第二十四話『かつてありふれていた日常を』
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ーー夢を見ているのだ。
ーー遠い遠い記憶。失われた思い出の端。
これは前世の出来事だと、二十一世紀を生きるただの少女は理解する。
この夢は、擦り切れたフィルムを回して見ているだけの映画と変わらない。そこに少女の意思は介在しないのだ。
かろうじて輪郭を保っていた少女の自我は、白銀の魔法少女の激情に呆気なく四散する。
そして。
「ビ、ビアンカ……」
古めかしい調度品で誂えられた談話室の前にて、ビアンカはエニフェルと対峙していた。
真紅の瞳をこれでもかと丸く見開いて動きを止めるエニフェルに、蛇に睨まれた蛙のようだと思う。
さもありなん。なにせ忍足で談話室を通り過ぎようとしていた彼女を勢いよく扉を開けることで引き留めたのだから、その驚愕は察して余りある。
むしろそうでなければ意味がない。
時計の針が深夜をゆうに過ぎた時間帯。そもそも、丸三日消息をたった彼女の行方を文字通り血眼になって探していたビアンカは、正しく獲物を追い詰める蛇であった。
ぐっと掴んだ腕を握り直し、部屋の中に引き摺り込む。
「お、やっと帰ってきたか」
「ちゃんと反省するんにゃね」
部屋の中央に置かれた長椅子で寛いでいた閃光の魔法少女と歌詠の魔法少女が、連行されてきたエニフェルを見てカラカラと笑って囃し立てる。
しかし軽快な口調とは裏腹に、目元のクマや安堵の色が二人の心労を如実に物語っていた。
無論、全ての原因は失踪したエニフェルにある。
「じゃ、こっちは勝手にメディカルチェック始めるわよ」
呆れた顔の死生の魔法少女が指を振って、エニフェルの足元に紫色に輝く魔法陣を展開する。体内の損壊や外傷を検めているのだ。
「任せます」とカルテを書き込んでいくシオンに言って、ビアンカはエニフェルの泳ぐ目を見下ろした。
「おかえりなさい、エニフェル」
「ひぇっ……」
迅る不安を一瞬で凌駕した安堵。ふつふつと湧き出る憤り。
燃えたぎる熱をそのまま喉元まで押し上げて、けれど口から飛び出た声音はあまりにも冷ややかだった。
なるほど。人とは沸点まで上昇すると一周回って冷静になれるらしい。
ビアンカが此度の騒動で学んだことは我らがリーダーには首輪をつけた方がいいことくらいだと思っていたが、そうでもなかったようだ。
もっとも、人の沸点をぶち破ってやっと冷める頭が、正常であればの話だが。
「び、ビアンカ、その……」
「三日に渡る遠征は楽しかったですか? えぇ、楽しかったでしょう。楽しかったですね? 新たな仲間の誘致も完璧にこなされて、さすが我らの王。我らが炎」
エニフェルの声を遮って、歌のような言葉はほぼ全て一律に、平坦に綴られた。
ビアンカがにっこりと笑えば、エニフェルはサァッと顔を青くする。
パキリ、と。ビアンカの足元に広がる霜柱を踏めば、砕けた霜が冷気となって部屋を冷やした。
「エニフェル、正座」
「は、ハイっ!!」
ビアンカの一声に、エニフェルは飛び上がって床に座った。ビロードの柔らかな絨毯が彼女の軽やかな体重を受け止める。
「言いましたよね、私。保護対象を迎えにいくときは万全を期してから行くと」
「ハイ!」
「魔法少女は人工的に成るもの。必ず後ろ暗い企てが背後にいるのだから、無闇矢鱈に突っ込んでしまえば足を掬われるのはこちらになると」
「ハイ!」
「特に!」
びしり、とエニフェルの隣に立つ少女を指差す。
髪を飾る簪と刺繍が施された服は、欧州では見かけない装いだった。
