第5話 疑念の種
嵐のような一日がようやく過ぎ去った深夜。
過剰すぎる甘やかしとスキンシップの嵐からなんとか逃げ延びたノアは、自室のベッドの上で一人、仰向けになって天井を見上げていた。
静まり返った部屋。シーツの冷たさと、微かに部屋に残る彼女たちの甘い香気だけが、昼間の騒がしさを物語っている。
「……はぁ、疲れた……」
ノアは腕を額の上にのせ、重い息を吐き出した。身体は疲弊しきっているはずなのに、頭だけが妙に冴え冴えとして眠りにつくことができない。目を閉じると、朝食の席で繰り広げられた彼女たちの激しい言い争いが、耳奥で嫌なほど鮮明に再生されてくる。
『 ノア様を守りきれず、一番最初に彼を一人にして死なせたのはどこのどなたでしたかしら……』
『ノアを死なせて、あんな惨めな想いをさせたのは全員でしょ?』
——俺を死なせた……とは?
浮かんだのは疑問……その歪な言葉が頭をよぎった瞬間、脳裏にズキリと鋭い痛みが走り、今朝見たあの胸悪くなるほど生々しい悪夢が不意にフラッシュバックした。
灼熱の炎、天を突く古代兵器の影、砕け散る骨と肉の感覚。右腕が焼き切れ、視界が赤く染まっていく絶望的な感触。そして、自分を抱きしめて血の涙を流していた少女の叫び声——。
「……っ」
ノアは無意識に自分の右腕を強く掴んだ。パジャマの袖を捲り上げて確かめる。月光に照らされたノアの腕には、傷跡一つない滑らかな皮膚が広がっているだけだ。胸元にも、何かに貫かれたような痕など存在しない。それなのに、ノアの脳裏では彼女たちの異常な行動が、まるでパズルのピースがハマるように一つの形を作り始めていく。特に、二人きりになった途端に漏れ出る「どこにも行かないで」「閉じ込めてあげる」という、過剰なまでの執着心は、まるで喪失への恐怖とも受け取れる。
ただの「極度の過保護で親切な女の子たち」だと思っていた。だが、もしもあの不穏な言葉と、俺の見る生々しい悪夢が繋がっているのだとしたら——。
(彼女たちは……俺が昔、自分たちの知らないところで死にかけた……とでも言いたいのか? それとも、俺が忘れているだけで……何か致命的な過去があったのか……?)
脳裏を掠めた恐ろしい予感に、ノアは一瞬息を呑んだ。
……しかし、ノアは呆れたように小さく「ハッ」と鼻で笑った。
(……ははっ、何考えてんだ俺は。頭がおかしくなったのか?)
ノアは自嘲気味に首を振る。自分が過去に壊滅的な大怪我を負っただの、みんながそれをトラウマにしているだの……そんな劇的な物語みたいな出来事があるわけがない。
自分はどこにでもいるただの一般人で、昔から大きな病気一つしたことがない健康体だ。今こうして生きて息をしている目の前の日常こそが現実だ。自分が重大な事件に巻き込まれていたなんて、そんなのは質の悪いおとぎ話か、連日の過酷な甘やかしによる疲労が見せるただの馬鹿げた妄想だ。
そう思い込もうと、ノアは自分に言い聞かせた。
(……疲れてるんだな、今日はもう寝よう。変な言葉を真に受けてどうするんだよ。)
このことは忘れるべきだ。ノアはそう考えて、布団を頭までかぶり、ぎゅっと目を閉じる。
だが、胸の奥で芽生えた『彼女たちは俺に何を隠しているんだ?』という冷たく巨大な疑念の種は、消えることなく、静かにノアの心に深く根を張っていくのだった。




