第二十九話 いくつもの過去
翌日。
「……」
「雲母お嬢様?」
「何ですの?」
「大丈夫ですか?」
「何がですか?」
「いや……さっきから、ずっと眉間にしわ寄ってますけど」
「あら?」
雲母は自分の眉間に指を当てた。
「そんな顔をしていましたの?」
「してましたよ」
「仕方ありませんわ」
「また見えてるんですか?」
「ええ」
雲母は周囲を見回した。
現在の街並み。
その中に、もう存在しないものが混ざっている。
古い建物。
昔の看板。
なくなった道。
そして。
現在を歩く人々に重なる、別の姿。
昨日、自分自身にも同じことが起きた。
あれから何度か鏡を確認したが、今のところ別の自分は見えていない。
だが。
街の異常は、明らかに続いていた。
「……見づらいですわね」
「僕には普通なんですけどね」
「何度も仰らなくて結構ですわ」
「すみません……」
二人は歩き続ける。
雲母には、現在の建物に重なる古い家が見えていた。
その隣には、今は存在しない店。
さらに。
「……?」
雲母が足を止めた。
「どうしました?」
「……おかしいですわね」
「何がですか?」
雲母は一つの場所を見つめる。
そこには現在、大きな建物がある。
そして、その手前には古い木造の建物が重なっている。
ここまでは、最近では珍しくない。
だが。
そのさらに奥。
もう一つ。
別の建物が見えていた。
「……」
「雲母お嬢様?」
「建物が」
「はい」
「二つありますわ」
「今の建物が?」
「いいえ」
雲母は目を細める。
「今あるものとは別に、二つですの」
「……ということは」
「三つ見えていますわね」
「同じ場所に?」
「ええ」
「……」
足立は目の前を見る。
当然、彼に見えるのは現在の建物だけだった。
「どちらが昔のものなんですか?」
「どちらも古そうですわね」
「同じ建物ですか?」
「いいえ。形が違いますわ」
「……」
雲母は二つの建物を見比べる。
一つは木造。
もう一つは、それよりも新しい造りに見える。
看板も違う。
窓の位置も違う。
「……今までは」
雲母が呟く。
「昔のものが、一つ重なって見えているのだと思っていましたわ」
「違うんですか?」
「少なくとも、ここは違いますわね」
現在の建物。
古い建物。
さらに、別の古い建物。
三つが同じ場所にある。
「……調べますか?」
足立が尋ねる。
「ええ」
*
二人は、その場所について簡単に調べた。
現在の建物が建つ以前。
そこには別の建物があった。
さらに遡ると。
その前にも、また別の建物が存在していた。
「……」
「合っていますか?」
「ええ」
雲母は資料と目の前の景色を見比べる。
「こちらが、後の方ですわね」
「じゃあ、もう一つは?」
「さらに昔のものですわ」
「……両方見えているんですか?」
「ええ」
「同時に?」
「そうですわね」
足立は少し考え込む。
「じゃあ……昔の一時点だけが見えてるわけじゃない?」
「そのようですわね」
雲母も腕を組む。
「少なくとも、ここには異なる時期のものが二つ見えていますもの」
「……」
現在。
少し昔。
さらに昔。
同じ場所に存在した、それぞれ別の建物。
それが今。
同時に見えている。
「なんか、ややこしくなってきましたね」
「最初からややこしいですわよ」
「それもそうですね」
*
それから。
雲母は意識して周囲を見るようになった。
すると。
一度気づいてしまえば、同じような場所はいくつもあった。
「……こちらもですわね」
「また?」
「ええ」
現在は広い道路。
そこに、以前見たような細い道が重なっている。
だが。
それだけではない。
さらに別の位置にも、道が見える。
「二本?」
「ええ」
「今の道路を入れたら三本?」
「そうなりますわね」
「……どれを通ればいいんですか?」
「足立さんには一つしか見えていないでしょう?」
「そうでした」
「嫌味ですの?」
「違いますよ」
雲母は小さく息を吐く。
少し先。
現在の店。
そこに昔の店が重なっている。
さらに、別の看板。
その看板には、重なっている店とも違う名前が書かれていた。
「……」
人にも。
現在の姿。
少し若い姿。
さらに。
「……あら」
「今度は?」
「あの方」
一人の男性。
現在の姿に、別の姿が重なっている。
昨日から何度も見た現象。
だが。
「……もう一つ、お姿が重なっていますわね」
「え?」
「同じ方のお姿が、三つ重なっていますわ」
「…………」
現在の男性。
少し若い男性。
さらに若い男性。
三つの姿が、同じ場所に重なって歩いている。
「それ、本人なんですか?」
「分かりませんわ」
「ですよね」
「ですが、どのお姿も同じ方に見えますの」
「……」
男性本人は、何も気づいていない。
普通に歩いている。
やがて一つの姿が消える。
さらに、もう一つも消えた。
現在の男性だけが残る。
「……消えましたわね」
「やっぱり昨日と同じような感じですか?」
「ええ。ただ」
雲母は男性の背中を見る。
「重なって見えるお姿は、一つとは限らないようですわね」
*
雲母の視界は。
少しずつ、騒がしくなっていった。
現在の街。
昔の街。
さらに昔の街。
現在の人。
過去らしき人。
黒いモヤをまとった死者の意識。
それぞれが、同じ場所に重なっている。
「……」
雲母は立ち止まった。
「雲母お嬢様?」
「……」
「大丈夫ですか?」
「少しお待ちくださいませ」
「はい」
雲母は目を閉じた。
「……」
「やっぱり見づらいですか?」
「ええ」
しばらくして、目を開ける。
何も変わらない。
「目を閉じても、なくなりませんよね」
「開ければ見えますもの」
「そりゃそうですね」
「……」
雲母は少し不満そうに足立を見る。
「今のは何か腹が立ちますわね」
「なんでですか」
「分かりませんわ」
「理不尽だ……」
雲母は再び街を見る。
足立には。
今も普通の街が見えている。
だが、雲母には。
もう、そうは見えなかった。
「足立さん」
「はい?」
「今まで」
雲母は、目の前に重なるいくつもの建物を見る。
「昔のものが見えている、と考えていましたわよね?」
「はい」
「それ自体は、今も間違っていないのかもしれませんわ」
「じゃあ、何が気になるんですか?」
「……」
雲母は現在の建物を見る。
その上に重なる、少し昔の建物。
さらに、その前に存在した建物。
別の位置を走る昔の道。
いくつもの姿が重なって見える人々。
「一つではありませんの」
「何がですか?」
「見えている時点が、ですわ」
「……」
「昨日のものも」
「はい」
「もっと昔のものも」
「はい」
「さらに昔のものも」
雲母は周囲を見回す。
「すべて、同じところに見えていますわ」
足立は黙った。
「……それって」
「何ですの?」
「どういうことなんでしょうね」
「……」
雲母は少し考えた。
だが。
答えは出ない。
「分かりませんわ」
「ですよね」
「ただ」
雲母は、いくつもの姿が重なった街を見る。
「見えている過去は」
少し間を置く。
「一つの時点だけではありませんのね」
「……昨日も、一年前も、十年前も?」
「ええ」
「それが全部、今ここに見えている?」
「……」
雲母は静かに頷いた。
「そういうことになりますわね」
現在の街。
その同じ場所に。
いくつもの過去が重なっていた。




