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残響  作者: れすた
39/40

第三十九話 見える

 それからも。


 足立が前を歩き。


 雲母が、そのあとをついていった。


「このまま、まっすぐです」


「ええ」


「少し先に横断歩道があります」


「分かりましたわ」


 雲母には。


 いくつもの道が見えている。


 現在の道。


 昔の道。


 さらに昔の道。


 建物も。


 人も。


 いくつもの姿が重なっている。


 その中で。


 足立の声だけが。


 今、どこを歩けばよいのかを教えてくれていた。


「……」


「雲母お嬢様?」


「何ですの?」


「大丈夫ですか?」


「ええ」


「見失ってませんか?」


「今のところは」


「今のところ……」


「ですから、あまり早く歩かないでくださいませ」


「分かっていますよ」


 足立が少し歩調を落とす。


「これくらいでいいですか?」


「ええ」


 二人は進む。


 周囲では。


 黒いモヤを見て立ち止まる人々が、さらに増えていた。


「何、これ……」


「そこにもある」


「こっちにも」


「さっきから増えてない?」


 不安そうな声。


 何も見えず、困惑している者。


 黒いモヤを避けるように歩く者。


 それぞれの反応が混ざり合い。


 街は。


 もう、いつもの様子ではなくなっていた。


「……」


「雲母お嬢様」


「ええ」


「人、多いですね」


「そうですわね」


「いや」


 足立は周囲を見る。


「立ち止まっている人が、です」


「ええ」


「僕には何も見えないのに」


「……」


「みんなには、見えているんですよね」


「全員ではありませんけれど」


「でも」


 足立は少し苦笑した。


「見えない方が、珍しくなってきた気がしますね」


「……」


「雲母お嬢様?」


「何ですの?」


「また怖い顔をしていますよ」


「しておりませんわ」


「していますって」


「足立さん」


「はい?」


「前を見て歩いてくださいませ」


「はいはい」


 足立は前を向いた。


     *


「ここを右です」


「ええ」


「少し狭くなります」


「分かりましたわ」


「人が来ますから、左に寄ってください」


「こちら?」


「もう少し左です」


「……こちら?」


「はい」


「ありがとうございます」


「どういたしまして」


 雲母は足立の背中を追う。


 足立には。


 今の道しか見えていない。


 だから、迷わない。


 今の建物。


 今の人々。


 今の道路。


 それだけを見て。


 歩いていく。


「……」


 雲母は少しだけ安心していた。


 自分には分からなくても。


 足立には分かる。


 少なくとも。


 今は。


「……」


 足立が立ち止まった。


「?」


 雲母も足を止める。


「足立さん?」


「……」


「どうしましたの?」


 返事がない。


「足立さん?」


「……雲母お嬢様」


「何ですの?」


 足立は前を向いたままだった。


「道が」


「はい?」


「……」


 少し間を置いて。


「二つ、あります」


「……」


 雲母の表情が止まった。


「足立さん」


「はい」


「今、何と仰いましたの?」


「道が……」


 足立は目の前を見る。


「二つ、見えます」


「……」


 雲母は足立の隣へ並んだ。


「どのように見えますの?」


「どのようにって……」


 足立が困惑したように指を差す。


「こちらに、今まで歩いてきた道があります」


「ええ」


「でも」


 少し右。


「こちらにも」


「……」


「道があります」


 雲母には。


 もちろん、どちらも見えている。


 一つは、現在の道。


 もう一つは。


 今は存在しない、細い道。


「……足立さん」


「はい?」


「そちら」


 雲母は細い方の道を見る。


「わたくしにも見えていますわ」


「……」


「ですが」


「はい」


「そちらは、今の道ではありませんの」


「……」


 足立が黙った。


「以前、ここにあった道ですわ」


「……昔の?」


「ええ」


「……」


 足立は。


 もう一度、二つの道を見る。


「これが……」


「……」


