第15話 破滅の予兆、黒い衝動
温泉街での滞在最終日。
心の摩耗が限界に達していたノアは、ただ自室で膝を抱えて過ごしていた。
自分=危険人物という疑惑。それがノアの尊厳を内側からボロボロに引き裂いていく。彼女たちの過剰なスキンシップも、着替えの手伝いも、一緒にお風呂に入ろうとする強引さも、すべては「ノアの感情を穏やかに保ち、暴走を防ぐための精神安定剤」に過ぎなかったのだと理解してしまったからだ。
(俺自身が愛されているんじゃない。俺の中にある封印された『何か』を恐れているだけなんだ……)
存在する意義を失ってしまったような感覚。求められているものは自分ではなかったのだという不安と不満。様々な感情の嵐が、ノアの胸を引き裂こうと荒れ狂っている。
そんな絶望の淵に沈んでいる時だった。
突然、凄まじい衝撃音が響き渡り、離れの屋根が吹き飛んだ。周りの木々が悲鳴を上げてなぎ倒されていく。
「な、なんだ!?」
ノアが咄嗟に窓の外を見ると、宿の庭園に、数名の黒装束の集団が立ち塞がっていた。
「見つけたぞ、マスターキーの器……ノア!」
リーダーらしき男が禍々しい魔導具を構え、こちらを見据えて叫んだ。
(狙いは……俺……!?なんで……)
なぜ自分のことを知っているのかはわからない。なぜ自分が狙われているのかも……それに「マスターキーの器」とは何なのか。一気に押し寄せる疑問に頭が痛い。
だが、自分が狙われているという事実を知ったにも関わらず、なぜか恐怖心は感じられなかった。むしろ、どうでもいいやという一種の諦めのような気持ちが、全身を支配しているようだった。
「ノア、下がっていろ!」
「ノア様には指一分触れさせませんわ!」
騒ぎを聞きつけ、瞬時に飛び出したクララ、ルチア、ヴァネッサ。三人は瞬く間に武器を構え、刺客たちに応戦し始める。だが、それを見てもノアは何も感じなかった。「あぁ、またか……」と思っただけ。
神聖力を孕んだ魔力を解放し、守りに徹するルチア。クララは剣を抜き、斬撃を男たちに向ける。ヴァネッサは漆黒の炎を纏い、彼らの懐へと飛び込む。
しかし、リーダーらしき男は待っていましたとばかりに笑うと、持っていた魔道具を解放する。その瞬間、特殊な結界が三人の動きを強烈に制限する。
「くっ……魔力が練れない……!?」
「これは……古代の結界……!?」
ヴァネッサが眉をひそめて距離を取った。その後ろで、彼女の言葉を聞いたルチアが驚愕に顔を染める。クララも同様に悔しさを滲ませながら、なおも斬撃を放っている。
「ハハハ!お前たちへの対策はすでにしてあるのだ!さぁ、器である……奴の心臓さえ奪えば、我らの悲願は達成される!」
男が叫ぶと、別の一人が一瞬の隙を突き、三人の頭上を跳び越えて、無防備なノアへと肉薄する。鋭い漆黒の短剣が、ノアの胸元へと一直線に突き出される。
「ノアっ!!」
「ノア様ーーっ!!」
三人の悲痛な叫びが響く。
だが、ノア自身はそれにすら無関心だった。ただ、自分へと突き出された短剣の行く末を、静かに見つめているだけ。
——もうどうなろうが知ったことではない。
そんな思いが頭を駆け巡った。自分を睨みつける黒装束の男とその手にある短剣。その後ろで手を伸ばす三人の美少女たち。その瞳には涙を浮かべ、何かを叫んでいるが、ノアの耳には届かない。
ここで自分が死ねば、全て解決するだろう。
自分が危険人物であるならば、その方がいいはずだ。
そう結論づけたはずなのに、最後に湧き上がってきまのは、「自分が原因で、彼女たちが目の前で傷つくこと」への強烈な拒絶と激怒だった。
真っ白に染まる思考とともに、口から溢れる憤怒。
「来るなああああああっ!!」
叫びながら必死で庇うように両手をかざした瞬間——ノアの胸の奥で、ドクンッと何かが弾けたような強烈な衝撃が走った。
「なっ……!これは……グハァァァ!!」
ノアの手のひらから解き放たれる漆黒の衝撃波。光すら飲み込むそれが、顔を歪ませる男を短剣ごと吹き飛ばした。
「こ……これは……!!」
目を見開くクララ。その先では、張り巡らされていた空間結界も、ノアに肉薄していた刺客の身体すらも、まるで最初から存在しなかったかのように、一瞬で分子レベルに消滅し、灰すら残さず吹き飛ばされていく。
静寂が戻った庭園。
クレーターのように削られた地面が、凄まじい破壊の痕跡として残されている。その中心で、ノアは両手をかざしたまま茫然と立ち尽くしていた。
「あ……あ……」
手がしびれている。胸の奥が、焼け付くように熱い。ハッとして振り返ると、ルチア、クララ、ヴァネッサの三人が、目を見開き、息を呑んでノアを見つめている。その瞳に浮かんでいたのは、刺客たちへの怒りでも、ノアが無事だった安堵でもない。「前に見たことがある『悪夢』が再び目覚めてしまった」というような、底なしの恐怖と絶望だった。
「俺が……やったのか……? これが……俺の力……?」
ノアは自らの両手を見つめ、ガタガタと震え出した。密談で聞いた言葉は、真実だと確信した。自分の中には、一瞬で命を、空間を消し去ってしまう凶悪な『怪物』が潜んでいるのだ。
「ノア……」
クララが震える声で一歩踏み出そうとする。
「来るな! 来ないでくれ!!」
ノアは悲痛な叫びを上げ、自らの胸を抱きしめて後退した。
自分が危険人物であるという確信。彼女たちの過酷なトラウマを自分が生み出していたという罪悪感。そして、この力を抑え込めなくなれば、いつか彼女たちすら殺してしまうかもしれないという恐怖。
温泉街の煙る湯煙の中で、ノアの心は完全に打ち砕かれ、深くて暗い自己不信の檻へと閉じ込められていくのであった。




