第二十三話 増えている
数日後。
雲母と足立は、街中を歩いていた。
今日は調査ではない。
相談を受けたわけでもない。
ただ、雲母の買い物に足立が付き合わされているだけだった。
「足立さん」
「はい?」
「こちらと、こちら。どちらがよろしいと思いますの?」
「……僕に聞きます?」
「聞いておりますわ」
「いや、どっちでもいいと思いますけど」
「まあ」
雲母が不満そうに足立を見る。
「少しくらい真面目に考えてくださらないかしら?」
「考えてますよ」
「では、どちらですの?」
「……こっちで」
「理由は?」
「…………」
「ほら」
「じゃあ雲母お嬢様が決めてくださいよ!」
「人に意見を求めているのでしょう?」
「僕の意見、絶対採用する気ないですよね?」
「あら。そんなことありませんわよ?」
「本当ですか?」
「参考にはいたしますわ」
「参考止まりじゃないですか……」
結局、雲母はしばらく悩んだ末、足立が選ばなかった方を手に取った。
「ほら!」
「何ですの?」
「やっぱり僕に聞く意味なかったじゃないですか!」
「参考にした結果ですわ」
「どう参考にしたら逆になるんですか……」
そんなやり取りをしながら店を出る。
昼下がり。
通りには多くの人が行き交っていた。
買い物袋を提げた人。
学生。
仕事の途中らしい人。
子供を連れた親子。
車道には車が走り、店先から音楽が流れている。
いつもと変わらない街だった。
「次はどこですか?」
「少し向こうのお店も見たいですわね」
「まだあるんですか?」
「何か問題でも?」
「いえ……」
二人は人混みの中を歩いていく。
その途中。
「……あら?」
雲母が足を止めた。
「どうしました?」
足立も立ち止まる。
雲母は通りの向こうを見ていた。
「……」
「雲母お嬢様?」
「いえ」
少し離れた路地の入口。
そこに、一人の人物がいる。
壁際に倒れたまま、動かない。
ほかの者には黒いモヤとして見える、死者の意識。
「また、いらっしゃいますわね」
「死者ですか?」
「ええ」
「最近、街中でも見かけるようになりましたもんね」
「そうですわね」
雲母は少しだけその姿を観察した。
だが、今日は調査に来たわけではない。
「……まあ」
再び歩き出そうとして。
「……?」
雲母の視線が止まった。
「どうしました?」
「……いえ」
今度は、道路の反対側。
人混みの中。
一人の女性が立っている。
いや。
立っているように見える。
身体の一部が不自然に崩れ、同じ動きを何度も繰り返していた。
その女性もまた、死者の意識だった。
「……」
雲母は黙って見つめる。
「またですか?」
「ええ」
「二人?」
「……」
足立には何も見えない。
だから、雲母の視線を追うことしかできない。
雲母はゆっくりと周囲を見回した。
そして。
「……あちらにも」
「え?」
「その先にも、いらっしゃいますわね」
「……」
さらに。
人々の間。
建物の脇。
横断歩道の向こう。
今までなら、街中で一人見かけるだけでも珍しかった。
それが。
「……」
雲母の表情から、先ほどまでの楽しそうな様子が消えていく。
「雲母お嬢様?」
「足立さん」
「はい?」
「以前、わたくし……黒いモヤが増えているのではないかと申しましたわよね?」
「はい」
「その時は、気のせいかもしれないと」
「言ってましたね」
「……」
雲母はもう一度、通りを見渡した。
一人。
その向こうに、もう一人。
さらに離れた場所にも。
生きている人々の間に混ざるように。
死者の意識が存在している。
「やっぱり……」
雲母が小さく呟いた。
「増えていますわね……」
足立の表情が変わった。
「やっぱり?」
「ええ」
「気のせいじゃなく?」
「少なくとも、以前とは明らかに違いますわ」
「……何人くらいいるんです?」
「今、見える範囲だけでも……」
雲母は数えようとして。
やめた。
「……多いですわね」
「そんなに?」
「ええ」
足立も周囲を見る。
だが。
彼の目には、いつもの街しか見えない。
人々が歩いている。
車が走っている。
誰も騒いでいない。
何も起きていないようにしか見えない。
「僕には、何も見えないですけどね……」
「そうでしょうね」
「なんか、それも変な感じですね」
「何がですの?」
「雲母お嬢様には、そこら中にいるんでしょう?」
