↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
残響  作者: れすた
25/40

第二十五話 そこにない建物

 それからも、黒いモヤを見たという話は増え続けていた。


 街を歩いていれば、時折そんな声が聞こえてくる。


「あそこ、また黒くない?」


「最近よく見るね」


「何なんだろう」


 最初の頃のように、大騒ぎする者ばかりではなくなっていた。


 見える者もいれば、見えない者もいる。


 人それぞれではあるが、少なくとも黒いモヤというものの存在は、少しずつ人々の間で知られ始めていた。


 そんな中。


 雲母と足立は、いつものように街を歩いていた。


「……」


「雲母お嬢様?」


「何ですの?」


「また、いました?」


「ええ」


 雲母は通りの向こうを見る。


 一人。


 その先にも、もう一人。


 以前なら珍しかった死者の意識も、今では街中で見かけても驚かなくなっていた。


「今日は多いですか?」


「そうですわね」


「……なんか、嫌な慣れ方してきましたね」


「仕方ありませんでしょう?」


「まあ、そうですけど」


 二人はそのまま歩いていく。


 そして。


「……あら?」


 雲母が足を止めた。


「どうしました?」


「……」


 雲母は少し先を見ている。


 そこにも、黒いモヤがあった。


「また死者ですか?」


「……」


「雲母お嬢様?」


「少しお待ちくださいませ」


 雲母は目を細める。


 黒いモヤ。


 それ自体は、これまでにも何度も見てきた。


 だが。


「……?」


 おかしい。


「どうしました?」


「いえ……」


 雲母は、その黒いモヤへ近づいていく。


「ちょ、雲母お嬢様?」


「足立さんも来てくださいませ」


「何かいるんですか?」


「今、それを確認しているところですわ」


「またそれですか……」


 足立も後を追う。


 近づくにつれて、雲母には黒いモヤの中にあるものが少しずつ見えてきた。


「……」


 人ではない。


 死者の意識でもない。


 怪異のようにも見えない。


 そこにあったのは――


「……建物?」


「はい?」


 足立が聞き返す。


 雲母は答えず、目の前を見つめていた。


 古びた建物。


 二階建て。


 今ではあまり見かけない形の窓。


 色褪せた外壁。


 古い看板らしきものまで掛かっている。


「……何ですの、これ?」


「何が見えているんですか?」


「建物ですわ」


「建物?」


「ええ」


 足立は、雲母が見ている方向へ顔を向ける。


「……普通の店がありますけど」


「それではありませんの」


「じゃあ、どれですか?」


「そこですわ」


「そこ?」


「ええ」


「……」


 足立は目を凝らす。


「分かりません」


「そうでしょうね」


「どんな建物なんですか?」


「古い建物ですわね」


「古い?」


「ええ」


 雲母は首を傾げる。


「ですが……」


 目の前には、現在の店舗がある。


 その同じ場所に重なるように、雲母にはまったく別の建物が見えていた。


「……」


「雲母お嬢様?」


「おかしいですわね」


「何がです?」


「この建物、以前からありましたかしら?」


「今ある店なら、前からありますよ」


「そちらではありませんわ」


「……僕にはそれしか見えないんですって」


「そうでしたわね」


 雲母は再び、古い建物を見る。


 形ははっきりしている。


 だが、現在の建物と同じ場所に存在している。


 重なっている。


 それなのに、どちらも見える。


「……」


 その時。


「また黒いのある」


 近くを歩いていた者の声が聞こえた。


 雲母が振り返る。


 二人組の若者が、こちらを見ていた。


「あそこ」


「ああ。本当だ」


「最近多いな」


「……」


 雲母は二人を見る。


 そして、もう一度古い建物を見る。


「足立さん」


「はい?」


「あの方々にも見えているようですわ」


「建物が?」


「いいえ」


 雲母は首を横に振る。


「黒いモヤが、ですわ」


「……」


「ですが」


 雲母は目の前の建物を見つめる。


「その黒いモヤの中に見えるのは、人ではありませんわね」


「じゃあ……何なんですか?」


「……」


 少し間を置いて。


「建物ですわ」


「…………」


 足立が黙った。


「いや」


「何ですの?」


「意味が分からないんですけど」


「わたくしもですわ」


「黒いモヤの中に、建物がある?」


「そう見えますの」


「死者じゃなく?」


「ええ」


「怪異でもなく?」


「少なくとも、今まで見てきたものとは違いますわね」


「……」


 足立はもう一度、何も見えない場所を見る。


「何です、それ」


「ですから」


 雲母も首を傾げる。


「何ですの、これ?」


     *


 雲母は、その場でしばらく建物を観察した。


 動かない。


 何かを繰り返すわけでもない。


 こちらへ反応する様子もない。


 ただ。


 そこにある。


「……」


「何か分かりましたか?」


「いいえ」


「ですよね」


「ですが」


 雲母は古い看板へ目を向けた。


 文字が書かれている。


 かなり色褪せているが、読めないほどではない。


「足立さん」


「はい?」


「少し調べてみましょう」


「何をですか?」


「この建物ですわ」


「僕には見えないんですけど」


「わたくしが覚えておりますもの」


「そういう問題ですか?」


「看板に名前も書かれていますわ」


「名前?」


「ええ」


 雲母はそれを読み上げる。


 足立が携帯電話を取り出した。


「……検索してみます?」


「お願いしますわ」


「出ますかね」


「さあ?」


「そこは自信ないんですね」


「調べる前から分かるわけがありませんでしょう?」


「はいはい」


 足立が名前を入力する。


 しばらくして。


「……あれ?」


「何か見つかりまして?」


「ちょっと待ってください」


 足立が画面を見つめる。


「……これですか?」


 雲母が画面を覗き込む。


 そこには、一枚の古い写真が表示されていた。


「……」


「雲母お嬢様?」


 雲母は黙って写真を見る。


 写真の中に写っている建物。


 二階建て。


 窓の形。


 外壁。


 看板。


 雲母が今、目の前に見ているものと同じだった。


「……これですわ」


「本当に?」


「ええ」


 足立が画面をスクロールする。


「でも、この建物……」


「何ですの?」


「かなり昔のものみたいですよ」


「昔?」


「はい」


 さらに調べる。


 そして。


「……取り壊されています」


「いつですの?」


「三十年以上前ですね」


「……」


 雲母は顔を上げた。


 目の前には。


 今の建物。


 そして。


 その同じ場所に。


 三十年以上前に取り壊されたはずの建物が、今も見えている。


「……雲母お嬢様」


「ええ」


「これ……」


「……」


 雲母はしばらく何も言わなかった。


 死者ではない。


 人間でもない。


 何かが動いているわけでもない。


 ただ。


 かつて存在していた建物が。


 今。


 そこに見えている。


「……」


 雲母は、古い建物を見上げた。


「これは……」


 少し考える。


「どういうことですの?」


 足立は答えなかった。


 答えられるはずもなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。