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残響  作者: れすた
30/40

第三十話 まだ起きていないこと

 翌朝。


「……」


 雲母は、テーブルの上に広げた新聞を眺めていた。


「足立さん」


「はい?」


「大きな事故があったようですわね」


「事故?」


「ええ」


 足立が雲母の隣から新聞を覗き込む。


「どれですか?」


「こちらですわ」


 雲母が一つの記事を指差す。


 市内の交差点で、大きな事故が発生したという記事だった。


 複数の車が巻き込まれ、死者も出ている。


「……」


 足立が新聞を見る。


「どこですか?」


「ですから、こちらですわ」


「いや……」


 足立は、雲母が指差している場所を見つめた。


「そんな記事、ありませんよ?」


「……はい?」


「ここですよね?」


「ええ」


「別の記事ですけど」


「何を仰っていますの?」


 雲母は新聞を見る。


 確かにある。


 大きな見出し。


 事故現場の写真。


 事故の概要。


 死者三名。


 負傷者多数。


「ありますでしょう?」


「僕には見えません」


「……」


「またですかね」


「何がですの?」


「雲母お嬢様にだけ見えるもの」


「……」


 最近のことを考えれば、その可能性は十分にある。


「少しお待ちくださいませ」


「はい」


 雲母は記事を読む。


 事故が起きた場所。


 時刻。


 被害の状況。


 特におかしな内容ではない。


 どこにでもありそうな事故の記事に見える。


「黒いモヤは?」


 足立が尋ねる。


「見えませんわね」


「じゃあ、昔の記事が重なってるとか?」


「……」


 雲母は少し考えた。


「その可能性はありますわね」


 最近見えているものは、いずれも過去に存在していたものだった。


 ならば。


 新聞にも、過去の記事が重なって見えているのかもしれない。


「事故の場所は分かりますか?」


「ええ」


「昔、本当にあった事故なのか調べてみます?」


「そういたしましょう」


 雲母は頷いた。


 その時だった。


「……あら?」


「何ですか?」


 雲母が新聞へ顔を近づける。


「……」


「どうしました?」


「内容が……」


「内容?」


「変わっていますわ」


「はい?」


 先ほどまで。


 死者三名。


 負傷者多数。


 そう書かれていた。


 だが。


 今は違う。


「死者が……いませんわね」


「え?」


「重傷者二名。ほか数名が軽傷……」


 雲母は記事を読み直す。


「先ほどとは違いますわ」


「見間違いじゃないんですか?」


「違いますわ」


「でも、新聞ですよね?」


「ええ」


「記事が勝手に変わるんですか?」


「わたくしに聞かれても困りますわ」


「ですよね……」


 雲母は新聞から目を離さない。


 事故現場の写真も変わっていた。


 先ほどより、事故の規模が小さい。


「……」


「また変わりました?」


「いいえ」


 雲母はじっと記事を見つめる。


 何も起きない。


「……今は、このままですわね」


「何なんでしょう」


「分かりませんわ」


 雲母は腕を組んだ。


「少し時間を置いてみましょう」


     *


 しばらくして。


 雲母は再び新聞を開いた。


「……」


「どうですか?」


「……ありませんわ」


「何がです?」


「記事が」


「え?」


 事故の記事そのものが消えていた。


 そこには、足立が最初から見ていた別の記事が載っている。


「……」


「僕には何も変わってませんけど」


「そうでしょうね」


「雲母お嬢様には?」


「最初は大きな事故」


「はい」


「次は、それより小さな事故」


「はい」


「そして今は」


 雲母は新聞を見る。


「事故の記事そのものがありませんわ」


「……」


 足立も新聞を見る。


「昔の記事が重なってるって感じじゃなさそうですね」


「なぜですの?」


「同じ事故なのに、内容が変わったんでしょう?」


「ええ」


「過去に起きた事故なら、内容は一つなんじゃ……」


「……」


 雲母が足立を見る。


「足立さん」


「はい?」


「今、何と仰いました?」


「え?」


「過去に起きた事故なら、と」


「はい」


「……」


 雲母はもう一度、新聞へ視線を落とした。


 何かが引っかかった。


「事故が起きた日……」


「はい?」


 雲母は、先ほどまで見えていた記事の内容を思い返す。


 事故の場所。


 時刻。


 そして。


「……」


「雲母お嬢様?」


「日付」


「日付?」


「記事の日付ですわ」


「……」


 雲母は新聞の日付を見る。


 今日の日付。


 だが。


 先ほどまで事故の記事が見えていた紙面には。


「……明日の日付が書かれていましたわ」


「はい?」


「事故が起きた日も、明日になっていましたの」


「……」


