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残響  作者: れすた
31/40

第三十一話 変わるもの、変わらないもの

 それから数日。


 雲母は、以前から見えている古い建物の前に立っていた。


「……」


「どうですか?」


 隣にいる足立が尋ねる。


「同じですわね」


「前と?」


「ええ」


 現在の建物。


 そこに重なるように見える、古い建物。


 三十年以上前に取り壊されたもの。


 最初に見つけた時から、その姿は変わっていない。


 窓。


 外壁。


 看板。


 どれも同じだった。


「昨日も確認したんですよね?」


「ええ」


「その前もですか?」


「同じでしたわ」


「じゃあ、昔のものは変わらない?」


「今のところは、そう見えますわね」


 雲母は古い建物を見上げる。


 別の場所で見つけた昔の看板も。


 今は存在しない道も。


 確認するたび、同じ姿で見えている。


「……」


「何か気になりますか?」


「ええ」


「やっぱり新聞ですか?」


「そうですわね」


 まだ起きていない事故の記事。


 死者三名。


 次に見た時には、死者はいなくなっていた。


 そして最後には、事故の記事そのものが消えた。


 実際にその日を迎えてみても、どの記事とも一致しなかった。


「昔のものは変わらない」


 足立が言う。


「でも、まだ起きていないものは変わった」


「……ええ」


「やっぱり、そこに何か違いがあるんですかね」


「ありそうですわね」


「何なんでしょう?」


「分かりませんわ」


「ですよね」


 雲母は古い建物をもう一度見上げた。


「ですから」


「はい?」


「もう少し確認してみたいですわね」


「何を確認するんですか?」


「何が変わり、何が変わらないのかを、ですわ」


     *


 それから。


 雲母は意識して、自分に見えるものを確認するようになった。


 昔の建物。


 変わらない。


 昔の看板。


 変わらない。


 なくなった道。


 変わらない。


 過去の足立らしき姿。


 現れるたび、同じ時点の姿とは限らない。


 だが、一度現れた姿が、見えている途中で別の姿へ変わることはなかった。


 雲母自身も同じだった。


 ガラスに重なって見えた、昔の自分。


 あの姿も。


 見えている間は、確かに自分の記憶にある姿のままだった。


「……」


「雲母お嬢様」


「何ですの?」


「また考えてますか?」


「ええ」


「難しい顔してますよ」


「仕方ありませんでしょう?」


「まあ」


 足立が苦笑する。


「最近、考えることが増えましたもんね」


「増えすぎですわ」


「珍しく弱音ですね」


「弱音ではありませんの」


「じゃあ、何ですか?」


「文句ですわ」


「もっと悪いじゃないですか」


「あら?」


 二人はそんな話をしながら歩いていた。


 その時。


 雲母が足を止めた。


「……」


「どうしました?」


「足立さん」


「はい?」


「こちらをご覧になって」


 雲母は、店先に置かれている掲示板を見ていた。


「何かあるんですか?」


「……」


 そこには、三日後に行われる催しの案内が貼られている。


 足立にも見える、ごく普通のもの。


 だが。


 その隣。


 雲母にだけ、もう一枚の紙が見えていた。


「また何か重なってるんですか?」


「ええ」


「昔のもの?」


「……いいえ」


 雲母は紙を見る。


 隅に記された日付は、三日後。


「また、まだ起きていないことですのね」


「……何が書いてあるんですか?」


「催しが中止になった、と」


「中止?」


「悪天候のため、と書かれていますわ」


 足立が空を見る。


 今は晴れている。


「三日後の天気なんて、まだ分かりませんよね」


「予報くらいは出ていますでしょうけれど」


「でも、中止になったことを知らせる紙が、もう見えてる?」


「そういうことになりますわね」


「……」


 雲母は案内を見つめる。


 しばらく。


 何も変わらない。


「今回は変わりませんね」


「今のところは、ですわ」


 二人はその場を離れた。


     *


 しばらくして。


 帰り道。


 雲母は、先ほどの掲示板の前で再び足を止めた。


「……」


「確認しますか?」


「ええ」


 中止を知らせる紙。


 まだ見えている。


「……?」


「どうしました?」


「変わっていますわ」


「やっぱり?」


 先ほどは。


 悪天候のため中止。


 そう書かれていた。


 だが、今は。


「会場設備の不具合により、延期」


「……中止じゃなくなった?」


「ええ」


「理由も違う」


「そうですわね」


 雲母は紙を見つめる。


 それから一度、目を離す。


 もう一度見る。


「……あら」


「またですか?」


「今度は、予定どおり開催されたことになっていますわ」


「…………」


 中止や延期を知らせる内容ではない。


 催しが無事に終了したことを伝えるものに変わっている。


「来場者数まで書いてありますわね」


「まだ開催の三日前ですよね?」


「ええ」


「……」


 足立が頭を掻く。


「やっぱり、まだ起きていないものだけ変わるんですかね」


「……」


 雲母は答えない。


 少しして。


 もう一度見る。


 紙そのものが消えていた。


 現在の案内だけが残っている。


「なくなりましたわ」


「……新聞と同じですね」


「ええ」


     *


 二人は近くのベンチに座った。


「昔のものは変わらない」


 足立が指を折る。


「ええ」


「まだ起きていないものは変わる」


「ええ」


「新聞だけじゃなかった」


「そうですわね」


「……」


 足立は少し考える。


「じゃあ」


「何ですの?」


「やっぱり、前に言ったとおりなんじゃないですか?」


「前に?」


「ほら」


 足立が言う。


「昔のことは、もう起きたから変わらない」


「ええ」


「まだ起きていないことは、どうなるか決まっていない」


「……」


「だから、いろんなものが見える」


 雲母は黙って足立を見た。


「……何ですか?」


「いいえ」


「変なこと言いましたか?」


「いいえ」


 雲母は少し考える。


「むしろ」


「はい?」


「とても普通のお話ですわね」


「普通?」


「ええ」


 雲母は指を一本立てる。


「過去は、すでに起きたこと」


「はい」


「未来は、まだ起きていないこと」


「はい」


「起きたことは変わらない」


「はい」


「まだ起きていないことは、どうなるか決まっていない」


「そうですね」


「……」


 雲母は黙った。


「雲母お嬢様?」


「何ですの?」


「何か引っかかってるんですか?」


「……少し」


「どこが?」


「それが、まだ分かりませんの」


「そこもですか」


「ええ」


 雲母は空を見上げた。


 過去。


 現在。


 未来。


 普段なら。


 わざわざ考えることすらない言葉。


「……足立さん」


「はい?」


「今は」


「はい」


「現在ですわよね?」


「……そりゃそうでしょう」


「そうですわよね」


「……」


「……」


 足立が雲母を見る。


「何ですか、その質問」


「いいえ」


 雲母は少し首を傾げた。


「では」


「はい?」


「現在って、何ですの?」


「…………」


 足立は黙った。


「雲母お嬢様」


「何ですの?」


「いよいよ変なところに入り始めてません?」


「わたくしも、そんな気がしておりますわ」


 雲母は少し困ったように笑った。


 過去は変わらない。


 まだ起きていないことは変わる。


 そこまでは。


 なんとなく分かる。


 では。


 その間にある。


 今というものは。


 いったい、何なのだろう。

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