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残響  作者: れすた
38/40

第三十八話 今の道

 喫茶店を出てから。


 二人は、しばらく無言で歩いていた。


「……」


「……」


 先ほど気づいたことが、頭から離れない。


 毎日、同じ喫茶店へ行く。


 同じ席に座る。


 同じものを頼む。


 そして、前の日から続く話をする。


 記憶はある。


 会話も続いている。


 それでも。


 何かを繰り返している。


「……雲母お嬢様」


「何ですの?」


「さっきのこと」


「ええ」


「どう思います?」


「分かりませんわ」


「即答ですね」


「だって、分かりませんもの」


「まあ……そうですよね」


「ただ」


 雲母は少し考える。


「気づいていなかったことの方が、気になりますわね」


「僕たちが、毎日同じことをしていたことですか?」


「ええ」


「……」


「毎日、自分で決めているつもりでしたの」


「僕もです」


「それなのに」


 雲母は足を進めながら呟く。


「どうして毎日同じ場所へ行くのか、一度も疑問に思わなかった」


「……嫌ですね」


「そうですわね」


 二人は再び黙った。


     *


 街の異常は。


 昨日よりも、さらに広がっていた。


「……」


 雲母は歩きながら、何度も周囲へ視線を向ける。


 現在の建物。


 昔の建物。


 さらに、その前にあった建物。


 現在の道路。


 昔の道。


 そのさらに前の道。


 現在を歩く人々。


 そこに重なる、過去らしき姿。


 死者の意識。


 黒いモヤ。


 すべてが。


 同じ視界の中にある。


「……」


「雲母お嬢様?」


「何ですの?」


「大丈夫ですか?」


「ええ」


「本当に?」


「……」


 雲母は答えなかった。


「雲母お嬢様?」


「少し」


「はい?」


「少しお待ちになって」


 雲母が立ち止まる。


 足立も足を止めた。


「どうしました?」


「……」


 目の前に。


 道がある。


 一本。


 二本。


 三本。


 それぞれ、幅が違う。


 伸びている方向も、わずかに違う。


 沿道に並ぶ建物も違う。


 どれも。


 はっきりと見える。


「……足立さん」


「はい?」


「今」


 雲母は目の前を見たまま尋ねる。


「わたくしたちは、どの道を歩いていましたの?」


「……え?」


「道ですわ」


「まっすぐですけど」


「まっすぐ……」


「はい」


 雲母は目を細める。


「こちら?」


 一つの道を指差す。


「……そこ、建物ですよ」


「そうですの?」


「はい」


「では、こちら?」


「そっちは車道です」


「……」


 足立の表情が変わった。


「雲母お嬢様」


「何ですの?」


「今の道が、分からないんですか?」


「……」


 雲母は少しだけ眉を寄せる。


「分かりづらいですわね」


「昨日より?」


「ええ」


 昨日は。


 一瞬だけだった。


 どれが今の道なのか、分からなくなった。


 だが。


 今は違う。


 意識して見ても。


 どれが現在の道なのか。


 すぐには判別できない。


「……」


「雲母お嬢様」


「何ですの?」


「僕が前を歩きます」


「……」


 雲母が足立を見る。


「足立さんが?」


「はい」


「大丈夫ですの?」


「僕には」


 足立は目の前を見る。


「普通の道しか見えていませんから」


「……」


 現在の道路。


 現在の建物。


 現在を歩く人々。


 足立には。


 それしか見えていない。


「こちらです」


 足立が歩き始める。


「……」


 雲母は少し遅れて、そのあとを追った。


     *


「右です」


「ええ」


「ここ、段差があります」


「分かりましたわ」


「そのまま、まっすぐです」


「ええ」


 足立が前を歩く。


 雲母は、その背中を追う。


 奇妙な光景だった。


 今まで。


 道の先に何かがいれば。


 雲母が見つけていた。


 足立には見えないものがあれば。


 雲母が説明していた。


 何が起きているのか分からなければ。


 足立が雲母に尋ねていた。


 だが。


 今は。


