第四十話 停止
「……」
「……」
雲母と足立は、しばらくその場に立っていた。
目の前には、いくつもの道がある。
現在の道。
かつて、そこにあった道。
さらに昔の道。
建物も同じだった。
一つの場所に。
いくつもの姿が重なっている。
「……雲母お嬢様」
「何ですの?」
「どちらへ行きますか?」
「……」
雲母は答えられなかった。
少し前まで。
足立には、今の街だけが見えていた。
だから。
雲母が分からなくなっても、足立についていけばよかった。
だが。
もう。
足立にも、同じものが見えている。
「……分かりませんわ」
「ですよね」
「ええ」
二人は動かなかった。
いや。
動けなかった。
*
周囲では。
人々の声が飛び交っていた。
「何なんだよ、これ」
「道、どっち?」
「ここに建物なんかなかったよね?」
「黒いの、また増えてる」
「あれ、人じゃない?」
「……」
雲母は周囲を見る。
死者の意識。
昔の建物。
昔の道。
過去らしき人々。
現在を歩いている人々。
それらが。
いくつも。
同じ場所に重なっている。
今までなら。
どれが現在なのか。
まだ分かった。
だが。
今は。
「……」
「雲母お嬢様?」
「何ですの?」
「今、何を見ているんですか?」
「……分かりませんわ」
「え?」
「何が今なのか」
雲母は目の前を見る。
「分からなくなってきましたの」
「……」
足立も周囲を見回す。
「僕もです」
「そうですのね」
「はい」
「……困りましたわね」
「本当に困っています?」
「困っておりますわよ」
「なんか、いつも通りなので」
「あら?」
雲母が少しだけ笑った。
足立も。
ほんの少しだけ笑った。
*
どれくらい。
そこに立っていたのだろう。
「……」
雲母が顔を上げた。
「足立さん」
「はい?」
「少し、静かではありませんこと?」
「……」
足立も周囲を見る。
先ほどまで。
あちこちから声が聞こえていた。
戸惑う声。
叫ぶ声。
誰かを呼ぶ声。
車の音。
足音。
だが。
今は。
「……静かですね」
「ええ」
人はいる。
道にも。
店の前にも。
交差点にも。
何人もの人間がいる。
だが。
「……」
一人の男性が。
横断歩道の途中に立っている。
片足を前へ出したまま。
動かない。
「……あの方」
「はい」
「止まっていますね」
「ええ」
その少し先。
一台の車が。
道路の途中で止まっている。
「事故……ではないですよね」
「そのようには見えませんわね」
別の人は。
携帯電話を持ったまま。
動かない。
さらに。
その向こうも。
「……」
「雲母お嬢様」
「ええ」
「みんな……」
「……」
雲母は答えなかった。
信号を見る。
赤。
しばらく待つ。
変わらない。
「……」
「さっきから、ずっと赤ですよね」
「ええ」
「どれくらいですか?」
「分かりませんわ」
「……」
足立は腕時計を見る。
「……あれ?」
「どうしましたの?」
「時計」
「時計?」
「動いていません」
「……」
雲母も自分の時計を見る。
秒針は。
同じ場所にある。
「……」
二人は黙った。
*
雲母は、もう一度街を見る。
過去の建物。
現在の建物。
昔の道。
今の道。
死者の意識。
生きている人々。
すべて。
そこにある。
だが。
動かない。
「……足立さん」
「はい?」
「以前」
「はい」
「時間について、お話ししましたわよね」
「……しましたね」
「時間が進むから、物事が変わるのか」
「はい」
「物事が変わることを、時間が進んだと認識しているだけなのか」
「……はい」
二人は街を見る。
二人のほかには。
何も。
変わらない。
「……」
「雲母お嬢様」
「何ですの?」
「これ」
足立は少し言葉を探した。
「時間が止まったんですか?」
「……」
雲母はしばらく考えた。
「分かりませんわ」
「……ですよね」
「ですが」
「はい?」
雲母は動かない街を見つめる。
「もし、わたくしたちが考えていたことが、少しでも合っていたのでしたら」
「……」
「時間が止まった、というより」
少し間を置く。
「何も変わらなくなった……のでしょうか」
「……」
「今の状態から」
雲母は静かに続ける。
「次へ、進まなくなった」
「……次の状態が」
「ええ」
「来ていない?」
「……」
雲母は少し首を傾げた。
「そうなのかもしれませんわね」
「分からない?」
「もちろんですわ」
「……」
足立が小さく笑った。
「最後まで、それですね」
「あら?」
「分かりませんわ、って」
「分からないものは、分かりませんもの」
「そうですね」
「ええ」
*
「……足立さん」
「はい?」
「一つ、気になることがありますの」
「まだあるんですか?」
「失礼ですわね」
「すみません」
雲母は少し考える。
「もし」
「はい」
「このあと、また何かが始まったといたしましょう」
「はい」
「わたくしたちが、またこうしてお話ししていたとして」
「……はい」
「そのわたくしたちは」
雲母は足立を見る。
「今のわたくしたちと、同じなのでしょうか」
「……」
足立は答えなかった。
「全部覚えていたとしても」
「……」
「同じ名前で」
「はい」
「同じ姿で」
「はい」
「今までのことを、すべて覚えていたとしても」
「……」
「それが」
雲母は少しだけ目を細める。
「今のわたくしたちの続きだと、分かるのでしょうか」
「……分かりません」
「そうですわよね」
「雲母お嬢様にも?」
「ええ」
「……」
「ですが」
「はい?」
雲母は少し笑った。
「もし、またお会いできましたら」
「……」
「その時に、また考えましょう」
「また考えるんですか?」
「あら。当然でしょう?」
「また喫茶店ですか?」
「それは考えものですわね」
「ですよね」
二人は少しだけ笑った。
そして。
また。
静かになった。
「……」
「……」
街は動かない。
人も。
車も。
信号も。
重なって見える、いくつもの過去も。
何も。
次へ進まない。
「……足立さん」
「はい?」
雲母は何かを言おうとして――




