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第二十三話『杞憂に過ぎないのだ』

 影が波打つ。


「やぁ」

「え、えぇぇぇ!?」


 ビアンカは自身の影を二度見した。そもそも波打つってなんだ。影に波は存在しない。

 しかしそんな形容詞が相応しいのだ。ぷかぷか海に浮く浮き輪のようにビアンカの影から頭を出して、さらには片手を振って間延びした声をあげた女にひっくり返った声が出る。

 がたっと両手で抱えていた荷物が揺れた。


「れ、レイさん!?」

「久しぶり〜」

「ちょっ。誰かに見られたら……!」


 わたわたと慌ててビアンカは辺りを見渡す。

 放課後の廊下、それも先に資料室しかないこの場所だったことが幸いしたのか、周囲に人の姿はない。


「大丈夫だよ。ちゃんと確認済み。それよりエニフェルは?」

「せ、先輩は今日は校外学習に行ってます。もうすぐお戻りになると思いますが……」

「こうがいがくしゅう?」


 しどろもどろになりながら答えれば、レイは首を傾げた。表情の幼さに、ビアンカは思わず微笑む。

 洗脳が解かれ、何故かIT企業の令嬢となったレイ。エニフェルと同様に三百年前を生きた彼女は、現代の事柄には疎い。


「はい。学校の外の施設で、いろんな学びに触れる機会を、校外学習というんです」

「へぇ。ビアンカは行かなかったの?」

「今回は二年生のみですから。私はエニフェル先輩とは学年が違いますし」

「ふーん。……あの魔術師は?」

「桐絵先輩は二年生なので、エニフェル先輩と一緒です。確か天文博物館、と言っていましたよ」

「そうなんだ。エニフェルが魔術師と一緒、ねぇ……」


 レイが窓の外を睨め付ける。やはり、自分たちの滅びの元凶である組織に属する葉月への心情はよくないようだ。

 いや。むしろあれほど葉月に気を許しているエニフェルが特殊なのだろう。


 記憶のないビアンカには、赦しも憎悪も存在しないけれど。


「先輩に何か御用ですか?」

「うん。ちょっとね」

 

