第23話 時計塔の下のランデブー
カチ、カチ、カチ……。
夜空へと聳え立つ古い時計塔の下、薄暗い影の中でノアは茫然と佇んでいた。
大通りの賑わいは遥か遠く、ここには冷たい夜風と、長針が刻む重厚な機械音だけが響いている。自分の中に眠る解読不能なはずの「古代の知識」。そして、急に脳裏をよぎった不気味な違和感。腕を組み、己の胸を抱きしめるように震えるノアの脳裏には、先ほどまでのヒロインたちの顔が浮かんでいた。
(ルチアも、クララも、ヴァネッサも……。どうしてあんなに必死なんだ? 俺が少し離れただけで、なぜあそこまで狂いそうな顔をするんだ……?)
自由を奪われる息苦しさと、一人になった恐怖。
その狭間で葛藤するノアの背後から、突如として鈴を転がすような透明感のある声が降り注ぐ。
「——答えは簡単ですよ……哀れなノア。」
「っ……!? 誰だ!?」
ノアが跳び起きるように振り向くと、時計塔のアーチ状の影から、一人の少女が滑り出すように姿を現した。
夜風に揺れる長い銀髪。その瞳は冷酷なまでに澄み渡り、身に纏う黒いドレスは闇に溶け込んでいる。彼女は「天秤の目」の頭領——シャルロットだった。
(この前の奴らと同じなり……!!)
身構えるノアに対し、シャルロットは攻撃する素振りも見せず、クスリと小さく微笑んだ。その瞳には、嘲笑と……どこか憐れみが混ざり合っている。
「警戒しなくて大丈夫。今夜はあなたを殺しに来たわけじゃないもの。……ただ、あまりにも哀れな『籠の鳥』に、本当のことを教えてあげようと思っただけ。」
「本当のこと……?」
ノアが眉をひそめると、シャルロットは静かに歩み寄り、ノアの胸元——「マスターキー」が眠る心臓のあたりを細い指先でそっと指し示した。
「ノア、ずっと疑問に思っていたでしょう? あの女たちが、なぜあなたを片刻も離さず、まるで宝物……いいえ、極悪人のように縛り付け、監視しているのか。」
「それは……俺を、心配してくれて……」
「いいえ、それは違う。」
シャルロットの声が、氷のように冷たくノアの胸を刺した。
「あいつらは、あなたを守っているんじゃない。……己のトラウマを打ち消すために、あなたという『世界を壊す鍵』を密閉し、封印しているだけ……」
「……っ!? 封印……!?」
息を呑むノアの反応に満足したように、シャルロットは妖しく瞳を輝かせ、言葉を重ねていく。
「あなたの胸に眠るその鍵は、かつて世界を滅ぼしかけた絶対の破壊兵器。そして、あいつらはその真実を知っている。だからあなたを外に出さず、思考を奪い、手足を奪って『無害なお人形』として閉じ込めておきたいの。彼女たちが愛しているのはあなたじゃない。自分の恐怖を覆い隠すための、安全な籠の中のあなただけ。」
「嘘だ……! ルチアたちが……そんな……っ!」
頭を殴られたような衝撃に、ノアは足元が大きく揺らぐのを感じた。先ほど、自分が無意識に発揮してしまった古代魔導具の修理技術。そして、ヒロインたちの異常なまでの狂気的な拘束行動。シャルロットの言葉は、ノアの胸の中に渦巻いていたすべての違和感と恐ろしいほど完璧に合致してしまったのだ。
「フフ、信じられないならそれでもいいわ。でも、頭の片隅に留めておくことね。……彼女たちの狂おしい甘やかしは、すべてあなたを去勢するための『毒』だってことを。」
闇が揺らめき、シャルロットの身体が影へと溶け込んでいく。
「近いうちにまた会いましょうね、哀れなノア。その時、あなたがどちらの『真実』を選ぶのか……楽しみにしているわ。」
警告のような囁きを残し、シャルロットの姿は完全に夜の闇へと消え去った。
静まり返った時計塔の下。
一人残されたノアは、冷や汗に濡れた自分の胸を強く握りしめた。
「俺が……『世界を壊す鍵』……? ルチアたちは……俺を封印するために……?」
カチ、カチ、カチ……。
鐘の音が不気味に響く中、ノアの心深くに、決して消えることのない不信と絶望の種が、確かに植え付けられてしまっていた。