知識に間違いがなければ、確か清国の儒裙と呼ばれる民族衣装だったはずだ。
であれば彼女は、先日魔法使い達が持ってきたリストに載っていた保護対象ーー魔法少女となった疑惑のある子供の一人だろう。
「情報が少ない東方面への潜入は慎重に行うと、私、ちゃんと言いましたよね!?」
「ハイッッ」
「じゃあなんで一人で勝手に行ったんですか!!!」
バリンっとついに霜柱は太く硬い氷柱となってビアンカの叫びに呼応した。重力に逆らって上向きに生える切先が、シャンデリアの光を浴びて鋭く光る。
肩を怒らせるビアンカに、エニフェルは「その、だな……」と歯切れ悪く口ごもった。
いつもの彼女らしくない態度に、ビアンカは苛立ちがまた燃え始めたのを感じた。
彼女の生存を確証するまで、戻ってきてくれればなんでもいいと思っていたのに。ぎり、と奥歯を噛む。
否。
「……そんなに、足手纏いだったんですか?」
「え?」
「私を連れて行くのが嫌だったんでしょう。だから一人で行った。違いますか?」
「おい、落ち着」
「貴方を守れなかった私に愛想が尽きた。そうなんでしょう!?」
「違う!!!」
湧き上がるのも、噴き出すのも、燃え始めたのも、怒りではない。
罪悪感と恐れだ。彼女が一人で海を渡ったと知った時、ビアンカは置いていかれたのだと感じた。
そしてそれが、すべてビアンカの非による所為なのだと、ビアンカ自身が理解していた。
ーーなにせ、海峡付近まで彼女を人攫いに誘拐されたのは、紛れもなくビアンカの失態なのだから。
「私が、貴方を守れなかったから……! だから……!」
いつもの買い物のはずだった。二人で街へ赴き、日用品を買い揃えるだけの。
けれど少し目を離した隙に、彼女の姿は消えてしまった。
警戒を怠っていたのだ。紛れもなく、ビアンカのせいだった。
エニフェルの地位は、もう実験施設の頃と同じじゃない。番号で呼ばれる彼女はもういない。
イギリスの上流階級で知らぬ人はいないほど、注目を集める社交界の華となったのに。
もはや取り繕う余裕もなかった。
三日間に渡る緊張状態。この目で安否を確認した瞬間の安堵。そして際限なく湧き出る罪悪感と恐れ。
それらが束になってビアンカの心の防波堤を破壊して、洪水のように涙を溜める。
しゃくりあげる喉が不快だった。
本当なら、叱責を受けるべきなのはビアンカだ。主君と定めた相手を守れずに、彼女の右腕を名乗るなど、なんて烏滸がましい。
けど、それでも、エニフェルに見限られるのは嫌なのだと心が叫ぶ。
その衝動のまま、言葉を続けようとして。
「はーい、ストップにゃ」
パンっと軽やかな拍手が部屋に響く。
水色の髪を揺らして、マリアが長椅子から立ち上がっていた。軽やかな足取りで、彼女はビアンカの隣に並ぶ。
「もぉ、ほんとエニフェルは罪な女だにゃあ? ビアンカをこんなに泣かせるにゃんて」
よしよし、とマリアはビアンカの頭を撫でた。
深海のように深く、瑠璃のように鮮やかな青色の瞳がゆるりと細まる。
「そんな深く考え込んでもいいことないにゃ? どーせ、近くまで来たし行けるところまで行ってみようって感じだったにゃん?」
「確かに。連絡をしなかったのも、単にテンション上がって忘れてただけだろ?」
歩きながらボサボサの赤い髪を整えたリズが、エニフェルの隣に立つ。
肩にポンと手を置いて笑った彼女の、黄金色の瞳が揶揄うように煌めいた。
「まぁ、それでも一報入れるべきだったと思うけど。人攫いだって、伸して海に沈めたんでしょ?」
「元気満点ね。ムカつくわ」とシオンが呟く。
髪と同じ白色の睫毛が伏せられて、葡萄酒のような紫色の瞳には影ができていた。
