第2話 女騎士は甲冑を脱ぐ
「よし、ルチアが朝食の準備で離れた隙に……!」
ノアはそっと自室のドアを開け、足音を殺して廊下を進んだ。朝からのルチアの怒涛のお色気&監禁アタックで理性を極限まで削られたノアだったが、今日どうしても外に出なければならない理由があった。日用品の買い出し……もちろんそれもそうだが、何よりも部屋に閉じ込められて理性が爆破される前に、外界の冷たい空気を吸って頭を冷やすためだ。
玄関の重厚なドアノブに手をかけ、ノアは小さくガッツポーズをキメた。
「勝った……! 行ってきます、俺の平穏な1日——」
「どこへ行く気だ、ノア……」
「ひぇっ!?」
背後から掛けられた凛とした低音に、ノアは跳ね上がった。振り返ると、そこには一人の美しい女性が立っている。艶やかな銀髪を一つに束ね、鋭くも美しい切れ長の瞳でノアを見つめるのは、王国騎士団の最年少団長にして『天才剣士』と名高い女騎士——クララだった。
本来なら重厚で壮麗な白銀の甲冑を纏っているはずの彼女だが、なぜか今日の装いは違っている。甲冑をすっかり脱ぎ捨て、胸元がゆるやかに開いた薄手のインナーとレザーパンツという、あまりにもラフ(かつボディラインが出過ぎている)姿だったのだ。
「ク、クララ!? なんで君がここに……っていうか、その格好は!?」
「何、と言われてもな。非番だからノアの様子を見に来たのだ。……それより、外出か?」
「あ、あぁ。ちょっと街まで買い出しにね。すぐ戻るから、クララはゆっくりしていてくれて——」
「それは駄目だ。私が護衛する。」
「えっ!?」
クララは一切の妥協を許さない真剣な目つきでノアの腕を掴んだ。その握力は、ノアがどれだけ抵抗してもびくともしない。
「最近、王都周辺の治安が悪化している。一般人のお前が一人で歩くなど、自殺行為に等しい。」
「いやいや、昼間の王都の中央通りだよ!? 危険なんてあるわけが——」
「問答無用だ。……安心しろ、すでに移動手段は手配してある。」
クララがパチンと指を鳴らすと、屋敷の前に一台の小型馬車が引きつけられた。だが、その馬車を見た瞬間、ノアの顔から血の気が引いた。
「ねえクララ、この馬車、明らかに二人乗り用にしては狭すぎないか……? 荷物置き場レベルの広さしかないように見えるんだけど……」
「気のせいだ。最新型のコンパクト仕様なのだそうだ。さあ、乗れ。」
拒否権は与えられず、ノアは狭狭とした馬車の中へと押し込まれた。
◆
「——く、苦しい……! というか近い! 近すぎるよクララ!!」
ガタゴトと揺れる馬車の中で、ノアは悲鳴を上げていた。この馬車、『コンパクト仕様』どころの騒ぎではない。乗客用の座席は一人分すら怪しい幅しかなく、クララが座り、そのすぐ上にノアが重なるように腰を下ろす形になっていた。
「落ち着けノア。暴れると馬車が揺れる。」
「暴れずにいられるか!? 君の体温と柔らかさが全部伝わってきてるんだよ! 甲冑を着てくれ! お願いだから固い金属で隔ててくれ!!」
ノアの膝の上にすっぽりと収まり、背中からぴったりと密着しているクララ。甲冑を脱いだ彼女の身体は、剣士らしく引き締まっていながらも、驚くほどしなやかで柔らかい。薄い服越しに伝わる熱気と、汗と甘い柑橘の混ざった匂いが、ノアの鼻腔を容赦なく支配する。
「無理を言うな。甲冑を着ていてはお前に怪我をさせてしまうだろう。……それに、これは必要な措置なのだ。」
「何がどう必要なんだよ!?」
「衝撃吸収と体温維持だ。馬車の振動でお前の身体に負荷がかからないよう、私が肉壁となって守っている。さらに、お前は冷え性だからな。こうして私の体温を分けてやっているのだ。」
「肉壁って言えば聞こえがいいけど、ただの抱きつきだからね、それ!!」
クララはノアの抗議を完全にスルーし、むしろ背後から回した腕でノアの身体をぎゅっと力強くホールドした。豊満な胸がノアの背中に押し当てられ、ノアの頭はパニックで爆発寸前。
(だ、駄目だ……理性が……! ルチアに続いて、クララまでなんでこんなハレンチなんだ!? この国の美少女たちはどうなってるんだよ!!)
