第六話 安売りは職人の首を絞める
ドルグ工房の前に立てかけた予約板は、三日で二枚目に入った。
一本、銀貨三枚。
最初は「高い」と言っていた連中も、実際に使った者の話を聞けば黙る。
皮が薄く剥ける。
根菜の中身が減らない。
仕込みの時間が半分になる。
手を切らない。
そして何より、料理をするドワーフたちが口を揃えて言った。
「もう包丁には戻れねぇ」
その一言が出た商品は強い。
前世で営業をやっていた頃、何度も見てきた。
便利なだけでは足りない。「これがない生活には戻れない」と思わせて初めて、商品は生活に根を張る。
ピーラーは、まさにそれだった。
「タカハシ! 今日の分、終わったぞ!」
工房の奥から、ドルグの声が飛ぶ。
「はい、今行きます!」
俺は予約板に刻まれた名前を確認し、納品用の木箱を抱えた。
本日の完成品は五本。
改良型のドルグ製ピーラーは、最初の試作品よりも軽く、持ち手に指がかかる窪みがある。刃の角度も調整され、固い皮でも引っかかりにくい。
見た目は相変わらず武骨だ。しかし、切れ味は冗談ではない。
髭に…。いや、まだだ。これはピーラーだ。まだその時じゃない。
「ガロンさん、一本。ご注文の品です」
「おおっ、待ってたぜ!」
受け取ったガロンは、峰から刃先までじっくり眺めた。斧でも買ったような顔である。
「これで、あの根菜がするする剥けるんだな」
「使う前に、一度水で洗ってください。あと、刃は横向きなので、指を置く場所には注意を」
「分かってる。俺を誰だと思ってる」
「前に包丁で親指を切って、奥さんに三日間怒られた人ですよね」
「なぜ知っている」
「奥さんから聞きました」
ガロンは気まずそうに咳払いし、銀貨三枚を差し出してきた。俺は受け取り、簡単な受領札を渡す。
「お買い上げありがとうございます。もし使いにくい点があれば教えてください。次の製作に反映します」
「おう。……なんだか、ただ買っただけなのに妙に安心するな」
「それが商売です」
少なくとも、前世の俺はそう信じていた。商品を売って終わりではない。使ってもらい、困りごとを聞き、次に繋げる。営業は、相手の生活に入り込む仕事だ。
……もっとも、前世では「生活に入り込みすぎだ」と言われたこともあったが。
◇ ◇ ◇
その日の昼過ぎ。集落の入口に、見慣れない荷車が入ってきた。二頭立ての大きな荷馬車。荷台には布、塩、香辛料、陶器、酒樽が積まれている。御者台から降りてきたのは、腹の出た人族の男だった。髭は薄い。というか、ほとんどない。
こざっぱりしている。
……いや、羨ましくなんかない。ないぞ。
「ドルグ工房はどこだ?」
男は周囲を見回しながら、近くのドワーフに尋ねた。
「なんだ、商人か?」
「そうだ。バルマン商会のバルマンという。ここの鍛冶師が、変わった料理道具を作っていると聞いてな」
ピーラーの噂は、もう外から来た商人にまで届いたらしい。周りにいたドワーフたちが、少しざわつく。
「タカハシを呼んでこい!」
誰かが叫んだ。俺はちょうど市場へ納品に向かうところだったので、そのまま近づいた。
「私がドルグ工房の販売と注文管理を担当しています。タカハシと申します」
営業スマイルを浮かべる。バルマンは、俺を上から下まで眺めた。ドワーフにしては妙に愛想がいい、ぐらいに思ってそうだ。
「ほう。お前が噂の“芋剥き職人”か」
「家政夫兼、販売担当です」
「家政夫?」
「そこはあまり気にしないでください」
バルマンは笑い、手を差し出した。
「まあいい。見せてもらえるか」
「もちろんです」
俺は工房へ案内し、改良型のピーラーを一本、作業台の上に置いた。バルマンは持ち上げ、刃を光にかざす。
「ふむ。悪くない。刃は薄いが、造りはしっかりしている」
「ありがとうございます」
「これを、まとめて買いたい」
来た。
俺は表情を変えないまま、続きを待った。
「まずは五十本。売れ行きがよければ、その後は毎月百本ほど。人族の町なら、料理屋にも貴族の屋敷にも売れるだろう」
五十本。
今のドルグ工房の生産量からすれば、大口だ。周りにいたドワーフたちも、ざわめいた。
「五十本だってよ」
「そんなに売れるのか?」
「これで工房も儲かるな」
バルマンは、俺の反応を見ていた。
「どうだ? 一つ、銀貨一枚で買おう」
空気が止まった。集落での販売価格は、銀貨三枚。バルマンの提示は、その三分の一だった。前世の俺なら、ここで即座に断らない。まず相手が何を狙っているのか、何を恐れているのか、どこに着地点があるのかを見る。
商人は悪人とは限らない。彼らにも輸送費があり、店の維持費があり、売れ残りのリスクがある。
だが。
