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残響  作者: れすた
22/40

第二十二話 分からないものたち

 その日の夜。


 雲母と足立は、これまでの調査記録を机の上に広げていた。


「さて」


 雲母が一枚の資料を手に取る。


「一度、整理してみましょう」


「はい」


「まずは、死者の意識ですわね」


 これまでに見てきたもの。


 首を吊った者。


 屋上から落ち続けていた者。


 車に轢かれたと思われる者。


 刺されて倒れていた者。


 浴槽の中で、溺れているような状態を繰り返していた者。


 そして。


 縁側に座っていた老人。


「最初の頃は」


 雲母が資料を眺めながら言う。


「亡くなった方の意識が、死の直前と思われる状態を繰り返している。そう考えていましたわ」


「実際、そう見えてたんですよね?」


「ええ。ですが、それだけではありませんでしたわ」


 雲母は別の資料を手に取る。


「車に轢かれたと思われる方は、周囲へ助けを求めているように見えましたわ」


「あとから話せるようにもなりましたよね」


「ええ。刺されていた方もそうですわね」


 以前は聞こえなかった声。


 それが、ある時から突然聞こえるようになった。


 こちらの声も届く。


 質問すれば、答えが返ってくることもある。


「ただ」


 雲母は指を一本立てる。


「あの方々は、一度消えて再び現れると、わたくしとの会話を覚えていませんでしたわ」


「はい」


「名前や、ご自分がどのように亡くなったのかは覚えている場合がある。ですが、直前までわたくしと話していたことは覚えていない」


「毎回、初対面みたいになってましたね」


「ええ」


 雲母は頷いた。


「ところが」


 次の資料へ視線を移す。


「縁側のお爺さんは違いましたわ」


「……全部、覚えてたんですよね」


「ええ」


 雲母の声が、少しだけ低くなる。


「わたくしと話したことも、ご自分が胸を押さえて苦しんだことも、倒れたことも」


「それを何度も繰り返してることも」


「……ええ」


 二人とも少し黙った。


 足立が資料へ目を落とす。


「同じ死者の意識なのに……ずいぶん違いますね」


「そうですわね」


「片方は覚えてなくて、片方は全部覚えてる」


「それだけではありませんわ」


 雲母は別の記録を指差す。


「先日の浴槽の方」


「ああ……」


「あの方は、声らしきものは聞こえました。ですが、わたくしが話しかけても反応しなかった」


「ずっと溺れてるような状態だった人ですね」


「ええ」


「じゃあ……」


 足立が指を折る。


「話せない人」


「ええ」


「話せるけど、消えたら会話を忘れる人」


「ええ」


「消えても、全部覚えてる人」


「今のところ、そのように見えますわね」


「……バラバラですね」


「ええ」


 雲母は資料を眺める。


「今まで、わたくしは全部まとめて『死者の意識』と呼んでいましたけれど」


 少し考える。


「同じものとして考えること自体が、少々乱暴なのかもしれませんわね」


「じゃあ、別のものなんですか?」


「それは分かりませんわ」


「ですよね」


「同じものでも状態が違うだけなのかもしれませんし、そもそも同じものではないのかもしれませんわ」


「……結局、そこも分からない」


「ええ」


 雲母はあっさり頷いた。


「ですが、少なくとも違いがあることは分かりましたわ」


「なるほど」


 足立も頷く。


「分からないなりに、ちょっと進んでますね」


「そういうことですわ」


 雲母は満足そうに頷いた。


     *


「では、次ですわね」


「まだあるんですよね……」


「当然でしょう?」


 雲母は別の記録を引き寄せる。


「先ほど再確認してきた、おばけさんですわ」


「呪いの家の人ですね」


「ええ」


 雲母は少し考える。


「あの方は、死者の意識とは違って見えますわ」


「そこは最初から言ってましたね」


「ええ。ですが、改めてお話を伺って、妙なところがはっきりしましたわ」


「知ってることが偏ってるって話ですか?」


「そうですわ」


 家の間取りを知っている。


 台所の場所を知っている。


 寝室も。


 物置も。


 家の中については、かなり詳しい。


 そして何より。


 ここは自分の家だと、強く認識している。


「ですが」


 雲母が続ける。


「自分の名前は分からない」


「はい」


「写真に写っていた女性も分からない」


「はい」


「自分がいつ、どのように亡くなったのかも分からない」


「……確かに変ですね」


「でしょう?」


 雲母は腕を組む。


「単純に記憶を失っている、と考えることもできますけれど」


「でも、家のことだけは覚えてる」


「ええ」


 雲母は少し黙った。


「ですから」


「はい」


「もし、あの方が……この家に住んでいた人間そのものではなかったとしたら?」


 足立が雲母を見る。


「どういうことですか?」


「例えば、ですけれど」


 雲母は慎重に言葉を選ぶ。


「この家に残っていた、誰かの意識や情報のようなものを持っている、別の何か」


「……あのおばけさんが?」


「ええ」


「でも、そんなことできるんですか?」


「知りませんわ」


「…………」


「ですから、可能性のお話をしているだけですわ」


「なるほど……」


「そもそも」


 雲母は少し肩をすくめる。


「あの方が何なのかすら分かっておりませんもの」


「本人も分かってませんでしたしね」


「ええ」


「……なんか、ちょっと可哀想になってきましたね」


「そうですの?」


「自分が誰か分からないんですよ?」


「まあ、それはそうですわね」


「その上、雲母お嬢様がまた来る」


