第8話 歪んだ愛の檻を見る夜目
洋服店からの帰り道。
両手に抱えきれないほどの服を抱えて潜った屋敷の玄関は、重苦しい静寂に包まれた。
夕闇が差し込む広間……ルチア、クララ、ヴァネッサの三人が、申し合わせたかのように並んで立ち、一直線にノアを見つめている。その瞳には、先ほどまでのハレンチな甘やかしの面影はなく、息が詰まるほどの緊張感が漂っている。
「……ノア様。一つ、お願い……いいえ、重大な提案がございますの。」
静寂を破り、ルチアがいつもより一段低い、静謐な声で口を開いた。
「明日からは……もう、この屋敷から外には出ないでくださいませ。」
「……は?」
唐突な言葉に、ノアは耳を疑った。
「ルチアの言う通りだ、ノア……」
クララが真剣な面持ちで一歩前へ出る。
「今後は食料の調達も、必要な買い出しもすべて私がこなす。お前はこの屋敷の最も安全な奥部屋で、私達の視界から外れないように過ごしてほしい。」
「ちょっと待てよ! ずっと監禁されとけって言いたいのか!?」
「監禁だなんて意地悪な言い方はやめてちょうだい♡」
ヴァネッサが艶やかに微笑みながらも、その手でしっかりとノアの退路を塞ぐように背後に回り込む。
「ノアが怪我ひとつせず、ず〜っと安全な場所で私達に可愛がられる……ただそれだけのことよ。外の世界なんて、あなたにとって毒でしかないわ。」
「ふざけるな!!」
ノアは思わず大声を上げた。連日の過度なスキンシップや甘やかしには何とか耐えられた。だが、自由まで奪われるとなれば話は別だ。
「いくらなんでも過保護が過ぎるだろ! 俺は子供じゃない!それに特別な力もないただの一般人だ! なんでそこまで……なんでそこまで、俺が今にも死ぬみたいに怯えてるんだよ!?」
夕暮れの屋敷に、ノアの悲痛な叫びが響き渡る。朝食での『前みたいに』という不穏な言葉。試着室で自分の身体の無事を確かめるように震えていた手。帰りがけに二人の服から漂っていた微かな血の匂い。
積み重なった疑念と鬱屈した感情が爆発し、ノアは彼女たちを強く睨みつけた。
「俺に何を隠してるんだ!? 説明してくれよ!!」
追及するノアだったが、次の瞬間、言葉を失った。
正直、怒られるか、強引に丸め込まれると思っていたのに、目の前の三人が浮かべたのは怒りでも困惑でもなく、この世の終わりを目撃したかのような圧倒的な『絶望の表情』だったのだ。
ルチアは唇を激しく震わせ、今にも崩れ落ちそうな瞳でノアを見つめている。クララは握りしめた拳を不自然に震わせ、ヴァネッサの妖艶な笑みは完全に消え失せ、その緋色の瞳には底知れぬ恐怖が渦巻いている。
「……っ」
ノアは理解した。彼女たちが抱えている恐怖は、決して悪ふざけや気まぐれなどではない。ノアが外へ出ること、傷つくことに対して、本気で心を砕かれ、絶望しているのだと、その表情が痛いほど物語っていた。
「……もう、いい……」
それ以上、何も言えなくなってしまったノアは、重苦しい沈黙に耐えきれず、服の袋を抱え直し、逃げるように自室へと階段を駆け上がっていった。
◆
その夜。
月の光すら届かない、王都の古い時計塔の頂上。
夜風に黒髪をなびかせ、一人の少女がノアの屋敷を見下ろしていた。暗闇の中で妖しく輝く瞳。彼女こそが、裏社会を揺るがす刺客組織『天秤の目』の頭領——シャルロットだった。
「……可哀想なノア。」
シャルロットは、愛おしそうに胸元へ手を当て、低くうっとりとした声を漏らす。
「あの聖女や女騎士たちの生ぬるい甘やかしと失敗のせいで、あなたは一度、あんなにも惨めに命を落としたというのに……」
彼女の脳裏に刻まれているのは、かつて古代兵器の暴走を止めるために命を散らしたノアの姿、そして、自分たちの組織の過激派がノアを利用し、殺害した絶望の記憶。
「あんな奴らに、二度目のあなたを任せておけるはずがないわ。……あの組織の過激派どもが、またあなたの心臓を狙って動き出している。ノアを殺させようだなんて、万死に値する愚か者たち……」
シャルロットの瞳に、冷酷で歪んだ殺意と、狂おしいほどの執着が宿る。
「大丈夫よ、ノア。私があの組織を内側から潰し、あなたをあの女たちから奪い去ってあげる。そして……誰の光も届かない、安全で静かな地下の鳥籠に、一生閉じ込めてあげる♡」
夜風に乗ってシャルロットの囁きは溶けるように消えていった。