 そう言って床に手をついて影から這い出たレイは、そのままビアンカの荷物ーー積み重なった二つの段ボール箱をひょい、と取り上げた。


「あ……!」

「持つよ」

「す、すみません。大丈夫ですか?」

「平気平気。魔力で身体を強化してるから、重さはそんなに感じない」


 言葉通り、重量を感じさせない軽やかさでレイは箱を持ち直す。


「これ、中に何が入ってるの?」

「さぁ……。先生に、資料室に持って行くよう言われただけなので」

「一人でこの量は流石に無謀じゃない? なんでビアンカだけにやらせてんの?」


 隠しもしない詰問の棘に、ビアンカは眉を下げた。

 顔も知らない相手に対する苛立ちは、翻ってビアンカを案じるためのものだ。だからこそ、口篭ってしまう。


「ビアンカ?」


 訝しげな顔をするレイに、ビアンカは首を振った。そして、何でもないのだと笑おうとして。


「うわ。本当に一人で持って行ったよ。水無瀬さん」

「えぇ? また先生への点数稼ぎでしょ。私達は助かるけど」


 資料室とは反対の、廊下を曲がった先にある教室。そこから聞こえてきた声に、不格好な顔のまま凍りついた。

 人目も憚らず聞こえてくる会話は尚も続く。


「ていうかさ、普通に嫌いなんだけど。いつもおどおどしてるし、少し強く言っただけで泣こうとするじゃん」

「いい子ちゃんぶってるのよ。絢華さんの気を引きたくて」

「まじ? やばすぎるでしょ」


 おどおどしていて、すぐ泣いて。

 白銀の魔法少女では決してありえない。けれど、今のビアンカを的確に言い表す言葉だ。

 キャラキャラと高い声で交わされる会話には、誰もが気付くほどの悪意と妬みが滲み出ていた。

 ビアンカの視線は自然と下を向く。

 そして見えたそこに。床に、自分以外の足があることに気がついて。


 ビアンカはヒュッと息を呑む。


 宵闇の魔法少女、レイ。

 誰よりもエニフェルの隣で生きた、白銀の魔法少女を見ていた仲間の一人。

 エニフェルと並び立つ高潔な女を認めた彼女に、その皮を被っている中身が、そんな風に嗤われるほど惨めな女だと知られてしまう。

 凛々しく強いビアンカの姿は見る影もなく、こんな小さな悪口にさえ震える自分になってしまったと。そう、知られてしまっては。


「あいつらーー」

「駄目……!」


 その時レイが何て言ったのか、これっぽっちも聞こえてはいなかった。

 ただ無我夢中でその腕を引き、彼女の耳を塞ごうと手を伸ばす。


「え!? ちょっ」


 バランスを崩したレイから放り出された荷物が大きな音を立てて床に落ちる。

 だがそんなことは思考の外で。レイの背中が壁に当たって、ようやっとビアンカの手が彼女の耳に届く。


「聞かないで……」


 落下の音が反響を終えて、途端に廊下は静まり返った。

 いつの間にかビアンカの陰口を話していた生徒達は居なくなっていたらしい。それでさえ、ビアンカは気付くことができなかった。

 小さな懇願の声。痙攣した喉が不器用に息を吐く。全力疾走したかのような脈拍が異常で、なのに指先は冷え切っていた。


「ちゃんと思い出します。前、みたいに、強くなります……から……」


 誰も彼もが、あの人の隣に相応しくないとビアンカを指差す。

 顔を顰めて嫌そうに。忌々しく嗤って。

 毎日のように浴びる言葉と視線は、ビアンカの自尊心を壊すには十分だった。彼女達の会話に、自然と俯くようになってしまうくらいに。

 けれどきっと、白銀の魔法少女は違うのだ。

 そしてその違いを知ったレイに。


「だから、エニフェル先輩の隣に居させて下さい……!」


 エニフェルが見そめた極彩色の一人。過去を共有し今を生きる唯一。

 そんな人に落胆され、彼らと同じようにエニフの隣に立つに相応しくないと言われたら。


 想像した予感に血の気が引く。

 レイに失望されたくない、落胆させたくないという思いが強く湧きたって、激情は涙になって溢れ出た。

 歯を食いしばって嗚咽を我慢するのに、ぼたぼたと落ちる雫がビアンカの矜持を台無しにする。

 けれど言葉が喉に詰まるビアンカに、訝しげに聞いていたレイは徐々に漆黒の目を見開いた。

 そして。


「ーーぷっ。あはははは!!」


 あろうことか、ビアンカの切実な訴えを聞いたレイは笑い声を上げた。


「うそ。本当に記憶ないの? まんまビアンカだったよ。今の」

「……え?」


 そして彼女はずいっと身を前に出す。ポカンと呆けた顔をするビアンカに「ごめんごめん」と軽く謝った。

 馬鹿にしたわけでも、蔑んだわけでもなく。ただ、本当にありえないものを前にしたから可笑しいのだと、レイは言う。


「そ、んなわけないじゃないですか」


 なんとか喉奥から出した言葉は震えていた。

 そうだ。そんなわけがない。


「全然似てません。ビアンカは……白銀の魔法少女は、私なんかよりもずっと気高くて、強くて、かっこいいんです」


 言葉尻が小さくなっていくのは、その差を埋める自信がないからだ。

 語られる前世の自分はあまりにも眩しくて、今の至らないところばかりが浮き彫りになる。


「私なんか……全然……」


 そう呟いて力無く項垂れたビアンカに、「あー」とレイは苦笑した。

 何も知らない少女に自慢げに話すエニフェルが想像できてしまって、仕方がないかと思ったのだ。


「確かにあいつはかっこいいけど、でも弱音だって吐いてたよ」

「……弱音?」

「うーん、弱音というか愚痴? 惚気っぽいとこもあったけど」


 静かな語りには節々に気やすさがあった。

 懐古に目を細めたレイは、白銀の魔法少女について話し始める。


「いつだったかな。魔術師の一人を、エニフェルが妙に気に入ったことがあって」

「えっ!?」

「そうそう。ビアンカもそんな顔してた。そこは私の居場所ですけど!? って。まぁ、エニフェルとその魔術師は勘繰られるような仲じゃなかったし、私達もビアンカの取り越し苦労だろうって思ってたんだけど」


