第25話 時計塔の激突(前編)
「——やっぱり来たわね、ノア。」
静まり返った時計塔の最上階。
巨大な歯車が重厚な音を立てて回る暗がりから、シャルロットが優雅に姿を現した。夜風に揺れる銀髪と、闇に浮かぶ冷ややかな瞳。彼女は逃げ出してきたノアの痛々しい姿を見つめ、慈しむように、そして残酷に目を細めた。
「自分の足でここまで来たということは……半分は自覚しているのでしょう? 自分がどれほど不気味で恐ろしい『力』を抱えた怪物なのかを……」
「……俺は……っ」
ノアは己の指先を強く握りしめた。屋敷の結界を足音一つ立てずに解除してしまった無意識の「禁忌の知識」。自分がただの人間ではないという確証が、胸を押し潰す。
「教えてくれ! 俺の頭の中に湧き出るこの知識は何なんだ!? 俺の胸にある『世界を壊す鍵』って……一体なんなんだよ!?」
切痛なノアの叫びに対し、シャルロットは静かに歩み寄ると、ノアの胸元へとゆっくり手を伸ばした。その細い指先がノアの胸に触れそうになった瞬間、何かに反応するように胸の奥がドクンと冷たく強く跳ね上がった。
「あなたの胸に眠るそれは『マスターキー』……それは、かつてこの世界を滅ぼしかけた超古代兵器の起動核そのものよ。」
「っ……世界を、滅ぼしかけた……!?」
「ええ。私たちが求めているのは、まさにその核。そして、あなたの中に湧き出るその知識は、かつてあなたが世界の構造を解明し、破壊するために使った古代言語とシステム構造の残滓。……あの女たちは、その凄惨な過去を知っている。だからこそ、あなたから思考を奪い、手足を奪い、愛という名の鳥籠に閉じ込めて『危険な兵器』として封印しているの。……ねえノア、あなたは本当にあの籠の中で、意思を持たないお人形として生きていきたいの?」
「俺が……世界を壊す兵器……。ルチアたちは……俺を閉じ込めるために……」
血の気が引き、膝から崩れ落ちそうになるノア。シャルロットはそっと彼の頬に手を添え、至近距離でその瞳を覗き込んだ。
「教えてあげるわ、ノア。あなたとあの女たちの間に本当は何が起きたのか。あなたがなぜ、自分の記憶を失っているのか——」
シャルロットの唇が動き、核心の真実が語られようとした、まさにその一瞬——。
「ふざけるなーーーーッ!!!!」
夜の空気を引き裂く激しい怒号とともに、最上階の重厚な扉が爆破されたかのように吹き飛んだ。
「ノアから離れろ!!薄汚いネズミがッ!!」
煙と光の粒子を撒き散らしながら踏み込んできたのは、クララだった。続いてルチア、ヴァネッサが姿を現す。
ノアの脱走に気づき、死に物狂いで追いかけてきた三人の顔は血の気が引き、怒気と悲壮感で凄惨なまでに歪んでいた。
「ノア様……! なぜ……なぜあの女の言葉に耳を貸すのですか……! 私たちの側にいてくだされば、何不自由なく幸せに暮らせますのに……っ!」
「そうよノア……! 外の世界なんて、あなたを傷つける害意と悪意で満ちているわ……! 私たちの腕の中にいれば、何も恐れる必要なんてないのよ……!?」
ルチアとヴァネッサが悲痛な叫びを上げる。だが、その言葉は先ほどシャルロットが告げた「閉じ込めて封印している」という言葉と残酷なまでに合致し、ノアの心を強く抉った。
「くっ……ノア、今すぐ私の後ろへ下がれ!」
クララが前に踏み出し、腰の剣を一閃させて抜き放つ。しかし、その白銀の刃は、ノアを守るための構えを取りながらも、微かに、けれど激しく震えていた。
(手足が……冷たい。刃を握る感覚が崩れていく……っ!)
クララの脳裏に、かつての一周目の最悪な記憶が鮮烈に蘇っていく。暴走し、自我を失って漆黒の光を撒き散らすノア。彼を止める術が他に入らず、泣き叫びながら、自らのこの手でノアの胸へと剣を突き立てた、あの地獄のような感触。自分の刃がノアの肉を割り、骨を断ち、温かい血が手に溢れたあの瞬間の絶望——。
(二度と……二度とあの感触を私に味わわせないでくれ……っ! あの温かい血の冷たさを、あの命が消えていく手応えを……二度と……!!)
過去のトラウマに胸を激しく突かれ、クララの瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「ノア……! 私はお前を縛り付けてでも、手足を奪ってでも守る……! 誰にも……お前にも、世界にも……二度とノアを渡さない!!」
狂気じみた悲痛な叫びとともに、クララは剣を構え、シャルロットへと跳びかかった。