 二人とも黙った。


「見間違いじゃないですか?」


「……」


「いや、疑ってるわけじゃないですけど」


「分かっていますわ」


 雲母はもう一度、新聞を見る。


 事故の記事はない。


 日付も、今日のものに戻っている。


「昔の記事では……ありませんのね」


「まだ起きてないですもんね」


「ええ」


「じゃあ」


 足立が少し言いよどむ。


「未来……ですか?」


「……」


 雲母はしばらく考えた。


「分かりませんわ」


「ですよね」


「ですが」


 新聞へ視線を落とす。


「もし、本当に明日の出来事だったのでしたら」


「はい」


「今まで見えていたものとは、明らかに違いますわね」


「昔のものは、実際にあった」


「ええ」


「でも、これはまだ起きてない」


「それに」


 雲母は指を一本立てる。


「内容が変わりましたわ」


「最初は死者三人」


「ええ」


「次は死者なし」


「ええ」


「最後は、記事そのものが消えた」


「そうですわ」


「……どれが本当なんですかね」


「……」


 雲母は新聞を見つめた。


「それですわね」


「え?」


「どれが正しいんですの?」


「……」


「最初の記事?」


「はい」


「次の記事?」


「はい」


「それとも」


 雲母は、事故の記事が消えた紙面を見る。


「どちらも正しくありませんの?」


「……明日になれば分かるんじゃないですか?」


 足立が言った。


 雲母が顔を上げる。


「そうですわね」


「記事に書かれていた場所と時刻も分かるんですよね?」


「ええ。覚えておりますわ」


「じゃあ、その時間に確認してみましょう」


「そういたしましょう!」


「……なんでちょっと楽しそうなんですか」


「楽しんでなどおりませんわ」


「顔が楽しそうですよ」


「気のせいですわ!」


「事故ですよ?」


「分かっていますわよ!」


     *


 翌日。


 二人は、記事に書かれていた交差点の近くにいた。


「……」


「雲母お嬢様」


「何ですの?」


「時間、過ぎましたね」


「……そうですわね」


 何も起きていない。


 車は普段どおりに行き交い、人々は横断歩道を渡っている。


 少なくとも。


 昨日、最初に見たような大事故は起きなかった。


 死者三名という事故も。


 複数の負傷者が出る事故も。


 確認できなかった。


「じゃあ、記事が消えたのが正解だったんですかね」


「……」


 雲母は少し考える。


「それは分かりませんわ」


「え?」


「最後に見えたのは、事故が起きないという記事ではありませんもの」


「あ」


「事故の記事が見えなくなっただけですわ」


「そうか……」


「ですから、事故が起きないものを見たとは限りませんの」


「じゃあ、結局」


 足立は何事も起きなかった交差点を見る。


「昨日見えた二つの記事は、どっちも外れた?」


「そういうことになりますわね」


「……未来が見えたわけじゃなかったんですかね」


「さあ?」


 雲母は交差点を見つめた。


 昨日見た記事。


 一つ目では、大勢が巻き込まれていた。


 二つ目では、事故の規模が小さくなっていた。


 そして実際には、何も起きなかった。


「……雲母お嬢様」


「何ですの?」


「これ、未来が見えていたんじゃないんですか?」


「……」


 雲母は足立を見る。


「未来でしたら」


 少し間を置く。


「どちらが未来だったんですの?」


「……」


 足立は答えられなかった。


「過去のものは」


 雲母が続ける。


「確認すれば、確かに存在していましたわ」


「はい」


「建物も」


「はい」


「看板も、道も」


「ええ」


「過去の姿も」


「確認できるものは、実際のものと一致していました」


「ですが、昨日の記事は違いますわ」


 雲母は何も起きていない交差点へ目を向ける。


「一つに決まりませんでしたもの」


「……まだ起きていなかったから?」


 足立が呟く。


「……」


 雲母が足立を見る。


「今、何と?」


「いや」


 足立は少し考える。


「過去のことは、もう起きたことじゃないですか」


「ええ」


「だから、もう変わらない」


「……」


「でも、まだ起きていないことなら」


 足立は交差点を見る。


「まだ、どうなるか決まっていない……とか?」


「……」


 雲母は黙った。


 しばらく。


 何も言わずに考えている。


「雲母お嬢様?」


「……それ」


「はい?」


「少し気になりますわね」


 雲母は、行き交う車を見つめた。


 過去に存在したもの。


 まだ起きていないもの。


 片方は変わらない。


 片方は、見るたびに変わる。


 そして。


 実際にその時を迎えた時。


 見えていたものの、どれにもならなかった。


 その違いが何を意味しているのか。


 まだ。


 分からなかった。

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