「足立さん」


「はい?」


「こちらで合っていますの?」


「合っていますよ」


「本当に?」


「疑わないでくださいよ」


「だって」


 雲母は周囲を見る。


「こちらにも道が見えますもの」


「僕には壁しか見えません」


「では、違いますのね」


「はい」


「……便利ですわね」


「何がですか?」


「足立さん」


「僕?」


「ええ」


「今まで、何も見えないって散々言ってきたんですけど」


「今は、それが便利ですわ」


「複雑ですね……」


 足立が苦笑した。


 少し歩いて。


「……でも」


「何ですの?」


 足立は前を向いたまま言った。


「僕にしか、ちゃんと見えていないものもあるんですね」


「足立さんにしか?」


「はい」


「何がですの?」


「今の街です」


「……」


 雲母が黙った。


「雲母お嬢様には、昔の街も見えるんでしょう?」


「ええ」


「死者も」


「ええ」


「黒いモヤも」


「ええ」


「僕には、何も見えない」


「そうですわね」


「だから」


 足立は目の前の道を見る。


「今の街だけなら、僕の方がちゃんと見えている」


「……」


 雲母は、しばらく何も言わなかった。


「雲母お嬢様?」


「何ですの?」


「変なこと言いました?」


「いいえ」


 雲母は小さく首を横に振る。


「その通りですわね」


     *


 しばらく進むと。


 周囲の騒ぎが、さらに大きくなっていた。


「あっちにもある」


「何なの、これ」


「黒いの、増えてない?」


「さっきまでなかったよな?」


 道行く人々が、あちこちを指差している。


 立ち止まる者。


 携帯電話を向ける者。


 その場から離れようとする者。


 黒いモヤが見える者は。


 もはや、珍しくなくなっていた。


「……」


「雲母お嬢様」


「ええ」


「また増えていますか?」


「かなり」


「……」


 足立は周囲を見回す。


「僕には、本当に何もないんですけどね」


「そうですわね」


「みんなが、何もないところを見ているようにしか見えない」


「ええ」


「……」


 足立は少し困ったような顔をした。


「なんか」


「何ですの?」


「僕の方がおかしいみたいですね」


「……」


 雲母は足立を見る。


「そんなことはありませんわ」


「そうですか?」


「ええ」


 少し間を置いて。


「少なくとも、今は」


「……」


「そのままでいてくださいませ」


「怖い言い方をしないでくださいよ」


「……」


 雲母は足立の背中を見る。


「足立さんにまで見えるようになったら」


「……」


 そこで、言葉が止まった。


「雲母お嬢様?」


「いいえ」


 雲母は小さく首を横に振る。


「何でもありませんわ」


     *


 二人は、そのまま歩き続けた。


「ここ、左です」


「ええ」


「そのままです」


「分かりましたわ」


 足立の声を頼りに。


 雲母は歩く。


 現在の道に重なる。


 昔の道。


 さらに昔の道。


 今は存在しない建物。


 過去の人々。


 死者の意識。


 黒いモヤ。


 そのすべての中を。


 足立だけが。


 迷わず歩いていく。


「……足立さん」


「はい?」


「少し、ゆっくり歩いてくださらない?」


「あ、すみません」


「見失いそうですの」


「僕を?」


「ええ」


 足立が歩調を緩めた。


「これくらいですか?」


「ええ」


「分かりました」


 雲母は、その背中を見つめる。


 今の足立。


 今日は。


 過去の姿は重なっていない。


 ただ一人。


 現在の足立だけが見えている。


「……」


「雲母お嬢様?」


「何ですの?」


「ちゃんと、ついてきていますか?」


「ええ」


 雲母は答えた。


「見えていますわ」


「なら、よかったです」


 足立は再び前を向いた。


 その背中を。


 雲母は追う。


 これまで。


 見えるのは、雲母の役目だった。


 見えない足立に。


 何がそこにあるのかを伝えてきた。


 だが今は。


 何も見えない足立だけが。


 雲母に。


 今、どこを歩いているのかを教えていた。

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