僕は社畜ではないと思う。
僕は社畜ではないと思う。
ある同僚は、仕事量やペース配分でよく文句を言う。
体調を崩したり、休みをとれなかったりしているが、それはただの自己管理不足。
上司に頼まれた仕事をこなして、期限に間に合わせて結果を出す。
それが当たり前だ。
休みの日に呼びだされるのも、ただの予定変更。
なにもおかしくはない。
今日は、女子社員のミスがもとになり、課長が盛大に炎上させたトラブル対応にあたった。
「どうしましょう……課長、帰っちゃったんですけど。
謝りにいかなきゃですよね? えーやだなぁ……
あのう、蜜森さん。代わりになんとかしていただけませんか?
お願いしますよぉ。担当者じゃなくても大丈夫だと思うんで!」
と、いうわけで、関係先に電話をして数時間にわたり受け答えをした程度。
きちんと謝罪から入り、理路整然と説明をしたら納得してもらえた。
たいした問題ではない。
「蜜森さんがいてくれてよかった……! ほんとカピバラですよね、蜜森さんって」
その女性社員が、言った。
……意味がわからない。
カピバラとは、温厚な動物ではなかったか。
ひとまず、同様のミスをしないよう釘をさしつつ、自作のクッキーを渡しておいた。
甘いものに目がない彼女には、効果てきめんだと知っている。
予想どおり、「カピバラじゃなくて神ですか?」と、目を輝かせていた。
こうして仕事を終えて帰宅したのは、日付をとうにまたいだ深夜。
寝る前に、プレゼント用の菓子作りにとりかかる。
用意していた材料を取りだし、まずは焦がしバターを作る。
材料を混ぜて、型に生地を流しいれ、予熱したオーブンに放りこむ。
しばらくして――香ばしい香りが漂ってきた。
オーブンができあがりの合図を鳴らし、焼きあがったフィナンシェが姿を現した。
仕上がりは、まずまず。
中央付近にできた、へそのような盛りあがりとひび割れもうまくできている。
一つを型から外し、半分に割ってから片方を口へ。
……悪くない。及第点は越えたな。
残りも型から外してケーキクーラーにのせ、後片づけ。
シャワーを浴びて戻ってみれば、ちょうどよく冷めていた。
プレゼント用にラッピングすれば、完了。
時刻は、早朝4時前。
歯を磨き、寝室へ。
明日は休日だが、予定があるのでアラームを6時にセットする。
よし。今日も、とても充実した日だった。
満足感をおぼえつつ、温かい布団に身をゆだねていると、次第にまどろんでいった。
◇◇◇
起床して身支度を整え、実家へとむかった。
今日は、両親の30回目の結婚記念日。
それを記念して、1泊2日の温泉旅行に行こうと誘われたのだった。
仲が良いのか悪いのか、断定しがたい夫婦だと思う。
最寄り駅から歩いてむかうと、実家の前にはすでに見慣れた懐かしい車が停まっていた。
ちょうど、両親が荷物を積みこんでいるところだった。
「ああ、風。おかえりなさい」
「遅いぞ。またぼけっとしてたのか? 荷物、さっさと入れろ」
腕時計で時刻を確認する。
……出発予定時刻の15分前だった。
今の父さんの発言は、ただのあいさつ。
うなずきながら、車のトランクの空いたスペースに旅行鞄を入れる。
と、そこで、用意してきたプレゼントを取りだした。
「結婚30周年、おめでとう」
「あら! ありがとう。なーに?」
まずは母さんに、昨日の晩寝る前に作ったフィナンシェの包みを。
それから、父さんに大好きな日本酒の瓶が入った箱を。
「おお、坂島か! さすがわかってるな!」
「私のはフィナンシェね? ありがとう。嬉しいわぁ。風の作るお菓子、ほんと美味しいのよね」
二人ともとても喜んで、「ドライブの途中で食べるのもいいわね!」とか、「宿についたら一杯やるか!」などと言っている。
予想どおりの反応。
……悪くないな。
最近は些細なことで言いあいになるケースが増えてきたそうだから、始まりに機嫌をよくさせるのも必要不可欠なのだ。
「よーし、忘れもんねぇか?」
「お父さん、あそこの割引券もった?」
「あ?……あ、いっけね! 忘れるとこだった!」
「もう。あんなに言ってたのに」
ぶつぶつ言う両親を尻目に、僕はさっさと後部座席に乗りこんだ。
遅れて母さんが助手席に、最後に走ってきた父さんが運転席に。
「おし。全部持った。いいな? 行くぞ」
「はいはい。安全運転でね」
「うるせぇな、わかってるわ。いちいち言うな」
「念のために言っただけじゃない」
……プレゼントがあろうがなかろうが、あまり意味はないようだった。
言いあいになって、トラブルを起こさないように気を配る必要があるな。
動きだした車の中で、窓の外を眺める。
怒りを紛らわせる――気をそらせるには、視点を変えさせるのが効果的。
近くや遠く、見えるものを確認しながら、二人が興味をひかれそうなものを探した。
「風、疲れてるんじゃない? ぼんやりした顔してるわよ」
「……いや」
疲れはない。体調はすこぶるいい。
「お前んとこは今ちょうど繁忙期だろ? よく休みとれたな」
「……まぁ」
視線は動かさないまま、返事をした。
繁忙期だろうが閑散期だろうが、きちんと計画を立ててやるべき仕事をこなしていけば、休みなど簡単にとれる。
「すこし眠ったら? ついたら起こすから」
「そうだな。あそこの……なんだっけな? なんとかっていう道の駅ついたらな」
「……じゃあ、よろしく」
睡眠時間は普段とさほど変わらないため、寝不足ではない。
しかし、せっかくの申し出なので、ありがたく甘えることにし、目を閉じた。
◇◇◇
――どれくらいたっただろうか。
ふと、妙に体が熱いと感じ、目を開けた。
目の前に、炎がせまっている。
状況を確認しようと体をすこし動かした途端、激痛が走る。
……なるほど。
どうやら事故にあったようだ。
「父さん……母さん」
……返事がない。
すでに意識を失っているようだ。
生存率をすこしでも上げるには、できるだけ早い救助要請が肝心。
上着のポケットに入れていたスマホを取りだそうとして、再び激痛に襲われて――視界が、暗転した。
「しっかりしろ!」
――だれかの声が、聞こえた。
目をなんとかこじ開ける。
視界いっぱいに、焦った様子で必死に呼びかけてくる見知らぬ人の顔。
漂ってくる、お菓子のような甘いにおい。
……甘いにおい?
「おい大丈夫か! すぐに手当てを――」
僕の体を助けおこそうとしたその人に、手をのばす。
その手が握られたところで、はぁ、と一度息を大きく吐いた。
違和感がする。けど、今は。
「前方座席。二人いる。優先順位は、そちらが先だ」
状況をなんとか伝えた瞬間――意識が、勝手に闇に沈んだ。
◇◇◇
気づくと、見慣れない木目の天井が見えた。
ここは……どこだ?
ほのかに、甘いにおいが鼻をかすめた。
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