↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
髭がそりたいだけなのに〜聖剣はカミソリだった!?〜  作者: 藤紫


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/28

第七話 失敗作は、髭を整える

 バルマン商会との契約から、十日が過ぎた。

 ドルグ工房は、かつてないほど忙しかった。炉の火は朝から晩まで消えず、金床を叩く音は岩山の奥まで響いている。

 俺は注文の整理、材料の発注、納期の調整、納品の確認に追われていた。


 朝は朝食を作る。昼は昼食の用意と掃除、洗濯だ。夕方は市場で納品と追加注文の相談。夜は帳簿をつけ、翌日の仕込みをする。前世の月末より忙しい。


「タカハシ! 商会向け二十本、刃の仕上げが終わったぞ!」


「了解です! 刻印を確認して、夕方までに梱包します!」


「タカハシさん! ピーラーの刃が欠けたんだけど……」


「交換品を出します。使い方も確認しますから、少し待っててください!」


「タカハシ! 晩飯はまだか!」


「ドルグさん、鍛冶に集中してください!」


 忙しい。ひたすら忙しい。だが、悪くはなかった。

 料理屋は仕込みが早くなったと喜び、子どもの多い家の母親は「夕飯の支度が楽になった」と笑う。

 バルマン商会からは、早くも次の注文について相談が来ていた。

 自分の提案した道具が、誰かの生活を少しだけ変えている。

 前世で営業をしていた頃も、その瞬間が好きだった。

 契約書に判をもらったときより、導入した商品を相手が便利に使ってくれたときのほうが、ずっと嬉しかった。


「……悪くないんだけどな」


 夜。

 帳簿を閉じた俺は、椅子の背にもたれた。手元には冷めかけた薬草茶。机の向こうでは、夕食を食べた直後のドルグが、椅子に座ったまま寝落ちしている。そして俺の手は、無意識に顎へ伸びていた。


 もふ。

 もふもふ。

 ……伸びてる。


 当たり前だ。一度も剃っていないのだから。俺は小さく息を吐き、机の上の革箱を開けた。髭油を一滴、指先に取る。毛流れを整え、櫛を通す。もつれがほどけていく感触は、悪くない。

 

 ……悪くないのが、腹立たしい。

 

 櫛の先が引っかかった。


「痛っ」


 無理に引いたせいで、髭が数本抜けた。掌に残った、太く長い茶色の毛。前世なら、何とも思わなかったはずだ。俺はしばらく、その毛を見つめていた。

 

 ……それから、無言で捨てた。

 