「うぐ。まぁ、そうなんだが」
図星を突かれて、エニフェルはバツが悪そうに頰を掻いた。
そして立ち上がり、ビアンカの手を取る。
「すまなかった。その、お前がそんなに思い悩むとは思わなくて。……私の落ち度だな。いつもお前には迷惑ばかりかける」
眉を下げてそう言うエニフェルは、ビアンカの目尻にたまった涙を指で掬った。
「……私も、すいません。貴方を守れなくて」
「あぁ、許す。だからあんな悲しいことはもう言わないでくれ。私が命を預けるのも、右腕だと誇るのも、お前だけなのだから」
こくり、と頷くビアンカを撫でながら、真紅の瞳がマリアに向けられる。
「マリア達も、心配かけてすまなかったな」
「本当にゃ。これはフルーツタルトを用意して貰わないと割に合わないにゃん?」
「じゃあアタシはミルフィーユ」
茶目っ気にウインクまで付け足したマリアと、手をあげて便乗するリズ。
「任せろ」と頷いたエニフェルに、それならとシオンが腕を組んでニヤリと笑った。
「りんごのタルト。もちろん、パリのプレズィールのやつ」
「それ、王室御用達のお店じゃなかったにゃん?」
「そうだけど?」
「ははっ。容赦ねー」
リズが快活に笑う。
「ビアンカは? 何がいい」
「いえ、私は……」
「遠慮するな。私に、お前と茶会をする栄誉をくれないか」
未だ尾を引く罪悪感からか、ビアンカは首を横に振ろうとする。けれどエニフェルがそう言えば、彼女は小さな声で「レモンパイ」と答えた。
そしてシオンが、エニフェルに連れられた少女に向き直る。
「じゃ、貴方は何が食べたい? 新人さん」
ぱちくり、と。漆黒の瞳は音がするくらい大きく瞬いた。
「あ、ごめんにゃ。こっちのゴタゴタで待たせちゃって。それもこれもエニフェルってリーダーが悪いにゃん?」
「悪かったって」
「ていうか、その服重くない? ひとまず着替えね」
「身長的にはリズが一番近いにゃん」
「おー。なんか持ってくるわ」
なんかあったかなーと首を捻りながら部屋を出ようとしたリズは、思わず吹き出したと表現するべき笑い声に振り返った。
「エニフェルが言ってた通り、楽しいところだね。ここは」
太陽に当たってこなかったであろう。透き通った白い手が、むんずと黒髪を飾る簪を掴んで引き抜く。
長い髪が腰に落ちて、まるで川のようだった。
「私はレイ。よろしくね」
少女ーーレイはそう言って。
「菓子ならおはぎがいいなぁ」
「ーーいや、おはぎはイギリスにないでしょう!?」
目が覚める。最早見慣れた寮の自室で、ビアンカは夢の内容に突っ込みを入れた。
窓から差し込む朝の日差しをベッドの上で浴びながら、昨日のレイの言葉を反芻する。
『まんまビアンカだったよ。今の』
全然違うと思っていた。
文武に優れ、気高い白銀の魔法少女は、ビアンカにとって羨望であり、やがては至らなければならない大きな存在だったからだ。
けれど、先ほど見た夢は。
「……確かに。似てた、かも」
流れてきた激情と言葉は、決して他人事とは思えないほど似通っていた。
そんなことを思って、ふとビアンカは気づく。
「え、あれ? 憶えてる。私、夢の内容を忘れてません!」
いつも喪失感だったり、希望だけを残して消えていく夢は、目覚めた今も克明に思い出せた。
それは、ビアンカが前世の夢を見始めてから初めてのことだった。
夕映えのゲヘナに立っている、第二十四話を読んでくださりありがとうございます!
面白いな、続きが楽しみだな、と少しでも思ってくれたら幸いです。
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