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残響  作者: れすた
35/40

第三十五話 意識

 翌日。


 雲母と足立は、また同じ喫茶店にいた。


「……」


「……」


「雲母お嬢様」


「何ですの?」


「今日もですか?」


「あら?」


「昨日の続きでしょう?」


「まだ何も申しておりませんわよ?」


「もう四日目ですからね」


「何がですの?」


「ここで難しい話をするのが、です」


「では、そろそろ慣れてきましたわね」


「慣れたくないんですけど……」


 雲母は紅茶のカップを持ち上げた。


「ですが、今日は少し違いますわ」


「違う?」


「ええ」


「何の話ですか?」


「死者の意識ですわ」


「……」


 足立の表情がわずかに変わった。


「戻りましたね」


「戻った、とは?」


「いや」


 足立は苦笑する。


「最近、過去とか未来とか、時間とか世界とか、そんな話ばかりだったでしょう?」


「ああ」


「最初は、死者の意識を調べていたんですよね」


「そうですわね」


 雲母は少し考える。


「ですが」


「はい?」


「もしかすると、戻ったわけではないのかもしれませんわ」


「……どういうことですか?」


 雲母はカップを置いた。


「昨日、状態について考えましたでしょう?」


「はい」


「昔の建物」


「はい」


「昔の道」


「昔の僕や、雲母お嬢様も」


「ええ」


「それがどうしたんですか?」


「では」


 雲母は足立を見る。


「死者の意識は?」


「……」


 足立が黙った。


「死者の意識も、亡くなった方の、かつての状態だと考えることはできませんの?」


「……ああ」


 足立は少し考える。


「確かに」


「でしょう?」


「昔、生きていた人」


「ええ」


「その人の姿が、今も見えている」


「ええ」


「……でも」


「何ですの?」


「死者の意識は動くでしょう?」


「そうですわね」


「話す人もいる」


「ええ」


「建物とは違いませんか?」


「もちろん違いますわ」


「じゃあ――」


「ですが」


 雲母が言葉を遮る。


「人間の状態には、その時していた動作や、考えていたことまで含まれるのではなくて?」


「……」


「何を見ていたのか」


「はい」


「何を考えていたのか」


「はい」


「何をしようとしていたのか」


「……」


「そういったものまで含めて、その方の状態だったとしたら?」


 足立は黙った。


「もちろん、まだ分かりませんわよ?」


「はい」


「ですが」


 雲母は言葉を選ぶ。


「死者の意識だけを、ほかのものとはまったく別の現象として考える必要があるのかしら、と」


「……なるほど」


「今まで、わたくしは」


 雲母は窓の外を見る。


「亡くなった方の意識が、何らかの理由でその場所に残っている」


「はい」


「そう考えていましたわ」


「違うんですか?」


「分かりませんわ」


「ですよね」


「ですが」


 雲母は足立へ視線を戻す。


「残っているのではなく」


 少し間を置く。


「その方が、かつてそうであった状態が、今も見えているだけだとしたら?」


「……」


 足立は何も言わなかった。


     *


「でも」


 しばらくして、足立が口を開いた。


「それだと、やっぱり変じゃないですか?」


「何がですの?」


「繰り返すことです」


「……」


「昔の建物は、ただそこに見えている」


「ええ」


「でも、死者の意識は」


「同じ状態を繰り返す」


「はい」


「……そうですわね」


「それに」


 足立は続ける。


「覚えている人と、覚えていない人もいましたよね」


「ええ」


 雲母の表情がわずかに変わった。


 刺されていた男。


 車に轢かれたと思われる死者。


 一度消え、再び現れた時。


 彼らは、雲母と交わした会話を覚えていなかった。


 そして。


 縁側の老人。


 あの老人は違った。


 自分が苦しんだこと。


 倒れたこと。


 雲母と話したこと。


 それらを、すべて覚えていた。


「……」


「雲母お嬢様?」


「何ですの?」


「何か気づきましたか?」


「いいえ」


「そうですか」


「ですが」


 雲母は少し眉を寄せた。


「以前から、少し気になっていたことがありますの」


「何ですか?」


「一度消えて」


「はい」


「再び現れた方」


「はい」


「その方は」


 雲母はゆっくりと言葉を選ぶ。


「消える前と、本当に同じ方なんですの?」


「……」


 足立が黙った。


「同じじゃないんですか?」


「どうしてそう思いますの?」


「どうしてって……」


「お顔が同じだから?」


「……はい」


「お名前が同じだから?」


「はい」


「生前のことを覚えているから?」


「……はい」


「では」


 雲母は足立を見る。


「わたくしと先ほどお話ししたことだけを、覚えていないのは?」


「……」


「同じ方が、その部分だけを忘れた?」