この提示は、交渉ではない。職人の価値を知らないふりをして、安く持っていこうとしている。
「銀貨一枚、ですか」
「ああ。新しい商品だ。売れる保証もない。こちらもリスクを負うんだよ」
「おっしゃる通りです」
俺はうなずいた。バルマンが少しだけ笑う。いけると思ったのだろう。
「ただ、ドルグ工房にもリスクがあります」
「ほう?」
「今の注文を止め、五十本分の材料と時間を確保する。ほかの鍛冶仕事にも影響が出ます。さらに、新しい道具ですから、使い方の説明と品質保証も必要です」
「だから大量に買うと言っている」
「大量購入はありがたいです。ですが、安くする理由にはなりません」
俺はピーラーを一本、手に取った。
「これは、芋の皮を剥くだけの道具ではありません」
少し前にも言った言葉だ。ただし今回は、売る相手が違う。
「料理屋なら、仕込みの時間を減らせます。屋敷なら、使用人の手間を減らせます。料理をする人の指を守り、食材の無駄を減らせる。毎日使う道具です」
バルマンは黙っている。
「銀貨一枚で売れば、確かに最初は売りやすいでしょう。でもその値段では、使う人にも『安い芋剥き』としてしか扱われない。壊れたら捨てる。職人の名前も覚えない」
俺は刃をそっと作業台へ戻した。
「ドルグ工房の品は、そういう売り方をするものではありません」
周囲が静かだった。工房の奥で金属を打っていた音も、いつの間にか止まっている。
「……なら、いくらだ」
バルマンが聞いた。
「通常価格は銀貨三枚です」
「高いな」
「品質と製作数を保証するなら、そうなります」
「五十本も買うんだぞ」
「では、初回は二十本にしてください」
「減らすのか?」
「はい。売れ行きを見てもらうためです。二十本を、銀貨二枚半。ただし、ドルグ工房製であることを明記し、取扱説明をつける。売価を不当に下げないこと。使用者の声を集めて、次回の改良に協力していただく」
バルマンは眉をひそめた。
「随分と注文が多いな」
「長く売りたいので」
俺は笑った。
「商人さんも、目先の利益だけで仕入れを決める方ではないでしょう?」
少しだけ、間を置く。
「良い品を適正に売れば、お客さんは次も同じ店へ来ます。あなたの商会の信用にもなる。違いますか?」
バルマンは、じっと俺を見た。営業のときに一番長く感じる沈黙だ。
断られるか。笑われるか。あるいは、別の条件を出されるか。
やがて彼は、ふっと息を吐いた。
「……銀貨二枚半で、二十本」
「ありがとうございます」
「ただし、本当に売れなければ次はない」
「売れるように、こちらも協力します」
「どうやってだ」
「実演会を開いてはどうでしょうか。料理屋と屋敷の料理人を集めて、実際に使ってもらうんです。使えば、分かります」
バルマンは、一瞬ぽかんとしたあと、声を上げて笑った。
「ドワーフにしては、妙な商売をする」
「よく言われます」
「いいだろう。乗った」
こうして、ドルグ工房のピーラーは、初めて集落の外へ出ることになった。
◇ ◇ ◇
商談が終わり、バルマンが荷車へ戻ったあと。工房の奥から、ドルグが出てきた。いつも通り、無愛想な顔だった。だが、手には途中まで打たれたピーラーが握られている。
「……二十本か」
「すみません。五十本にはしませんでした」
「謝らんでいい」
「え?」
「昔なら、五十本と聞いて飛びついていたかもしれん。刃物は売れりゃいいと思っとった」
ドルグは、手にしたピーラーを見下ろした。
「だが、お前の言う通りかもしれん。安く売れば、安い仕事になる。ワシが打った刃を、使い捨てみたいに扱われるのは……面白くない」
「ドルグさん」
「勘違いするな。芋の道具が好きになったわけじゃない」
「はい」
「ただ、ワシの刃だ」
その一言だけで、十分だった。俺は少し笑い、頭を下げた。
「では、二十本。責任を持って売りましょう」
「お前が売るんじゃない。ワシが打つ」
「俺が売ります」
「……勝手にしろ」
ドルグは背を向け、工房へ戻っていく。だが、扉を閉める直前、小さな声で言った。
「今夜は、肉を多めに入れろ」
「了解です」
たぶん、機嫌がいい。俺は納品板に「バルマン商会・二十本」と刻み込んだ。営業マンとして初めて、この世界で大きな契約を取った。けれど、俺が本当に欲しいものは、まだ手に入っていない。薄く、鋭く、肌の上を滑る刃。俺の顎を、このモジャモジャから解放してくれる一本。
夜、ドルグが工房でピーラーを打つ音を聞きながら、俺は髭を撫でた。
「……次は、カミソリですよ。ドルグさん」
俺は小さくつぶやいた。
返事はなかった。
ただ、工房の奥で、カン、と一度だけ、いつもより鋭い音が響いた。




