第二十一話 再び、呪われる家
「そういえば」
雲母が、ふと足を止めた。
「何ですか?」
隣を歩いていた足立も立ち止まる。
「以前のおばけさんについて、少し確認したいことがありますわ」
「以前のおばけさん?」
「呪い殺してくる方ですわ」
「…………」
足立の顔が露骨に嫌そうになる。
「行きませんよ」
「あら?」
「嫌ですよ。なんでまた、わざわざ呪われる家に行くんですか」
「確認したいことができましたの」
「何をです?」
「それを今から確認しに行くのでしょう?」
「いや、そうじゃなくて……」
雲母はすでに歩き始めている。
「では、参りますわよ」
「僕、行くって言ってませんけど」
「レッツゴーですわ!」
「聞いてます!?」
結局。
足立は今回もついていくことになった。
*
以前訪れた、呪われる家。
外観は何も変わっていなかった。
古びた家。
荒れた庭。
そして、人の住んでいる気配はない。
「……」
足立は玄関の前で立ち止まる。
「本当に入るんですか?」
「ここまで来て何を仰っていますの?」
「ここまで来たからこそ、最後に確認してるんですよ」
「入りますわよ」
「ですよね……」
雲母が玄関を開ける。
「ごきげんよう」
「誰に挨拶してるんです?」
「おばけさんですわ」
「まだいるか分からないでしょう」
「ですから確認するのでしょう?」
二人は家の中へ入った。
以前と変わらない室内。
古い家具。
壁に掛けられた写真。
雲母が辺りを見回す。
「……」
「います?」
「まだ見えませんわね」
「じゃあ、帰りましょうか」
「どうしてそうなりますの?」
「いないなら仕方ないじゃないですか」
「少しくらい待ちなさい」
「待つんですか……」
しばらく家の中を歩く。
そして。
「あら」
雲母が足を止めた。
廊下の奥。
そこに、一人の男が立っていた。
以前と同じ。
ごく普通の中年男性に見える。
男も雲母を見る。
「…………」
「ごきげんよう」
「…………」
「お久しぶりですわね」
「……また来たんですか」
「ええ!」
雲母が嬉しそうに答える。
男の肩が目に見えて落ちた。
「雲母お嬢様?」
「何ですの?」
「います?」
「ええ。いらっしゃいますわよ」
「……なんか嫌そうな顔してません?」
「よく分かりましたわね」
「なんとなく」
男が小さく息を吐く。
「今度は何ですか……」
「少しお話を伺いに参りましたの」
「前も散々聞いたでしょう……」
「今回は、もう少し詳しく伺いますわ」
「…………」
「まあまあ」
「その『まあまあ』、嫌いなんですよ……」
「そうなんですの?」
「はい……」
雲母は気にする様子もなく、部屋へ入っていった。
*
「では」
雲母は男の前に立った。
「改めて確認いたしますわね」
「……はい」
「ここは、あなたのお家なんですの?」
「そうです」
「今でも、そう思っていますの?」
「はい」
男は迷わず答えた。
「ここは私の家です」
「なるほど」
雲母は頷く。
「では、台所はどちらですの?」
「向こうです」
男がすぐに指差す。
「二階には?」
「寝室と、物置があります」
「お庭にある小屋は?」
「物置です。昔からあります」
「この部屋は?」
「居間です」
「ふむふむ」
雲母は家の中を見回した。
「ずいぶん詳しいですわね」
「自分の家ですから」
「そうですわよね」
雲母は頷く。
「では、お名前は?」
「…………」
男が黙った。
「ご自分のお名前ですわ」
「……分かりません」
「いつ頃から、ここにいらっしゃいますの?」
「……分かりません」
「どのように亡くなったのかは?」
「…………」
「覚えていませんの?」
「はい……」
雲母は少し考える。
そして壁に掛けられた写真へ近づいた。
「では、こちら」
以前にも確認した写真。
一人の男と、その隣に女性が写っている。
「この男性は?」
「……」
男は写真を見る。
「私……だと思います」
「思う?」
「はい」
「ご自分だという確信はありませんの?」
「…………」
男は答えられなかった。
「では、こちらの女性は?」
「……分かりません」
「奥様では?」
「分かりません……」
「ご家族ではありませんの?」
「……」
「お知り合いですの?」
「……分かりません」
「そうですのね」
雲母は写真から男へ視線を戻した。
「ですが、この写真がどこに掛かっているかはご存じだった」
「……はい」
「台所も分かる」
「はい」
「寝室も」
「……はい」
「庭の物置も」
「はい」
「この家については、かなり詳しい」
「……」
「でも」
雲母は少しだけ目を細めた。
「ご自分については、ほとんど何も分からない」
「…………」
男は黙った。
「以前お話しした時にも気にはなっていましたけれど」
雲母は腕を組む。
「こうして改めて確認すると、少し妙ですわね」
「……何がです?」
「あなたの知っていることですわ」
「私の……?」
「ええ」
雲母は男を見る。
「ずいぶん偏っていますわ」
「……」
「この家については知っている」
雲母は指を一本立てる。
「ですが、ご自分については知らない」
もう一本。
「家に誰かが入ってくることを、とても嫌がっている」