「何か問題でも?」


「……いえ」


 足立はそれ以上言わなかった。


     *


「でも」


 足立がふと思い出したように口を開く。


「それなら、公園にいたやつはどうなんです?」


「公園?」


「出られなくなった公園ですよ」


「ああ」


 雲母は少し眉を寄せた。


「あれですか……」


「同じような怪異なんじゃないんですか?」


「分かりませんわ」


「やっぱり?」


「ええ」


 雲母は当時の記録を見る。


「少なくとも、あのおばけさんとはずいぶん違って見えましたもの」


「どんな感じでしたっけ?」


「それが説明できないから困っておりますの」


「そうでしたね……」


「人間のようには見えませんでしたし、死者の意識とも違いましたわ」


「話もできなかった」


「ええ。そもそも、わたくしの言葉を理解していたのかすら分かりませんわ」


「じゃあ、あれは……」


「分かりませんわ」


「……怪異ってことでいいんですか?」


 雲母は少し考えた。


「そう呼んでおくくらいなら、よろしいのではなくて?」


「ずいぶん適当ですね」


「正体が分からないのですから、仕方ありませんでしょう?」


「まあ……」


「名前を付けたからといって、正体まで分かるわけではありませんもの」


「それは確かに」


 足立は頷いた。


     *


「それで」


 足立が、少し嫌そうな顔をした。


「一番よく分からないのが残ってますよね」


「あら?」


「消えた相談者ですよ」


「ああ!」


 雲母が手を叩く。


「あの方ですわね」


「なんでちょっと嬉しそうなんですか」


「だって、本当に何だったのか分かりませんもの」


「普通はそこ喜ばないんですよ」


 雲母は気にせず記録を探す。


「相談内容そのものは、普通の物理現象でしたわね」


「雨水でしたね」


「ええ。古い金具が鹿威しのように動いていただけ」


「でも」


 足立が続ける。


「あの人は?」


「分かりませんわ」


「僕にも見えてました」


「ええ」


「普通に話しました」


「ええ」


「一緒に歩きました」


「ええ」


「現地まで案内してもらいました」


「ええ」


「それで、いなくなった」


「そうですわね」


「…………」


「…………」


 足立が雲母を見る。


「なんなんです?」


「知りませんわよ」


「ですよね……」


 雲母は少し考え込む。


「少なくとも、わたくしには普通の人間に見えましたわ」


「僕にもです」


「死者の意識のようには見えませんでしたわ」


「でも、僕にも見えた時点で、今までの死者とは違いますよね」


「そうですわね」


「呪いの家のおばけさんとも違う」


「ええ。あの方は足立さんには見えませんもの」


「公園のやつも見えませんでした」


「ええ」


「じゃあ……」


「分かりませんわ」


「まだ何も言ってませんよ」


「どうせ何だったのかと聞くのでしょう?」


「まあ、そうですけど」


 雲母は資料を机へ戻した。


「無理にどこかへ分類する必要もありませんわ」


「いいんですか?」


「分からないのですから」


「……」


「分からないものを、分かったことにする方がおかしいでしょう?」


「それはそうですね」


「ですから、あの方は」


 雲母は少し考える。


「分からないものですわ」


「分類が雑すぎません?」


「では足立さん、分類なさいます?」


「……分からないものです」


「でしょう?」


     *


「それから」


 雲母が最後の記録へ手を伸ばす。


「死者の意識が、黒いモヤとして見えるようになった方々についてですわね」


「最近、増えてるかもしれないっていう」


「ええ」


 雲母は少し表情を変えた。


「正確には、何が増えているのかは分かりませんけれど」


「死者の意識そのものが増えたのか」


「ええ」


「それを黒いモヤとして見られる人が増えたのか」


「ええ」


「それとも、たまたま相談が続いただけなのか」


「そういうことですわ」


 足立は少し考える。


「でも、病院では別の病院にも見える人がいたんですよね?」


「ええ」


「街中で死者の意識を見ることも増えた」


「……そうですわね」


「それに」


 足立が雲母を見る。


「死者の声も、前は聞こえなかったんでしょう?」


「ええ」


 雲母は黙った。


「……雲母お嬢様?」


「何ですの?」


「やっぱり、何か変わってきてるんじゃないですか?」


「……」


 机の上には、これまでの記録が並んでいる。


 黒いモヤとして見える死者の意識。


 怪異。


 原因の分からない現象。


 そして、どこにも当てはまらないもの。


 それぞれを一つずつ見ている間は、ただの個別の不可思議な出来事だった。


 だが。


 こうして並べてみると。


「……そうですわね」


 雲母が静かに答えた。


「少なくとも」


 少し間を置く。


「以前とは、何かが違ってきているのかもしれませんわね」


 足立は黙って雲母を見る。


「今までは、一つ一つの現象について考えていましたけれど」


「はい」


「もう少し、広く見た方がいいのかもしれませんわ」


「広く?」


「ええ」


「何を見るんですか?」


「……」


 雲母は少し考えた。


「分かりませんわ」


「そこからですか」


「それを調べるのでしょう?」


「またそれですか……」


「あら」


 雲母は少し楽しそうに笑った。


「便利ですわね、この言葉」


「便利に使わないでくださいよ」


 机の上には、まだ答えの出ていない記録がいくつも残っていた。


 分からないことばかりだった。

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