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残響  作者: れすた
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第二十六話 昔そこにあったもの

 三十年以上前に取り壊された建物。


 それがなぜ、今になって見えているのか。


 雲母と足立には、結局、分からなかった。


 ただ一つ確認できたのは、雲母が見た建物が実際にその場所に存在していたということだけだった。


「……」


「雲母お嬢様?」


「何ですの?」


「まだ気にしてます?」


「当然でしょう?」


 雲母は歩きながら答える。


「三十年以上前に取り壊された建物が、今も見えているんですのよ?」


「まあ……そうですよね」


「死者の意識でもありませんでしたし」


「怪異でもなさそうだったんですか?」


「少なくとも、今まで見てきたものとは違いましたわね」


「じゃあ、何だったんでしょう」


「それが分かれば苦労しませんわ」


「ですよね……」


 あれから数日。


 同じ場所を再び確認してみたが、古い建物はまだ見えていた。


 現在の店舗と重なるように。


 ただ、そこにある。


 動かない。


 反応しない。


 何かを繰り返している様子もない。


 そして周囲の一部の人間には、やはり黒いモヤとして見えているようだった。


「建物にも、何か残ることがあるんですかね」


「さあ?」


「死者みたいに」


「それも分かりませんわ」


「何も分からないですね」


「ですから、調べているのでしょう?」


「はいはい」


 二人はそのまま歩いていく。


 街には、相変わらず黒いモヤが見える。


 雲母には、その中にいる死者の意識も見えていた。


 そして。


「……あら?」


 また、雲母が足を止めた。


「今度は何ですか?」


「……」


「雲母お嬢様?」


 雲母は、一軒の店を見ていた。


 現在営業している、ごく普通の店。


 その入口付近。


 黒いモヤ。


「また死者ですか?」


「いえ……」


 雲母は目を細める。


「違いますわね」


「じゃあ、また建物?」


「それも違いますわ」


「……何が見えているんですか?」


 雲母はしばらく黙っていた。


「看板……ですわね」


「看板?」


「ええ」


 店先。


 現在の看板とは別に。


 古びた看板が見えている。


 文字も違う。


 店の名前も違う。


 今の店とは、まったく関係がないように見えた。


「今ある看板とは別なんですか?」


「ええ」


「また重なっているんですか?」


「そのように見えますわね」


「……」


 足立は店先を見る。


 当然、彼には現在の看板しか見えていない。


「どんな看板ですか?」


「ずいぶん古そうですわね」


「名前は?」


 雲母が読み上げる。


 足立が携帯電話を取り出した。


「……また調べるんですよね?」


「もちろんですわ」


「ですよね」


 検索する。


 だが、すぐには情報が出てこない。


「ないですね」


「もう少し調べられませんの?」


「調べてますよ」


「頑張ってくださいませ」


「簡単に言いますね……」


 しばらく探して。


「あ」


「何か見つかりましたの?」


「これ……ですかね」


 足立が画面を雲母へ見せる。


 古い地域の記録。


 そこに、同じ名前の店が載っていた。


「……」


「昔、ここにあった店みたいですね」


「いつ頃ですの?」


「かなり前ですよ。今の店になるより、ずっと前です」


「看板の形が分かるものはありませんの?」


「ちょっと待ってください」


 さらに探す。


 古い写真が一枚見つかった。


 雲母が覗き込む。


「……同じですわね」


「本当に?」


「ええ」


 写真に写っている看板。


 今、雲母に見えているものと同じだった。


「……またですね」


 足立が呟く。


「ええ」


「前は建物」


「今回は看板」


「どちらも、昔ここにあったもの」


「……」


 雲母は答えず、古い看板を見つめた。


     *


 その日は、それだけでは終わらなかった。


 二人がさらに歩いていると、雲母がまた足を止めた。


「……?」


「……雲母お嬢様」


「何ですの?」