三本目。
「ですが、なぜ嫌なのかを尋ねても、はっきりとは説明できない」
「……」
「『ここは自分の家だから』」
雲母は男の言葉をそのまま繰り返した。
「それだけですわよね?」
「…………はい」
「ふむふむ」
男が少し不安そうに雲母を見る。
「何か……分かったんですか?」
「いいえ」
「…………」
「分かりませんわ」
「そうですか……」
「ですが」
雲母はもう一度、写真を見る。
「以前より、何が分からないのかは分かってきましたわね」
「……それ、進んでるんですか?」
足立が横から尋ねる。
「進んでおりますわよ」
「そうなんですか?」
「ええ」
「僕には全然分かりませんけど」
「足立さんは、この方が見えてすらいませんものね」
「それ言われたら何も言えないですよ」
雲母は再び男へ向き直った。
「もう一つ」
「はい」
「あなた」
少し間を置く。
「本当に、この家に住んでいらしたんですの?」
「……え?」
男が固まる。
「いや……だから、ここは私の家で……」
「ええ。それは何度も伺いましたわ」
「だったら……」
「ですが」
雲母は写真を指差した。
「ご自分のお名前も知らない」
「……」
「この女性も知らない」
「……」
「ご自分がいつ、どのように亡くなったのかも知らない」
「…………」
「それなのに」
雲母は周囲を見回した。
「この家のことだけは知っている」
男は何も答えなかった。
しばらくして。
「……じゃあ」
小さな声で尋ねる。
「私は……誰なんです?」
「分かりませんわ」
「……」
「それを確認するために来ましたもの」
「そうでしたね……」
男は俯いた。
雲母も少し考える。
「もしかすると」
「……?」
「あなたは、この家に住んでいた誰か、そのものではないのかもしれませんわね」
「…………」
「この場所に残っていた何かを持っている、別の存在」
「別の……」
「可能性の一つですわ」
雲母はすぐに付け加えた。
「本当にそうなのかは分かりませんわ」
「……」
「そもそも、あなたが何なのかすら分かっていませんもの」
「……そうですか」
「ええ」
男はしばらく黙っていた。
「……分かったら」
「はい?」
「私が何なのか、分かったら……教えてもらえますか?」
「もちろんですわ!」
雲母は即答した。
男が少しだけ顔を上げる。
「本当ですか?」
「ええ」
雲母は胸を張る。
「ですから、また参りますわね!」
「…………」
男の顔から、わずかに戻っていた生気が消えた。
「……はい」
*
「では、おばけさん」
玄関の前で、雲母が振り返る。
「本日はありがとうございました」
「……はい」
「また何か思い出しましたら、教えてくださいませ」
「分かりました……」
「では」
雲母が微笑む。
「また来ますわね!」
「…………はい」
「ごきげんよう」
二人は家を出た。
外へ出ると、足立が大きく息を吐く。
「……やっぱり、あの家は嫌ですね」
「あら。何もされませんでしたでしょう?」
「そういう問題じゃないですよ」
二人は歩き始める。
数歩進んだところで、足立がふと振り返った。
もちろん、彼には男の姿は見えない。
「雲母お嬢様」
「何ですの?」
「ちなみに」
「はい?」
「今、あの人どうしてます?」
雲母も振り返った。
玄関の向こう。
男は――
「……」
「どうしました?」
「両手両膝をついて、項垂れていますわね」
「またですか」
「またですわ」
「前回と同じじゃないですか」
「そうですわね」
「……なんででしょうね」
「さあ?」
雲母は首を傾げる。
「お好きなんでしょうか?」
「絶対違うと思いますよ」
「そうですの?」
「はい」
雲母はもう一度だけ家を見る。
そして、前を向いた。
「それにしても」
「何ですか?」
「そろそろ一度、整理した方がよさそうですわね」
「整理?」
「ええ」
雲母は指を折りながら歩く。
「死者の意識」
「はい」
「お話しできる方と、できない方」
「はい」
「一度消えると、わたくしとの会話を忘れてしまう方」
「いましたね」
「反対に、すべて覚えていらっしゃる方」
「……さっきのお爺さんですね」
「ええ」
雲母は少しだけ表情を曇らせた。
「それから、公園にいた、何なのかすらよく分からないもの」
「あれもありましたね……」
「先日の、消えてしまった相談者」
「……あれも入れるんですか?」
「もちろんですわ」
「何なのか全然分かってないじゃないですか」
「だから入れるのでしょう?」
「……なるほど」
「そして」
雲母は背後の家をちらりと見る。
「あのおばけさん」
「はい」
「今まで、全部ばらばらに調べていましたけれど」
少し考える。
「一度、並べて考えてみましょう」
「何か分かりますかね?」
「さあ?」
「そこは分からないんですね」
「考える前から分かっていたら、考える必要がありませんでしょう?」
「まあ……そうですけど」
雲母は少しだけ楽しそうに笑った。
「では、帰って整理しますわよ!」
「はいはい」
「足立さんも手伝ってくださいませ」
「僕もですか?」
「助手でしょう?」
「ですよねぇ……」
二人はそのまま、呪われる家を後にした。