真っ赤になって悶絶するノア。そんなノアの首筋に顔を埋めながら、クララはひっそりと、ノアの右腕へと手を滑らせた。
(……あぁ)
服の袖を少しだけ捲り上げ、クララの指先がノアの前腕から上腕にかけてを撫でる。ノアは「触り心地を確かめられてるのかな……? 筋トレしろってことか?」と勘違いして冷や汗を流していたが、クララの心境は全く別のところにあった。
(痕がない……。あんなにも酷く引き千切られ、肉が削げて骨が見えていた腕が……無傷だ。)
ノアが古代兵器の暴走を止めるために突っ込んだ際、クララの手を振り払ったその腕は、肉が弾け飛び、血みどろになっていた。
クララは今でも、夢に見る。自分を庇って腕を吹き飛ばされながらも、優しく笑って旅立っていったノアの姿を。
(二度と……あの無惨な姿にはさせない。この腕も、この命も、私の全てを賭けて守り抜く。)
ノアの肌の滑らかさと、力強く打つ脈拍を指先で確かに感じ取り、クララは誰にも気づかれないほどの小さな安堵の息を漏らした。その瞳に溜まりかけた一筋の熱いものを、彼女はノアに悟られぬよう、彼の背中に顔を押し付けることで隠す。
「クララ……? なんか、抱きしめる力が強くなってないか……?」
「……うるさい。護衛の精度を上げているだけだ。文句を言わずに大人しく挟まれていろ。」
「挟まれていろって……っ! ああぁぁ理性が! 俺の理性がぁぁ!!」
◆
一方、街の喧騒から少し外れた路地裏の屋根の上。馬車の行く手に潜む男が二人。
「ヒヒッ、来たぞ。あの二人乗り馬車だ。聖女がついていねえなら好機だぜ。女騎士ごとあの男を始末して、マスターキーの鍵を奪う——」
二人が馬車の通過に合わせて屋根の上から飛び降りようと腰を浮かせた、その瞬間。
「——邪魔だ」
馬車の小さな小窓から、一閃の風が走り抜けた。
「え……?」
反応する間すら与えられず、音速を超えた居合の斬撃。目に見えぬ空気の刃が路地裏を削り取り、二人の履いていたブーツと武器、服の帯だけを正確無比に微塵切りにしたのだ。
「ひ、ひぃぃっ!?」
「服が一瞬で切り刻まれた……!? なんだあの女騎士、甲冑も着ずにあんなバケモノみたいな技を……っ!?」
すっぽんぽんになり、武器を失った刺客たちは恐怖に引きつりながら逃げ出していく。馬車の中でノアの背中に抱きつき、甘い体温を吐き出していたクララは、ノアに見えない側の手で鞘に納めたばかりの愛剣の柄を静かに撫でていた。
その瞳には、かつて『天才剣士』と恐れられた冷徹で容赦のない光が宿っている。
(ノアに害をなそうとする者は、虫ケラであろうと即刻斬る。……だが今は、この温もりをもう少しだけ味わわせてくれ。)
「クララ、なんか外でスパンッてすごい音がしなかった?」
「気のせいだ、ノア。ほら、振動が激しくなってきた。もっと私に密着しろ♡」
「語尾にハートマークつけるな! 助けてくれぇぇぇ!!」
知らぬところで全裸で逃走している男二人のことなど知る由もなく、ノアの受難と甘々すぎるドライブは、目的地に着くまで延々と続くのだった。