 肩を竦める。本当に不器用で、生真面目なやつなのだ。余裕綽々な涼しい顔をして、その実いつも必死になってエニフェルの隣を立っている。

 あぁ、そんな女だったと語りながらレイは思った。


「でもさ、ビアンカは本気なの。本気で、どうしようって慌ててた。その時に言ったんだよ。エニフェルがいない時に、“隣にいたい”って。さっきの君とそっくり同じ顔で」


 ちゃんちゃら可笑しい話だ。

 レイがビアンカを見る。ねぇ、と小首を傾げて。


「君以外の、誰をあいつが望むのさ」


 そんなこともわからないんだ。そういう、困った奴だったんだよ、君は。

 レイはそう続ける。


「君は随分ビアンカを神聖視してるみたいだけど、私から見たらそっくりだよ。他のみんなもそういうんじゃない? ただ、君の方が幾分か素直なだけだ」

「す、素直……ですか?」

「うん。ビアンカはあまり、気持ちとかを言葉や態度に表さなかった。元来表情筋が動かない私と違って、意識してそう振る舞っているようだったけど」


 レイが笑う。普段表情の変わらない彼女のそれは、友人に向ける笑みだった。

 昔、ビアンカに向けられていたであろう気やすさだった。

 

「でも、拗ねたり怒ったり。結構頻繁にウジウジしたりしてた。どれだけ隠しても、私達には筒抜けだった。周りを憚らず爆発した時もあったしね。それが、記憶をなくしたから際限なく表に出ているだけでしょ」

「……そう、でしょうか」

「そうそう。あんまし君と変わらないよ」


 静かな声は、だからこそ強い響きを伴った。

 ビアンカの凝り固まった白銀の魔法少女への憧憬を、ゆっくりと溶かしていくほどに。

 

「私と白銀の魔法少女が、同じ……」

「それにしたって、心外だな。私があんなことで君を見限ると思われてたなんて」

「あ、す、すみません……」

「君がビアンカであるかどうかなんて、それこそ記憶の有無は関係ないっていうのに」


 罪悪感から口籠るビアンカに、レイは拗ねた声色で言う。彼女の言葉は決して諦めでも、妥協でもなく。


「そりゃあ、今までのこと全部忘れられたのは悲しいけどさ。記憶がなくたって、君はエニフェルの右腕なんだ。だって」


 指を突きつける。大きく見開いた、水縹色の瞳を。


「エニフェルを見る君の目が、あの頃の君そのものなんだから」


 この目を、愛と言って。

 その心を、“ビアンカ”と呼ぶのだと、レイは知っている。

 世界でたった一つの、エニフェルに捧げられたもの。


「ありがとうございます、レイさん」


 見開いていた目をゆるりと細めて、ビアンカは綻ぶように微笑んだ。

 恐怖に青ざめていた頬が、淡く色付いている。


「それでも、私は思い出したいです。エニフェル先輩や、貴方達との日々を知りたい。笑って話せるようになりたい」


 そっか、とレイは頷いた。


「私に聞きたいことがあったら、なんでも聞いてね」

「はい!」

「あ。でもまず先に私から、質問いいかい?」


 にこり。首を傾げたレイにビアンカも「なんですか?」と同じ動作をする。

 幻覚でなければ、レイの足元の影がウネウネ動いているような。


「君のことを随分と言ってくれやがった、奴等の名前を教えてよ」


夕映えのゲヘナに立っている、第二十三話を読んでくださりありがとうございます!

面白いな、続きが楽しみだな、と少しでも思ってくれたら幸いです。

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