「また何か見つけました?」


「ええ……」


「今度は何ですか?」


 雲母は道路の脇を見ていた。


「……道?」


「はい?」


「いえ」


 雲母は少し首を傾げる。


「路地……でしょうか」


「路地?」


「ええ」


 現在、その場所には建物が並んでいる。


 人が通れる隙間などない。


 だが。


 雲母には見えていた。


 建物の間へ続いていく、細い道。


 古びた塀。


 その先に並ぶ、小さな家々。


 現在の街並みと重なるように。


 別の景色が続いている。


「……」


「雲母お嬢様?」


「少し変ですわね」


「何がですか?」


「ここに、道が見えますの」


「道?」


「ええ」


 足立は雲母の視線の先を見る。


「……建物しかないですよ」


「そうですわよね」


「そこを通れるんですか?」


「分かりませんわ」


「試しますか?」


「……」


 雲母は少し考えた。


「今はやめておきましょう」


「珍しい」


「何ですの?」


「絶対に行くって言うと思いました」


「現在の建物に向かって歩いていくことになりますでしょう?」


「まあ、僕にはそう見えますね」


「壁にぶつかるのは嫌ですわ」


「そこは嫌なんですね」


「当たり前でしょう?」


 雲母はもう一度、細い路地を見る。


「足立さん」


「はい?」


「これも調べられませんの?」


「道を?」


「ええ」


「……古い地図でも探します?」


「お願いしますわ」


「また僕ですか」


「助手でしょう?」


「ですよね……」


     *


 しばらくして。


 二人は古い地図を確認していた。


「……」


「雲母お嬢様」


「ええ」


「ありました」


 足立が地図を指差す。


 現在は建物が並んでいる場所。


 そこに。


 一本の細い道が記されている。


「これですの?」


「雲母お嬢様に見えている場所と合っているなら」


「……」


 雲母は現在の街並みを見る。


 そして。


 自分にだけ見えている細い路地を見る。


「合っていますわ」


「昔は本当に道だったんですね」


「そうですわね」


「今はなくなっている」


「ええ」


「でも、雲母お嬢様には見える」


「……ええ」


 二人は黙った。


 最初は建物だった。


 三十年以上前に取り壊された建物。


 次は看板。


 昔、その場所にあった店の看板。


 そして今度は。


 すでに存在しない道。


「……偶然じゃなさそうですね」


 足立が言った。


「そうですわね」


「全部、昔そこにあったものですよね?」


「……」


 雲母は答えず、しばらく考えた。


 現在の建物。


 その向こうへ続いて見える、古い路地。


 人々は何も知らず、その前を通り過ぎていく。


 一部の者だけが、そこに漂う黒いモヤを気にしている。


「あそこ、また黒いね」


「最近どこにでもあるな」


 そんな声が聞こえる。


 だが。


 その中に何が見えているのか。


 彼らは知らない。


「足立さん」


「はい?」


「最初の建物」


「はい」


「昔、そこにありましたわね」


「ええ」


「看板も」


「昔の店のものでした」


「この道も」


「昔は本当にあった」


「……」


 雲母は、ゆっくりと周囲を見回した。


「どれも」


 少し間を置く。


「以前、この場所に存在していたものですわね」


「……そうですね」


「それが今」


 雲母は古い路地を見る。


「わたくしには見えている」


「……」


 足立は黙って雲母を見る。


「まさか……」


 雲母が小さく呟いた。


「わたくしに見えているのは、昔のものですの?」


「……過去が見えているってことですか?」


「分かりませんわ」


 雲母はすぐに答えた。


「ただ」


 現在の街並み。


 そこに重なって見える、もう存在しない道。


 雲母はその両方を見つめる。


「そう考えると、今のところは辻褄が合いますわね」


「……」


「ですが」


 雲母は少し眉を寄せた。


「どうして、そんなものが見えるんですの?」


 足立は答えられなかった。


 雲母にも。


 もちろん、分からなかった。

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