 髭は邪魔だ。剃りたい。ずっと、そう思ってきた。

 なのに手入れをして、褒められて、役にも立つと知った途端、髭をただの邪魔者として扱えなくなっている。

 そんな自分が、一番気持ち悪い。


◇ ◇ ◇


 翌朝。

 市場へ向かう途中、俺は子どもたちに囲まれた。


「タカハシ兄ちゃん!」


「ピーラーの人だ!」


「髭の人だ!」


「髭の人ではない」


「ヒゲノスケだ!」


「……そのあだ名、まだ生きてたのか」


「バルマンさんが、ヒゲノスケ、ヒゲノスケって言ってるよ」


「あの人まで……」


「ねえ、ヒゲノスケ、今日の髭、変ー!」


ぴたり、と足が止まる。


「……変?」


「右だけ、ぼわってしてる!」


「こっちはくるんってしてるのに!」


「髭の形、変なのやだー!」


 子どもは容赦がない。自分の髭へ触れる。言われてみれば、昨夜、櫛が引っかかった辺りの毛流れが乱れていた。片側だけが跳ね、全体の輪郭もわずかに崩れている。

 前世なら、剃れば終わる程度の乱れだ。しかし今は剃れない。整えるしかない。


「……ちょっと待ってろ」


俺は踵を返し、ドルグ宅へ戻った。


◇ ◇ ◇


「ドルグさん!」


「なんだ、朝から」


「髭を整える道具を貸してください!」


朝食のスープを飲んでいたドルグが、ぴたりと止まった。


「……何?」


「櫛とか、髭ばさみとか。今日、商会の人と会うんです。このままでは工房の販売担当として信用に関わります」


ドルグは俺の顔を見る。

正確には、右側が少し跳ねた髭を見る。


「……ほう」


「ほう、じゃないです」


「髭を整える気になったか」


「仕事だから……整えるんです!」


言った直後、少し悔しくなった。


ドルグは、口元をわずかに歪めた。


「棚の上から二段目。黒い革箱だ」


「ありがとうございます!」


 俺は棚を探り、黒い革箱を引っ張り出した。中には、髭用の櫛、細いはさみ、香りの強い油。そして、一本の細身のナイフが入っていた。


 見覚えがある。


 初めてドルグの工房で見つけた、あの失敗作だ。武器には薄すぎる。儀式用には不格好すぎる。


 だが、俺には初めて「髭を剃れるかもしれない」と思わせた刃だった。あの日、俺は本気で、この刃を手に入れようとした。


 けれど剃髭刑の話を聞いた直後だった。

 誰かに見られればどうなるか分からない。何より、見れば分かる。あの刃は鋭いが、髭を剃るには少し厚い。下手に顎へ当てれば、髭より先に肌が切れる。

 結局、剃ることはできなかった。そのナイフをドルグがどういう意図か、革箱へ入れてくれていたようだ。


「それを使うのか」


 背後から、ドルグの声がした。


「……飛び出た毛を切るのに。刃がいいので」


「失敗作だ」


「俺にとっては、最初の一本です」


 言うと、ドルグは少しだけ黙った。


「ふん」


 それだけだった。

 俺は金属板を鏡代わりにして座る。櫛を通し、油を少量、指先に取る。毛流れを揃え跳ねた毛先だけを、失敗作のナイフで慎重に落とした。


す、と。


ほんの数本が、床へ落ちる。前世のカミソリとは、まるで違う。それでも刃を自分の顔の近くで扱い、整えるという行為に、心の奥が落ち着いていくのを感じた。


「……悪くない」


 金属板に映るのは、髭を整えたドワーフだった。モジャモジャは残っている。むしろ整えたせいで、立派に見えている。なのに少しだけ、気分がいい。前世で髭を剃り終えたあと、顎を撫でたときの感覚に似ていた。

 ドルグが、背後からぼそりと言った。


「刃物は、切るためだけにあるんじゃねぇ」


「……整えるためにもある」


「そうだ」


「でも俺は、まだ剃りた……」


「それ以上言うな!」


ドルグが静止の言葉をかぶせてきた。


「わかっとる」


その一言に、少しだけ胸が詰まった。


結局その日、商会のバルマンは俺の顔を見るなり言った。


「タカハシ。髭が立派になったな」


「ありがとうございます」


 反射でそう答えてしまった。営業スマイルだった。

 たぶん。

 ……たぶん、だ。


◇ ◇ ◇


 夜。

 俺は、注文管理用の薄い木板に、新しい項目を書き加えていた。

 ピーラーの注文数。材料費。納期。商会への出荷予定。

 

 そして、その下に小さく。

 

 髭油:残り半分。補充要。

 髭櫛:朝晩使用。

 右側の毛流れ:要観察。

 失敗作ナイフ:刃こぼれなし。


 書いてから、俺は手を止めた。


「……何を書いてるんだ、俺は」


 前世では、替え刃の交換時期をパソコンの表計算で記録していた。

 異世界では、髭油の残量と、髭を整えるナイフの状態を木板に記録している。

 髭を剃るための人生だったはずが、髭を育てる男みたいになっている。

 

 俺は慌てて木板を裏返した。


「違うからな」


 誰に向けるでもなく言い訳する。


「カミソリを手に入れたら、俺は剃る。絶対に剃る」


その決意に、嘘はない。


……はずだった。


机の端には、ドルグが置いていった新しい髭油の小瓶と、丁寧に研がれた失敗作のナイフがあった。



 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。