第二十七話 重なるもの
それから数日。
雲母に見える奇妙なものは、さらに増えていた。
今はもう存在しない建物。
昔の店の看板。
なくなった道。
そのたびに、確認できる範囲で調べてみたが、結果は同じだった。
雲母が見たものは、かつて実際にその場所に存在していた。
「……またですわね」
「今度は何ですか?」
足立が尋ねる。
「お店ですわ」
「店?」
「ええ」
雲母は道路の向こうを見る。
現在は大きなビルが建っている。
その一階には、いくつもの店舗が並んでいた。
だが。
雲母には、その手前に重なるように、古い小さな商店が見えていた。
木造の店構え。
色褪せた暖簾。
店先に並べられた商品。
そして、その周囲を覆う黒いモヤ。
「……」
「今回も、昔のものみたいですか?」
「おそらくは」
「調べますか?」
雲母は少し考えた。
「いえ」
「あれ?」
「一つ一つ調べていては、きりがありませんわ」
「……雲母お嬢様がそれ言うんですか?」
「何ですの?」
「いや、成長したなと」
「失礼ですわね」
「すみません」
雲母は古い商店を見つめる。
以前なら、すぐに名前を確認し、資料を探していただろう。
だが今では、同じようなものをあちこちで見る。
「少なくとも」
雲母が言った。
「これまで確認したものは、すべて昔そこに存在していたものでしたわ」
「じゃあ、これも?」
「そうかもしれませんわね」
「……なんか」
足立が現在のビルを見上げる。
「変な話ですね」
「ええ」
「僕には、普通のビルしか見えないんですよ」
「そうですわね」
「雲母お嬢様には、そこに昔の店も見えてる」
「ええ」
「同じ場所に?」
「重なるように、ですわね」
「……」
足立は何もない空間をしばらく見つめた。
「やっぱり分かりません」
「でしょうね」
「ちょっとくらい見えてもよさそうなのに」
「あら」
雲母が足立を見る。
「見たいんですの?」
「……いや」
「では、よろしいではありませんの」
「そうですね」
二人は再び歩き始めた。
*
だが。
以前と違うのは、数だけではなかった。
雲母には時折、一つの場所に複数のものが重なって見えるようになっていた。
「……」
「またですか?」
「ええ」
現在の道路。
そこに重なる、細い昔の道。
現在の建物。
その手前に見える、古い家。
さらにその隣には、今はもうない看板。
それぞれが透けているわけではない。
どれも確かに見える。
なのに。
同じ場所に存在している。
「……見づらいですわね」
「そういう問題なんですか?」
「だって、見づらいんですもの」
「まあ……雲母お嬢様にしか分からないですけど」
「足立さんには、普通に見えているんですのよね?」
「はい」
「羨ましいですわ」
「今の状況で言われても、全然嬉しくないですね」
周囲では、黒いモヤについて話す声も珍しくなくなっていた。
「あそこも黒い」
「また?」
「最近、本当に多いよね」
だが。
その中に何があるのか。
それが見えている者が、雲母以外にいるのか。
そこまでは分からない。
足立には、相変わらず何も見えていなかった。
*
しばらく歩いたところで、雲母が足を止めた。
「足立さん」
「はい?」
「少し休みませんこと?」
「珍しいですね」
「あら?」
「雲母お嬢様の方から、休もうって言うの」
「わたくしだって疲れますわよ」
「それもそうですね」
二人は近くのベンチへ向かった。
足立が先に歩く。
雲母は、その少し後ろ。
「……」
何気なく、雲母は足立の背中を見た。
そして。
「……あら?」
足が止まる。
「?」
足立は気づかず歩いている。
「……」
雲母は目を細めた。
足立。
いつもの服。
いつもの後ろ姿。
何もおかしくない。
そう思った。
だが。
一瞬。
その姿に、別の姿が重なった。
「……?」
雲母が瞬きをする。
元に戻っている。
「……」
足立が振り返った。
「雲母お嬢様?」
「……」
「どうしました?」
「少し、こちらへ来てくださいませ」
「はい?」
「早く」
「え、何ですか?」
足立が戻ってくる。
雲母は、その姿をじっと見る。
「……」
「何ですか?」
「動かないでくださいませ」
「え?」
「そのまま」
「……はい」
雲母は足立を観察する。
顔。
服装。
身体。
何も変わったところはない。
「雲母お嬢様?」
「……」
