第39話 呪いじゃなくても、あなたを愛してる
真っ赤な死の光を放ち、自壊しようとしていたマスターキーの鼓動が、嘘のようにピタリと止まっていた。
洞窟の冷たい石畳の上。
自らの手で世界を滅ぼし、愛する者たちを惨殺したという耐えがたい記憶の濁流に飲まれ、すべてを終わらせようと絶望していたノアの身体を、三人の女性の温もりがしっかりと包み込んでいた。
「……っ……、どうして……!離してくれよ……!」
ノアは震える声でか細く拒絶した。その瞳からは大粒の涙がとめどなくこぼれ落ちている。
自分の手でルチアの胸を貫いた感触。クララやヴァネッサを自分の暴走で踏みにじった地獄の光景。そのおぞましい罪の記憶が脳裏から離れない。
「俺は……俺はみんなを殺したんだ……! お前たちをこの手で惨殺した、取り返しのつかない化け物なんだぞ……っ! なんで、そんな俺を……抱きしめたりするんだ……!」
叫ぶノアの胸ぐらを掴み、グッと引き寄せたのはルチアだった。
彼女の純白のドレスは暴風でボロボロに裂け、素肌には無数の擦り傷が刻まれていたが、その瞳に宿る光はどこまでも強く、透き通っている。
「わかっています……! あなたがそんな苦しみをたった一人で抱え込み、私たちを救うためにどれほど身を裂いてきたのか……すべて、今なら分かります……!」
ルチアの目から、大粒の涙がノアの頬へと零れ落ちる。
「洗脳や呪いになんて、縛られていません! 私たちは……世界を壊した過去の過ちも含めて、今こうして私たちの目の前で泣き、震え、苦しみながらも生きようとしている優しいノア様を……私達自身の本当の意志で愛しているんです……!」
「そうだ……!」
クララが力強く頷き、ノアのもう片方の腕をしっかりと自分の胸に押し当てた。その大きな瞳から、とめどない涙が溢れ出している。
「お前がどんなに自分を化け物だと呪おうとも、私たちが知っているお前はいつだって、自分の身を削ってでも誰かを守ろうとするバカみたいに優しい男だ。過去に何があったって、そんなことは関係ない……! 私たちは、お前の過去ではなく、今ここにいるお前を愛しているんだ……!」
「そうよ……」
ヴァネッサは優しく微笑みながら、ノアの乱れた髪をそっと撫で下ろした。彼女の指先もまた、震えていた。
「私たちがあなたに抱いていた執着も、過保護も、全部あなたのせいにするなんてずるいことは言わないわ。……だって、私たちはあなたのことが好きで好きでたまらなかった……だからこそ、あなたを失うのが怖くて狂いそうだったんだから。……もう一人で背負わないで。あなたを生かしたいという私たちの願いも、私たちの我が儘なんだから……!」
三人の女性の胸から溢れ出る、偽りのない剥き出しの愛の言葉。それは、世界を滅ぼしたという絶望の呪縛に縛られていたノアの心を、温かく、そして力強く解きほぐしていく。
「あ……あぁ……、俺は……俺は……っ!」
ノアは子供のように声を上げて泣きじゃくった。
行き場を失っていた自責の念が、罪悪感が、そして愛されているという圧倒的な温もりが、彼の全身を駆け巡る。
ノアは震える両手を伸ばし、目の前にいるルチアたちを、壊れてしまうかというほどに強く、強く抱きしめ返した。
——だが、その温かな抱擁の中で、ノアの胸の奥にある疑問がふと頭をもたげた。
(……でもそれならおかしいじゃないか。あの時に……みんなをこの手で殺して、この世界ごと完全に滅ぼしたはずじゃなかったのか……? なぜ、俺たちは今こうして生きているんだ……? なぜ……?過去に戻ってやり直すことができている……?)
自壊こそ免れたものの、胸の奥で不気味に脈動を続けるマスターキーの核。歴史の真実を知ってしまったからこそ生じる……あまりにも巨大な世界の矛盾。
ノアの腕の中で、その疑問は次第に冷たい恐怖となって彼の背筋を凍らせていた。




