紛らわせたんだと思う
そのために生かされてたのかな、、、
それとも少しは愛情を感じてくれてたんだろうか、、、
一応、俺、孫だし
トウランは両方だろうって言ってたけど
恐怖と憎しみと愛したい気持ちがよけい怒りを生んだんだろうって」
そう語るグランの眼には憎しみも悲しみも無く淡々と事実として総てを受け入れていた。
「あの時の俺は毎日ただただ痛いのが怖くて嫌で辛くて
それ以外の事なんか何も考えて無かったな
人が近づいて来るのが怖くて、笑い声が怖くて、、
だけど、トウランが初めて手を差し伸べてくれたんだ
俺の事殴ってた男達をぶっとばして俺を抱き上げてくれた」
「ぶっとばしたって?トウランスがか?」
普段からは想像がつかない行動に思わずトリストが聞き返す。
「うん、すっげ~強かった」
グランが嬉しそうに頷く。
「そりゃ、よほど腹に据えかねたんだな
へぇ、、、あいつがねぇ」
確かに自分と王子とで物覚えが良く器用なトウランスを面白半分に鍛えた記憶がある。
最終的にはマスタークラスの剣の腕になっていた。
唯の幻羽人相手にそれだけのスペックのトウランス。
そりゃ、ものすごく強かっただろうと、トリストは苦笑する。
「で、宿屋の主と話をつけてくれて俺を自由にしてくれたんだ
今までの仕打ちが許せないなら蜘蛛として生きるのもいいし
忘れ去ることが出来るのならこのままずっと自分と共に来るのでもいい
一人で生きて行ける年齢になったら俺の望むようにして良いって
俺はあの時差し伸べられた手の暖かさを忘れない
だからトウランの居ないあちら側には絶対行かないんだ」
差し伸べられた手の温もりを思い出すかのようにグランは自分の掌を見つめる。
そしてぎゅっと握りしめた。
それは幻羽人として生きる事を選んだ決意でもあった。
「ああ、蜘蛛の男は悲惨だから止めとけ止めとけ
幻羽人の方が絶対良いぞ」
トリストがグランの選択を後押しするかのようにそう言う。
「そういや、、さっき女だったらダメだって、、、
何かあんの?」
グランの問いに意外そうにトリストが答える。
「蜘蛛の女がどれだけ恐ろしいか知ってるだろ?」
だが、グランは首を横に振った。
「だって女の蜘蛛なんて見た事ないし、、、
悪さしてんのも大抵、男の蜘蛛だぜ?
俺、退治した事あるけど全部男だったし」
「ああ、、そうか男に比べて蜘蛛族の女は数が少ないからな
まだ会った事なかったか
本当に怖いのは彼女達だ、男の蜘蛛には無い知性と魔魅力を持ってるからな
知恵のある蜘蛛ってのは怖いぞ~
魔魅力の方はもっと厄介だけどな」
「あのさ、、、さっき俺の事理性があるから大丈夫だって言わなかった?
すっげー矛盾してんじゃん」
グランの疑問ももっともだが、いやいやと指を1本立て左右に振りトリストが言い返す。
「理性と知恵は違うだろうが
知恵と言えば聞こえがいいが彼女等は狡猾で悪知恵が効くんだよ
いいか、蜘蛛の社会は女王蜘蛛を頂点とする縦社会だ
人語をあまり解さず本能のままに生きている男の蜘蛛の群れを
一匹の女王蜘蛛が率いている
蜘蛛の男ってのは腹が減れば獲物を襲い、腹がくちくなれば寝る
実にシンプルな生き物だ
そして己より強者が居れば従順に従う
その性質を上手く利用すれば純粋な蜘蛛も幻羽人を襲わない様に教育する事も
実は可能なんだ
現にシェラはもう10匹近く成果をあげている
シェラが女だというのも成功の一因だろうけどな」
トリストの話をグランは感嘆の声をあげ聞き入る。
考えれば自分は蜘蛛についてほぼ何も知らなかったと自覚させられる。
「つまり蜘蛛の男は従う事を本能的に受け入れやすい種ってことだ
己が納得し理に目覚めればある程度の抑制が効く
白の剣は殺める為の物ではない生かすための剣だ
例え相手が蜘蛛でも無闇に殺める事を良しとしない
剣は手の延長、使う者の心次第だからな」
「あっ、それトウランに習った
一番初めに言われたんだ」
白の剣士が最初に習い、そして真髄ともいえる言葉である。
「まぁ、概ねそれが男なら大丈夫と言った理由だ
だが、女の蜘蛛、女王蜘蛛はそうはいかない
男の上に君臨する事が常の彼女たちは従うという事が理解できない
人語を解し高い知能を有するのに価値観が全く相容れない
彼女達が最優先で考え望み実行するのは種の保存
より強い男の子供を産むことだ、それ以外は全く考えていない
厄介な事に彼女達が持つ魔魅力は他種族の男にも絶大な威力を発揮する
彼女達が望めばどんな種族の男も骨抜きにされてしまうんだ
勿論、俺達白の一族も例外ではない
そして子種を宿したが最後、用済みの相手の男は魔魅力の力に囚われたまま
抗う事も出来ず出産に必要な養分として喰われる」
トリストの言葉にグランは戦慄を覚える。
強制的に操られ果ては喰われてしまうとは。
「な、蜘蛛の女ってのは怖いだろ?
蜘蛛の男が悲惨だってのはそういう訳だ」
ニヤリとトリストは意地悪く笑ってグランを見る。
「う、、うん」
コクコクとグランは何度も頷いた。
幻羽人を選んで本当に良かった、、、と。




