第九話 他にも?
看護師は、少し戸惑ったように雲母の顔を見た。
「……あの、実は私以外にも、同じようなものが見えるようになった人がいるんです」
「他にも、ですの?」
「はい。少ないですけど……数人おります」
雲母はわずかに目を細めた。
「それは、皆さんこちらの病院にお勤めの方ですの?」
「いえ。別の病院に勤めている友人も、同じようなものが見えるようになったそうで……」
「そうですのね」
雲母はそこで一度、足立へ視線を向けた。
足立も、今度は黙っていた。
複数の病院。
複数の人。
そして、ほぼ同じ時期に見えるようになったという。
少なくとも、この病院だけに起きている現象ではなさそうだった。
「では、ひとまず」
雲母は看護師へ向き直った。
「まったく怖がる必要はありませんわ」
「……え?」
「黒いもやそのものに、害はありません」
看護師が、少しだけ肩の力を抜く。
「何か……悪いことが起こるわけではないんですか?」
「ええ。少なくとも、わたくしがこれまで見てきた限りでは」
雲母は老人が横たわるベッドへ目を向けた。
「先ほどの方も、死者の意識ではありますけれど……あのモヤが原因で亡くなったわけではありませんわ」
「……!」
「そこは、どうか勘違いなさらないでくださいませ」
看護師は黙って頷いた。
おそらく、そこが一番気になっていたのだろう。
もし、黒いもやが死の前兆なのだとしたら。
自分が見ているもののそばにいる人が、これから死ぬのではないか。
そう考えてしまうのも無理はない。
「ですから、黒いもやが見えたからといって、そのそばにいる方が亡くなるわけではありませんわ」
「……はい」
「見えてしまったからといって、その方を必要以上に心配する必要もありません」
雲母は穏やかな声で続けた。
「おそらく今後、病院の外でも見かけることがあるでしょうね」
「街中でも……ですか?」
「ええ。わたくしも先日、街中で見かけましたもの」
あまりにもあっさり答えるので、看護師は少しだけ目を丸くした。
「道を歩いていて、誰かのそばに黒いモヤが見えることもあるかもしれません」
「……それは……」
「ですが、それも同じですわ」
雲母は微笑んだ。
「害はありませんので」
「……分かりました」
「無理に近づく必要もありませんし、触ろうとする必要もありません。ただ見えているだけなら、そのままで結構ですわ」
看護師は何度か頷いた。
少し安心した様子だった。
その隣で、足立が小さく息を吐く。
「……でも」
雲母がそちらを見る。
「どうしましたの?」
「いや……」
足立は、何もいないようにしか見えないベッドへ目を向け、それから看護師を見た。
「害がないのは分かりましたけど……」
「けど?」
「見えるようになった人が、別の病院にもいるんですよね?」
「ええ」
「しかも、最近になって急に」
「そうですわね」
「……それって、やっぱり普通じゃないですよね」
雲母は少し黙った。
「そうですわね」
その返事だけは、先ほどまでとは少し違っていた。
「見えるもの自体に害がなくても――」
雲母は、黒いモヤをまとって横たわる老人を見つめた。
「見えるようになったことには、何か理由があるのかもしれませんわ」
看護師が息を呑む。
雲母は静かに老人へ歩み寄った。
「ですから、もう少しだけ調べてみましょう」
足立も頷いた。
「そうですね」
「ただし」
雲母が振り返る。
「怖がる必要はありませんわよ」
「……はい」
「見えてしまうものを、見えてしまっただけですもの」
そう言って、雲母は再びベッドへ視線を戻した。