「雲母お嬢様が、ずっと見ていたものですか?」


「その一つですわね」


「……」


 足立の顔から、少しずつ表情が消えていった。


     *


「ほかには?」


 雲母が尋ねる。


「え?」


「道以外に、何か見えますの?」


「……」


 足立は周囲を見回す。


「今は……」


 目を細める。


「……」


「足立さん?」


「あれ」


「どちら?」


「あの建物」


 足立が指を差す。


 現在の建物。


 その手前。


「なんか……」


 言葉を探す。


「もう一つ、ありませんか?」


「……」


 雲母には見えている。


 現在の建物に重なる。


 昔の建物。


「ええ」


「……」


「ありますわ」


「やっぱり……」


「どのように見えますの?」


「古い建物が」


「ええ」


「重なっている……?」


「……そうですわ」


 足立は黙った。


 そして。


「……あ」


「何ですの?」


「黒い」


「……」


 雲母の目が、わずかに見開かれた。


「足立さん」


「はい」


「何が黒いんですの?」


「向こう」


 足立が指を差す。


 道の脇。


 そこには。


 一人の死者の意識がいる。


 雲母には、人の姿として見えている。


 その周囲を覆う。


 黒いモヤ。


「……モヤみたいなものが」


「……」


「雲母お嬢様」


「ええ」


「これが」


 足立は黒いモヤを見つめる。


「ずっと言っていたものですか?」


「……ええ」


 雲母は静かに答えた。


「そうですわ」


「……」


 足立は何も言わなかった。


     *


 二人は、その場から動けずにいた。


 今まで。


 足立には何も見えなかった。


 死者の意識も。


 黒いモヤも。


 過去の建物も。


 昔の道も。


 だからこそ。


 今の街だけを見ることができた。


 雲母が現在を見失っても。


 足立だけは。


 迷わず歩くことができた。


 だが。


「……雲母お嬢様」


「何ですの?」


「どちらですか?」


「……」


「今の道」


 足立は二つの道を見る。


「どちらなんですか?」


「……」


 雲母は答えようとして。


 止まった。


 先ほどまでなら。


 足立が教えてくれた。


 だが。


 今は。


 二人とも。


 同じものを見ている。


「……こちらですわ」


「今」


 足立が雲母を見る。


「少し迷いましたよね?」


「……ええ」


「……」


 二人は黙った。


 その間にも。


 街のあちこちから声が聞こえてくる。


「また増えた」


「何なんだよ、これ」


「道、こんなんだった?」


「建物が……」


「何か重なって見えない?」


「……」


 雲母が顔を上げた。


 今までは。


 黒いモヤだけだった。


 周囲の人々に見えていたのは。


 その中にあるものではない。


 ただ。


 黒いもの。


 それだけだった。


 だが。


「……足立さん」


「はい?」


「あちらの方」


 一人の女性が。


 現在の建物を見上げている。


「何、あれ……」


 その隣にいた男性も。


「古い家……?」


「……」


 雲母と足立は顔を見合わせた。


「見えていますね」


「……ええ」


 別の場所でも。


「道が二つある」


「何言ってんの?」


「いや、本当に」


「俺にも見える」


 声が上がる。


 一人。


 二人。


 さらに。


 その向こうでも。


「……」


 足立が周囲を見回した。


「雲母お嬢様」


「何ですの?」


「これ」


 少し間を置く。


「僕だけじゃないですよね」


「……ええ」


 雲母は。


 現在の街に重なる。


 いくつもの過去を見る。


 その中で。


 今まで何も見えていなかった人々が。


 次々と。


 同じものを見始めていた。


「……」


「雲母お嬢様」


「何ですの?」


「どうしますか?」


「……」


 雲母は答えなかった。


 できることなど。


 最初から。


 何もなかった。


 ただ。


 今までは。


 足立だけが。


 現在を見ていた。


 その足立にも。


 もう。


 現在だけを見ることは、できなくなっていた。

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