第7話 裏舞台の無慈悲
試着室での揉み合いという名のカオスを命からがら抜け出し、ノアはなんとか数着のシンプルな服を選び終えていた。
「ふぅ……会計も済んだし、これでようやく一息つける……」
店のロビーで商品を抱え、ノアは小さく息を吐く。だが、店内を見渡すと、いつの間にかヴァネッサとクララの姿がない。ルチアだけが「ノア様、お茶でも淹れて差し上げましょうか♡」と極上の笑顔で傍らに寄り添っている。
「あれ、ルチア。クララとヴァネッサは?」
「おふたりなら『少し風に当たってくる』と裏口の方へ向かわれましたわ。……まあ、害虫の駆除に向かわれただけですので、ご安心なさってくださいね♡」
「害虫……?」
首をかしげるノアに対し、ルチアは満面の笑みを静かに浮かべていた。
◆
光の届かない暗い裏路地。
そこには、全身を黒装束に身を包んだ男たちが十数名、息を潜めて潜伏していた。
「……チッ、試着室での混乱に乗じてノアの首を獲るはずが、失敗したか。だが奴が店を出た瞬間、全員で囲んで仕留めるぞ。」
隊長らしき男が低く命じた——その瞬間。
頭上から、冷酷で圧倒的な圧迫感が路地全体を叩き潰した。
「……誰を仕留めるって?」
路地の入口には、銀髪を夜風に揺らす女騎士クララが、柄に手をかけた状態で佇んでいた。そして、刺客たちの背後の影から、シースルーの衣装を軽やかにたなびかせた魔導の姫ヴァネッサが、妖しく微笑みながら姿を現す。
「ひっ……!? なぜここに——」
「声を出すな、害虫ども……」
クララの瞳には、普段ノアに見せる照れや柔らかさなど微塵もない。あるのは、氷のように冷徹な殺意だけ。
「ノアの平和な買い物を邪魔しようなど……万死に値する。」
「ふふ、そうね。ノアに怪我一つでもさせられたら、私の心が崩壊しちゃうもの♡ だから——ここで痕跡ごと消えてもらうわ。」
「ひ、ひぃぃっ! 構えろ! 相手はふた——」
男が叫び終えるより早く、殺戮の宴が始まった。
シャンッという閃光が一閃。クララの抜刀術により、前列の刺客三人の武器と首が一瞬で落とされる。血飛沫が上がる間すら与えぬ音速の斬撃。
「黒炎よ、骨まで穿て。」
ヴァネッサが指先を鳴らすと、漆黒の炎が蛇のように路地を駆け巡り、残りの刺客たちを叫び声すら上げる間もなく一瞬で灰へと変えていく。
「前みたいに……あんな絶望の中で彼を失うくらいなら、私は何度でもこの手を血で染める。」
「同感だ、ヴァネッサ。ノアの視界に入る脅威は、一つ残らず私が斬り伏せる。」
二人の瞳に宿るのは、二度と大切な者を失わないための、歪で深すぎる執着。わずか数十秒の間に、男たちは叫ぶことすら許されず、影も残さず完全に消滅させられた。
◆
「……遅いな。二人とも何してんだろ。」
店内で手持ち無沙汰に待っていたノアのもとへ、パタパタと足音が近づいてきた。
「待たせたな、ノア! 風が気持ちよかったぞ。」
「ごめんなさいねノア。少し用事を済ませていたの♡」
戻ってきたクララとヴァネッサは、先ほどまでとは変わらない満面の笑みを浮かべていた。だが、ノアは彼女たちが近づいた瞬間、鼻腔をくすぐる「ある違和感」に眉をひそめた。
(……え……?)
すれ違いざま、二人から微かに漂う匂い。香水や甘い乙女の香りの中に、ほんのわずか、鉄が錆びたような……生々しい血の匂いが混ざっている。
さらに、二人の顔を見上げた瞬間、ノアは息を呑んだ。二人の瞳の奥に浮かんでいたのは、単なる「服を選び終えて安心した」という表情ではなく、ノアの身体が無傷でそこにあることを確かめ、安堵し、同時に「二度と手放さない」「絶対に誰にも渡さない」と言いたげな、恐ろしいほどに重く、深すぎる執着の眼差し。
その重圧に、ノアの背筋には冷たい汗が伝う。
(なんなんだ、今の……? 二人のどちらかが怪我をした……それとも……害虫駆除……)
服の防刃性に過剰なまでに拘っていた試着室での出来事。そして、帰ってきた二人の服に漂う血の匂いと、自分を見るあまりにも重すぎる視線。
「ノア? どうなさったのですか? 顔色が悪いようですけれど……♡」
「……いや、なんでもない。ちょっと疲れただけだ……」
ノアは笑って誤魔化しながらも、胸の中で膨れ上がる不気味な疑惑を拭い去ることができなかった。
彼女たちは、俺の知らないところで一体何を処理してきたんだ?そして、なぜそこまで俺の無事に……執着するんだろう。
買い物を終えた夕暮れの帰り道。
手を繋ぎ、左右から密着してくる彼女たちの温もりに包まれながらも、ノアの心には冷たい疑念の陰が静かに落ちていくのだった。




