第29話 狂気の剥落
幾何学模様の光線が、限界を超えた密度で膨れ上がり、時計塔の最上階を純白の眩輝で満たしていく。そして、白光の圧力がピークに達した瞬間、目に見えない精神の領域で、何かが致命的に破壊される音が響いた。
それは、数ヶ月にわたってルチアたち三人の脳内と魂に深く根を張り、彼女たちの日常と思考を完全に支配していた呪い……ノアの中に存在するマスターキーからの束縛が不可逆的に崩壊していく音だった。
「ひっ……!? あ、あああぁぁぁぁぁぁッ……!?」
ルチアが甲高い悲鳴を上げ、頭を抱えて石畳の床へ転がった。彼女の脳裏で、これまでの光景が奔流となって巻き戻されていく。衰弱したノアの口に無理やりオムレツを放り込み、「あーん」と迫っていた自分。胸元をはだけさせ、聖なる膝枕で彼の思考を麻痺させようとしていた自分。ノアが少しでも自分から離れようとすると、世界が滅びるかのような激しい恐怖に狂い、彼の手を壊れるほど強く握りしめていた自分。
(私……私、なんて恐ろしいことを……!? 聖女であるこの私が……ノア様に対して、どれほど淫らで、身勝手で、狂気じみた拷問を……!?)
その瞬間、弾けるようにルチアの瞳から「何か」が抜け落ちた。それまで、彼女の瞳に常宿していたどこか熱っぽく、うっとりと歪んでいた不気味な光——まさに「狂愛の光」が、潮が引くように急速に消え去っていく。
次に崩壊したのは、クララだった。
「がっ……は……っ!?」
クララは胸を強く打たれたかのように大きく身体をのけ反らせ、口から唾液を吐き出した。彼女の手に握られていた大剣が、ガラガランッと虚しい音を立てて床を転がっていく。彼女の脳裏に消去不能なトラウマとして焼き付いていた、ノアを殺したという事実。あの時、暴走したノアを自分の手で刺し殺したという強烈な過去の記憶と、それに端を発する「二度と彼を逃がさないために手足を奪う」という異常な決意。それらの感情の根底にあった「ノアを絶対に逃がしてはならない」という過剰な強迫観念の圧力が、風々に吹き散らされるように消えていく。
(私は……彼を守っていたのではない……? 自分の恐怖を宥めるために、彼を武力で脅かし、逃げ場を奪い……檻の中に押し込めていただけ……なのか……?)
クララの瞳からもまた、獣のような鋭く濁った執着の光が消え去り、そこにはただの困惑と茫然自失とした素の瞳だけが残された。
そして、ヴァネッサ。
「あ……あは……ふふ……っ」
彼女は乾いた笑いを漏らしながら、力なくへたり込んだ。妖艶な小悪魔としてノアを翻弄し、甘い毒で彼の理性を溶かそうとしていたあの淫らな笑みは、跡形もなく消え去っていた。
(私……あんな純粋で可愛いノアを……自分の都合のいい玩具みたいに甘やかして……思考を奪おうとしていたの……? 正気じゃなかった……絶対に、何かがおかしかったのよ……!)
最後の固定回路が完全に砕け散った音が、彼女たちの中で響く。三人の魂を縛り付け、ノアを過剰な過保護と監禁で押し潰そうとしていた「洗脳の檻」は、ここに完全に消滅した。
光が徐々に収まっていく。
充満していた圧倒的な魔導の圧がゆっくりとその姿を消し、時計塔には夜風の吹き抜ける音と、荒い呼吸音だけが残されている。
ノアは床に倒れ込み、肩で息をしながら、胸の痛みが引き去っていくのを感じていた。そして、目の前にいる三人を見上げる。そこにいたのは……先ほどまで自分を「籠の中に閉じ込めよう」と凄惨な顔で迫ってきていた、あの恐ろしい狂愛者たちではない。これまでの罪に対する困惑と後悔を宿した6つの瞳……それが自分を見据えていた。
ノアは理解した。
ルチアたちから狂愛の気配が消えていることを……。そしてそれは、ノアの中に新たな感情を生み出した。
——自分が忘れ去られてしまうのではないか……
この矛盾した感情に対して、ノアは再び困惑していた。




