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The Man Who Would Not Die: 死んでたまるか!  作者: Operator3118
第1章 支援機関の外へ
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第4話 熱の国


 飛行機がウドンターニー国際空港に降りたのは、現地時間の午後一時過ぎだった。


 タラップを降りた瞬間、空気が変わった。


 熱かった。


 ただ気温が高いというだけではない。

 空気そのものに厚みがあった。肺に入るたび、見えない布を押し込まれるみたいだった。日本の一月の空気は刃物に似ているが、ここの空気は鈍器だった。切るのではなく、正面から殴ってくる。


 柏木は三歩歩いて立ち止まった。


 陽射しが強い。白いコンクリートが光を跳ね返し、目の奥まで熱を差し込んでくる。滑走路の向こうで空気が揺れていた。遠くの景色が、熱で少し溶けて見える。


 白いロングコートを脱いだ。

 バッグに押し込む。


 それでもまだ暑かった。


 首筋に汗がにじむ。背中に熱が貼りつく。シャツの内側に、じわりと湿り気が広がっていく。日本を出た時には冬だった。数時間で季節ごとひっくり返された気分だった。


 ターミナルに入ると、冷気が肌に当たった。ようやく息がつけた。だがその冷たさも、外の熱を忘れさせるほどではない。体の芯に入った暑さは、簡単には抜けなかった。


 手荷物受け取りのベルトの前で待ちながら、黒のジャケットも脱いだ。バッグに入れる。


 残ったのは紅色のベストとシャツ、シルバーのネクタイ、黒のスラックス、革靴。革手袋はまだつけていた。サングラスも外していない。


 周りのタイ人が何人か柏木を見た。


 外国人は多い。だが、この格好の外国人は多くない。真昼のウドンターニーで、ベストとネクタイと革手袋。暑さに喧嘩を売っているような格好だった。


 視線には慣れていた。


 到着ロビーに出る。


 人を探す。


 **KASHIWAGI**と書かれたボードを持つ男がいた。


 三十代後半。タイ人。身長は百七十センチ前後。細身だが肩に厚みがある。日に焼けた肌。目が静かだった。笑っていない目ではなく、静かな目だった。何かを長い間見続けてきた人間の目をしている。


 柏木はその男に近づいた。


 「スッティンか」


 「柏木さん」


 日本語だった。発音がきれいだった。


 「はい」


 「長い旅でしたね。疲れましたか」


 「いいえ」


 スッティンは柏木を頭から足まで一度見た。それから、わずかに口元を動かした。


 「暑いでしょう」


 「暑い」


 「コートは」


 「バッグに入れた」


 「ジャケットは」


 「同様」


 スッティンはまた柏木を見た。


 「それでも十分に目立ちます」


 「そうか」


 「はい。かなり」


 柏木は答えなかった。


 空港の自動ドアが開くたび、外の熱気が吹き込んでくる。排気ガスの匂い、乾いた土の匂い、どこか甘い果物みたいな匂いが混ざっていた。知らない国の匂いだった。嫌ではない。ただ、油断すると体の中まで入り込んできそうだった。


 「行きましょう」


 車は古いトヨタのピックアップトラックだった。年季は入っているが、壊れにくさだけで選ばれたような車だった。荷台には何かが積んであり、ブルーシートで覆われている。


 助手席に乗り込むと、シートが熱を持っていた。エンジンがかかり、エアコンが唸る。冷たい風が出るまで少し時間がかかった。


 市街地を走る。


 ウドンターニーは思ったより大きな街だった。バンコクほどではない。だが田舎でもない。ショッピングモールがあり、チェーンのコーヒー店があり、道路は広い。バイクが多い。信号待ちのたびに、排気の熱が窓越しに伝わってくる。屋台の鍋から湯気が上がり、果物を積んだ荷車が道端に止まり、犬が日陰で腹を見せて寝ていた。


 「タイは初めてですか」


 スッティンが聞いた。運転しながら、視線は前に向けたままだった。


 「初めてだ」


 「どう見えますか」


 「普通の街だ」


 「ここは普通の街ですよ」


 スッティンは言った。


 「問題は街の外です。農村部。あるいは裏側。表から見ると普通です。それがタイです」


 「日本と同じだな」


 スッティンは少し間を置いた。


 「そうかもしれません」


 車は市街地を抜け、少しずつ建物の密度が下がっていった。派手な看板が減り、低い家が増える。道路脇に乾いた草地が広がり、遠くに赤茶けた土が見えた。空が広い。広すぎて、隠れる場所がないようにも見えた。


