第28話 揺らぐ同期(シンクロ)
幾重にも重なる青白き光の輪が、時計塔の空間を何層にも渡って切り裂いていく。それは目に見える物質的な光ではない。精神の深層、魂の根底にある「情報領域」に直接アクセスする、高密度な情報網の展開。
ノアの無意識による奇跡的な介入によって、解呪術式『精神解呪陣』は史上未達の「完全精度」へと昇華されていた。
「……ガ……ァ……ッ!?」
ノアの胸から解き放たれたマスターキーの出力が、術式との調和によって爆発的に跳ね上がる。これまでノアの体内に溜め込まれていた古代の波動が、完璧な導線を得て拡散していく。それは、これまで数ヶ月……いや、ルチアたちの深層心理に深く接続し、潜伏していた「精神固定の波長」に強烈な逆位相の信号を打ち込む作業だった。
「……な……に、これ……頭が……痛いです……っ!」
ルチアが頭を抱え、床に激しく膝をついた。
彼女の脳裏に、強烈なノイズが走り抜けていく。ザザッ、ザザザザッ……という不快な砂嵐のような音が、魂の奥底から響き渡る。
「くっ……あぁぁぁぁっ! 脳が……焼けるようだ……っ!」
「何……何なの……これ……っ……」
クララが大剣を支えにしながら、激しい吐き気に襲われて身をよじらせる。その横でヴァネッサも頭を抱えて倒れ込んだ。
彼女たちの深層心理に刻み込まれていた絶対のテーゼ——ノア自身が世界を滅ぼす危険因子であり、自由を奪ってでも囲い込み、閉じ込めなければならない対象であるという命題。その疑うことすら許されなかった強力な強迫観念の思考回路に、ノアから放出された高密度の情報ノイズが容赦なく打ち込まれていく。
(ノア様を守らなければ……いや、閉じ込めなければ……彼を、私だけのものに……)
(……待って? なぜ? なぜ私は、彼の手足を折ってでも籠の中に閉じ込めようとしているんだ……?)
(おかしい……おかしいわ……?私はなぜ……ノアを……)
ルチアたち三人の心の中で、これまでの自分の思考に対する初めての「狂い」が生じた。そして、一度生じた不協和音は、高密度の術式光を浴びるたびに巨大な亀裂となって広がっていく。
「ふふ……あはははっ! 聞こえるでしょう、あのノイズが……!」
血まみれのシャルロットが、満身創痍でありながら高らかに笑い声を上げる。
「あなたたちが『ノアへの真実の愛』だと信じ込んでいたその気味の悪い過保護も、執着も、監禁欲も……! すべては彼の胸にあるマスターキーが、自分自身の存在を世界から隠蔽するために発していた『防衛的洗脳の波長』だったのよ!」
「洗脳……!? 戯れ言を……! 私たちがノアを愛する気持ちが……作られたものだと言うのかッ!?」
クララが血走った目で叫び、剣を握り直そうとする。だが、その指先はもはや言動ほど固くはない。力が入らない。全身の筋肉が魂の奥で崩れゆく「何か」の衝撃に耐えかねて、ガクガクと震えている。
「認めたくないでしょうねぇ! でも、現実にあなたの頭の中の『アンカー』は今、急速に外れかけているわ! 術式とマスターキーが完全に同期した今……偽りの愛のメッキは剥がれ落ちるのよ!」
ヴァネッサもまた、両手で顔を覆いながら荒い息を吐いていた。彼女の妖艶な瞳の奥で、かつてノアを甘い罠で絡め取り、思考を麻痺させようとしていた小悪魔的な欲求が、不気味なほど急速に冷えていくのを感じていた。
(嘘……私、ノアの口に特製のハーブティーを口移ししようとしていた……? 至高なる魔王の娘である私が……?ノアの思考を溶かして、私なしでは生きられないようにしようとしていた……? 私が……そんな、気味の悪いことを……?)
思考の同期が揺らいでいく。マスターキーが提示していた「作られた思考の道筋」と、ルチアたち自身の「本来の理性と感情」が剥離し始め、激しい精神的拒絶反応を引き起こしていた。
そうして、時計塔の空間を満たす光は、ついに最終局面に達しようとしていた。