「かもしれません」


「ええ」


「……」


「ですが」


 雲母は続ける。


「消える前の方とは別の意識が、同じ姿と、同じ名前と、同じ生前の記憶を持って現れた」


「……」


「そう考えることもできますでしょう?」


「……できますけど」


「どちらなんですの?」


「分かりませんよ」


「ええ」


 雲母は静かに頷いた。


「わたくしにも分かりませんわ」


     *


「じゃあ」


 足立が言う。


「縁側のお爺さんは?」


「あの方が、どうかしまして?」


「あの人は、全部覚えていたんでしょう?」


「ええ」


「だったら、あの人は同じ意識なんじゃないですか?」


「……」


 雲母は答えなかった。


「違うんですか?」


「それも」


 少し間を置く。


「分かりませんわ」


「でも、覚えているんですよ?」


「ええ」


「雲母お嬢様と話したことも」


「ええ」


「苦しんだことも」


「ええ」


「何度も同じことを繰り返していることも」


「そうですわね」


「なら――」


「足立さん」


「はい?」


「もし」


 雲母は足立をまっすぐ見た。


「一度消えたあと」


「はい」


「その方が持っていた記憶を、すべて持つ別の意識が現れたとしたら?」


「……」


 足立の表情が止まった。


「その方は」


 雲母が続ける。


「ご自分を、消える前と同じ人間だと思うのではありませんこと?」


「……」


「わたくしとの会話も覚えている」


「はい」


「苦しんだことも覚えている」


「はい」


「以前にも、同じことを繰り返したと覚えている」


「……はい」


「でしたら」


 雲母はわずかに眉を寄せる。


「外から見て、その二つを区別できますの?」


「……できないですね」


「本人は?」


「……」


「ご自分が別の意識になったことに、気づけますの?」


「……分からないです」


「でしょう?」


 二人は黙った。


     *


「……嫌な話ですね」


 足立がぽつりと言った。


「そうですの?」


「だって」


 足立は困ったように笑う。


「覚えていなくても、同じかどうか分からない」


「ええ」


「全部覚えていても、同じかどうか分からない」


「ええ」


「じゃあ、どうやって確かめるんですか?」


「分かりませんわ」


「……」


「そもそも」


 雲母は少し考える。


「意識が同じであることを、確かめる方法なんてありますの?」


「……」


「足立さん」


「はい?」


「今、わたくしとお話ししている、あなたの意識」


「はい」


「それが、昨日の足立さんと同じであることを」


「……」


「証明できますの?」


 足立が固まった。


「……雲母お嬢様」


「何ですの?」


「それ、生きている僕にもやるんですか?」


「気になりましたもの」


「やめてくださいよ……」


「ですが」


「はい?」


「同じでしょう?」


「何がですか?」


「昨日のことを覚えている」


「はい」


「わたくしとの会話も覚えている」


「はい」


「ご自分のお名前も」


「もちろん」


「昔のことも」


「覚えていますよ」


「では」


 雲母は静かに尋ねた。


「それが、昨日と同じ意識である証明になりますの?」


「……」


 足立は答えなかった。


「……雲母お嬢様は、どうなんですか?」


「わたくし?」


「はい」


 今度は足立が雲母を見る。


「昨日の雲母お嬢様と、今の雲母お嬢様」


「ええ」


「同じなんですか?」


「……」


 雲母が黙った。


「全部覚えているから、同じなんですか?」


「……」


「でも、それじゃ――」


 足立は言葉を止めた。


 縁側の老人。


 すべてを覚えていた死者。


 その存在が、頭をよぎった。


「……」


「足立さん」


「はい?」


「困りましたわね」


「何がですか?」


 雲母は少し考えた。


「わたくし」


「はい」


「自分が昨日と同じ意識だと、証明できませんわ」


「……」


「僕もですよ」


「そうですの?」


「できるわけないじゃないですか」


「そうですわよね」


「……」


「……」


 二人は黙った。


 窓の外には。


 現在の街がある。


 そこには。


 いくつもの昔の状態が重なっている。


 昔の建物。


 昔の道。


 昔の人々。


 そして。


 過去の雲母。


 過去の足立。


 どれも。


 かつて、確かに存在したものだった。


「……足立さん」


「はい?」


「わたくしたち」


「はい」


「今まで、死者の意識について考えていましたわよね」


「そうですね」


「ですが」


 雲母は窓に映る自分を見る。


 今は。


 現在の自分しか映っていない。


「いつから」


 雲母は小さく呟いた。


「死者だけのお話だと思っていたのでしょうね」


 足立は。


 何も答えなかった。

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