 シェルターは市街地から二十分ほどの場所にあった。


 民家を改装した建物だった。外から見れば普通の家だ。二階建てで、庭に木が数本あり、洗濯物が干してある。目立たない。目立たないことに全力を尽くした家だった。


 中に入る。


 扇風機の風が回っていた。冷房は弱い。室内には米の匂いと洗剤の匂いと、人が多く暮らす場所特有の湿った匂いがあった。


 十人ほどの人間がいた。若い女性が多い。タイ人らしき顔。ラオス人らしき顔。子どもが一人、床で何かをして遊んでいた。


 全員が柏木を見た。


 誰も何も言わなかった。

 柏木も何も言わなかった。


 その沈黙は、歓迎の前の沈黙ではなかった。

 値踏みでもない。

 もっと切実な種類の沈黙だった。この人間は安全か。ここにいていい人間か。そういう沈黙だった。


 スッティンがタイ語で何か言った。


 人々の表情が少し緩んだ。


 「日本から来た、信頼できる人間だと言いました」


 「タイ語で信頼できる人間はどう言う」


 「コンティーチュア」


 柏木は繰り返した。


 「コンティーチュア」


 発音が悪かった。だが何人かが笑った。小さく。本物の笑いだった。緊張を隠すためのものではなく、少しだけ空気がほどけた時の笑いだった。


 子どもが柏木の革手袋を見ていた。


 柏木が視線を向けると、子どもは母親らしい女の後ろに半分隠れた。だが完全には隠れなかった。怖がっているというより、珍しい動物を見る目だった。


 「部屋を案内します」


 スッティンが言った。


 二階へ上がる。廊下は狭く、床板が少し軋んだ。窓の外では、強い陽射しに庭の葉が白く光っている。


 案内された部屋は簡素だった。ベッドが一つ。机が一つ。扇風機。小さなクローゼット。壁は薄く、外の音が少し入る。


 「ホテルではありません」


 「見れば分かる」


 「すみません」


 「謝る必要はない」


 スッティンは頷いた。


 「今日は休んでください。詳しい話は夜に少しだけ。明日、現場の説明をします」


 「分かった」


 スッティンはドアのところで一度止まった。


 「一つだけ」


 「何だ」


 「ここでは、夜に外へ出ないでください」


 「理由は」


 「まだ土地勘がないからです」


 柏木はスッティンを見た。


 「それだけか」


 スッティンは少し黙った。


 「それだけではありません」


 「何がある」


 「見られていることがあります」


 柏木は何も言わなかった。


 スッティンもそれ以上は言わなかった。


 ドアが閉まる。


 柏木はバッグを床に置き、ネクタイを少し緩めた。窓を開けると、熱気がすぐに入ってきた。遠くで犬が吠えている。バイクの音がする。鳥の声もする。知らない国の午後は、音の並び方まで違っていた。


 ベッドに腰を下ろす。


 汗がまだ引かない。シャツが背中に張りついている。扇風機の風はぬるいが、ないよりはましだった。


 柏木は煙草を取り出しかけて、やめた。

 この部屋で吸っていいか分からない。初日にやることではない。


 代わりに水を飲んだ。


 夕方、少しだけ外の光がやわらいだ頃、下へ降りた。


 食事が用意されていた。タイ東北部の料理だった。香草の匂いが強く、唐辛子の赤が目に痛い。柏木は一口食べて、無言で水を飲んだ。


 スッティンがそれを見た。


 「辛いですか」


 「辛い」


 「大丈夫ですか」


 「大丈夫だ」


 「本当に」


 「たぶん」


 スッティンが少し笑った。


 その笑い方で、柏木は少しだけ分かった。

 この男は人を安心させるために笑うのではない。必要な時だけ笑う。だから軽く見えない。


 食事の席では、込み入った話はしなかった。

 誰がどこから来たか。ここには何人いるか。子どもは一人だけか。そういう表面の話だけだった。


 それで十分だった。


 夜になると、熱は少しだけ引いた。だが日本の夏の夜みたいに涼しくはならない。空気はまだぬるく、肌にまとわりついていた。


 二階の部屋に戻ってしばらくすると、遠くでバイクの音がした。


 一台ではない。二台か三台。

 通り過ぎるだけの音にも聞こえる。だが一度遠ざかってから、また近づいた気がした。


 柏木は窓辺に立った。


 灯りは少ない。道路の先は暗く、木の影が溶けている。何も見えない。見えないが、見えないこと自体が少し気になった。


 しばらくして、階下でドアの開く音がした。

 低い声で、スッティンが誰かと話している。タイ語だった。内容は分からない。だが声の調子で分かることはある。穏やかではあったが、気を抜いた声ではなかった。


 数分後、またドアが閉まった。


 柏木は窓から離れた。


 ベッドに腰を下ろす。

 この家は普通の家に見える。だが普通の家として使われてはいない。ここにいる人間は、隠れるために暮らしている。隠れる生活は、生活の形をしていても、どこかずっと戦時中に似る。


 扇風機が回っている。


 遠くでまたバイクの音がした。


 柏木は天井を見上げた。


 日本を出て一日目。

 まだ何も始まっていない。

 だが、もう日本ではなかった。


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