「そこら中、とまでは申しませんけれど」
「でも、何人もいる」
「ええ」
「僕には普通の街にしか見えない」
「……そうですわね」
二人は同じ場所に立っている。
同じ街を見ている。
けれど。
見えているものは、まるで違っていた。
*
「少し、見ていきますわ」
「やっぱりそうなりますよね……」
「気になりますもの」
「買い物は?」
「後ですわ」
「荷物持ってるの僕なんですけど」
「お願いしますわね」
「はいはい……」
雲母は、一番近くにいた死者の意識へ向かった。
足立も買い物袋を持ったまま、その後を追う。
最初に確認したのは、路地の入口にいた人物だった。
雲母が少し離れた位置から観察する。
「……」
「どうです?」
「以前と同じですわね」
「同じ?」
「死の直前と思われる状態を繰り返していますわ」
「声は?」
「……聞こえますわ」
「話せそうですか?」
「いいえ」
雲母は首を横に振る。
「こちらへ意識を向けている様子がありませんわね」
「浴槽の人みたいな感じですか?」
「近いですわね」
「じゃあ、次は?」
「向こうの方を見てみましょう」
「やっぱり全部見るんですか?」
「全部とは言っておりませんわ」
「何人見る気です?」
「気になるだけですわ」
「それが一番信用できないんですよ……」
二人は次の場所へ向かった。
*
二人目。
三人目。
雲母は、それぞれを簡単に確認していった。
死の直前と思われる状態を繰り返す者。
周囲へ意識を向けない者。
何かを呟いている者。
雲母の問いかけに反応する者。
そして。
「……あら?」
「今度は何ですか?」
「この方」
雲母の目の前には、一人の男性がいた。
しばらく話したあと、その姿が消える。
そして。
再び現れた。
雲母はすぐに問いかける。
「わたくしを覚えていらっしゃいますの?」
「……ああ」
「先ほど、お話ししたことも?」
「覚えてるよ」
「……」
雲母は少し黙った。
「どうしました?」
足立が尋ねる。
「覚えていらっしゃいますわ」
「え?」
「先ほどの会話を」
「……あのお爺さんと同じ?」
「ええ」
雲母は男を見る。
「どうやら、あの方だけではなかったようですわね」
「……そうですか」
足立の声が少し重くなる。
雲母はさらにいくつか質問した。
男は答える。
やがて、また同じ状態を繰り返す。
そして再び現れたあとも。
先ほどまでの会話を覚えていた。
「……記憶が続いていますわね」
「また、ですね」
「ええ」
雲母は少し考える。
「これも、珍しいものではないのかもしれませんわ」
「……」
「今まで、わたくしが見ていなかっただけで」
「それとも」
足立が言う。
「最近になって、そういう人も見えるようになった?」
「……」
雲母は男から足立へ視線を移した。
「それも、分かりませんわね」
「ですよね」
「以前から存在していたのか」
雲母は周囲を見る。
「それとも、今になって現れるようになったのか」
「判断できない?」
「ええ」
雲母は小さく頷いた。
「ですが」
もう一度、街を見る。
生きている人々。
その間に見える、いくつもの死者の意識。
「少なくとも」
雲母は静かに言った。
「わたくしに見えるものは、確実に増えていますわ」
*
調査というほどでもない確認を終え、二人は再び歩き始めた。
「……買い物の途中だったんですよね」
「そうでしたわね」
「忘れてたんですか?」
「少しだけ」
「やっぱり……」
足立が買い物袋を持ち直す。
「それで」
「何ですの?」
「どうするんです?」
「何を?」
「増えてるんでしょう?」
「ええ」
「調べるんですか?」
「もちろん、気になるものは調べますわ」
「全部?」
「全部は無理でしょうね」
「ですよね」
雲母は歩きながら、街を見回した。
また一人。
少し離れた場所に、死者の意識が見える。
その向こうにも。
「……」
「雲母お嬢様?」
「何ですの?」
「またいました?」
「ええ」
「……もう驚かなくなってきましたね」
「それは困りますわね」
「何がですか?」
「以前なら、街中でお一人見つけただけでも珍しかったのですもの」
雲母は立ち止まらずに、その姿を目で追った。
「それが今では」
少し間を置く。
「わざわざ探さなくても、見つかりますわ」
足立は何も言わなかった。
街は、いつも通りだった。
少なくとも。
足立には、そう見えていた。