「怖いんですけど」
「静かになさい」
「はい……」
しばらく。
何も起きない。
「……気のせいだったのかしら?」
「何がですか?」
「今――」
雲母が言いかけた。
その瞬間。
「……!」
また。
足立の姿に、別の姿が重なった。
今度は、はっきり見えた。
「……足立さん」
「はい?」
「そのままで」
「動いてませんよ」
目の前にいる足立。
そして。
それに重なる、もう一人の足立。
足立と同じ顔だった。
だが、今よりも少し若い。
髪型も違う。
着ている服も違う。
現在の足立とは、明らかに姿が異なっていた。
「……」
雲母は黙って二人を見る。
いや。
二人ではない。
そこにいるのは、一人だ。
足立本人は、何も気づいていない。
「……雲母お嬢様?」
「足立さん」
「はい」
「以前、そのようなお洋服を着ていらしたことは?」
「そのような?」
「今とは違う服ですわ」
「どんな服ですか?」
雲母が、見えている服装を説明する。
足立は少し考えた。
「……ありますね」
「ありますの?」
「はい。昔持ってました」
「いつ頃ですの?」
「えーっと……」
足立は記憶を探る。
「何年か前ですね。もう捨てましたけど」
「……」
「それがどうしたんですか?」
雲母は答えなかった。
目の前の足立。
その姿に重なっている、過去の足立らしき姿。
しばらくすると。
過去の姿は消えた。
いつもの足立だけが残る。
「……消えましたわ」
「何がですか?」
「足立さんですわ」
「僕、いますけど!?」
「今の足立さんではありませんの」
「僕以外の僕がいたんですか?」
「そう見えましたわね」
「嫌なこと言わないでくださいよ!」
「わたくしだって、好きで見たわけではありませんわ」
「どんな感じだったんですか?」
「少しお若かったですわね」
「……」
「服装も違いましたし」
「さっき言ってた服ですか?」
「ええ」
足立は自分の身体を見る。
当然。
何も変わっていない。
「僕には何も……」
「でしょうね」
「黒いモヤも?」
「……」
雲母は少し考える。
「黒いモヤはなかったんですか?」
「分かりませんわ」
「え?」
雲母は、もう一度足立を見る。
「先ほどは、あなたの姿に気を取られていて、確認しておりませんでしたの」
「確認してなかったんですか?」
「ええ」
「……」
「次に見えたら確認しますわ」
「次がある前提なんですか?」
「分かりませんけれど」
「ない方がいいんですけど……」
「それは、わたくしも同感ですわ」
*
二人はベンチに座った。
足立はまだ、自分の腕や服を時折確認している。
「……何も変わってないですよね?」
「ええ。今は」
「今は、って付けないでくださいよ」
「事実ですもの」
「嫌だなあ……」
雲母は黙って足立を見る。
「……」
「何ですか?」
「いえ」
今まで見えていたもの。
昔の建物。
昔の看板。
昔の道。
どれも。
かつて、その場所に存在していたものだった。
そして。
今度は。
「……足立さん」
「はい?」
「先ほど見えたあなたも」
雲母は少し考える。
「昔のあなた、ということになりますの?」
「……そうなんですかね」
「少なくとも、お洋服については一致しましたわね」
「でも」
足立が言う。
「建物とか道と、僕って同じなんですか?」
「……」
雲母は黙った。
「いや、同じって言い方も変ですけど」
「ええ」
「これまでは、昔の建物なんかが見えていたんですよね?」
「そうですわ」
「それが、今度は僕?」
「そう見えましたわね」
「……」
二人とも黙る。
雲母は周囲へ目を向けた。
現在の街。
そこに重なる、昔のもの。
そして。
隣には、現在の足立が座っている。
「……物だけではありませんのね」
雲母が小さく呟いた。
「え?」
「いえ」
雲母は足立を見る。
「足立さん」
「はい?」
「もし、また別のあなたが見えましたら」
「はい」
「少し詳しく確認させてくださいませ」
「……嫌です」
「あら?」
「なんか実験台みたいじゃないですか」
「大丈夫ですわ」
「何がですか?」
「見るだけですもの」
「それが嫌なんですよ……」
雲母は少しだけ笑った。
だが。
すぐに、その表情は戻った。
昔の建物。
昔の道。
そして。
昔の足立。
今まで外側にだけ見えていたものが。
少しずつ。
二人のすぐそばまで近づいてきていた。




