第五話 売れるほど、遠くなる
翌朝。
ドルグの工房の扉を開けた俺は、三秒ほど思考を停止した。
「……何の行列ですか、これ」
工房の前に、ドワーフたちが並んでいた。
十人。
二十人。
いや、曲がり角の先まで続いている。
手には根菜、芋、かぼちゃに似た硬そうな野菜。
なぜか鍋まで抱えている人もいる。
そして全員が、異様に真剣な顔で工房の扉を見つめていた。
「タカハシ! やっと来たか!」
列の中程にいたガロンが、大声で手を振った。
「昨日のアレ、見せてくれ!」
「アレ?」
「芋をするする剥く、あの細い刃物だ!」
「ああ、ピーラーですか」
俺が名前を口にした瞬間、後ろのほうからざわめきが起こった。
「ぴぃらぁ……」
「なんだその名前」
「呪文みてぇだな」
「いいから早く売ってくれ!」
どうやら、昨日の市場での実演は、思った以上に広がっていたらしい。
俺が戸惑っていると、工房の奥から寝起きのドルグが出てきた。
髭はきっちり整っている。
寝起きなのに、髭だけは完璧だ。
「朝からうるせぇぞ」
「ドルグさん。なんか、お客さんが」
「見りゃ分かる」
ドルグは行列を見た。
次に俺を見た。
最後に、俺の腰に下がったピーラーを見た。
「……お前、何をやった」
「市場で、ちょっと実演を」
「ちょっとで行列ができるか!」
ごもっともだった。ガロンが、一歩前へ出る。
「ドルグの旦那! 俺にも一本、あの芋剥きの刃物を作ってくれ!」
「俺にもだ!」
「うちの女房が欲しがってる!」
「うちは根菜料理屋だ、十本くれ!」
「俺んとこは嫁が三人いるから三本だ!」
「いや、それは家庭事情の問題では?」
思わずツッコむが、誰も聞いていない。
ドルグの顔が、みるみる険しくなっていく。
「帰れ」
ぴたり、と周囲が静まった。
「ワシは鍛冶師だ。剣を打つ。斧を打つ。鉱山用の工具を打つ。芋の皮を剥く道具なんぞ、一本作っただけでも気まぐれだ」
「でも、あれ便利だぞ!」
「便利さと鍛冶師の誇りは別だ!」
「じゃあ俺が作りましょうか……」
「馬鹿者!お前は作れんだろうが!」
言われて、俺は口を閉じた。
確かに俺は、ピーラーの形を知っているだけだ。金属を熱することも、叩くことも、焼き入れもできない。この薄さの刃物が作れるのは、ドルグだけだ。
行列のドワーフたちも、少しずつ不満そうな顔になっていく。せっかく便利な物があると知ったのに、手に入らない。この空気は、営業時代に何度も見た。商品に興味を持った客。けれど供給側は、その価値に気づいていない。作り手には作り手の誇りがあり、買い手には買い手の困りごとがある。両方をそのままぶつければ、話はこじれる。
だから、間に立つ人間が必要だ。
「……ドルグさん」
「なんだ」
「少しだけ、話をさせてください」
「また芋の話か」
「芋の話です。でも、ドルグさんの腕の話でもあります」
ドルグは不機嫌そうだったが、追い払うことはしなかった。
俺は工房の隅にあった木箱を引き寄せ、その上に立った。
思ったより高い。いや、ドワーフの集落でこれをやると、俺が少し見上げられる側になる。悪くない。
「皆さん。少し聞いてください」
ざわめきが止まる。
これだけの人数の前で話すのは久しぶりだ。
だが、商談と同じだ。相手が何を欲しがっているのかを整理して、言葉にすればいい。
「昨日、俺が見せたピーラーは、便利です。早く剥ける。皮が薄く剥ける。食べる部分を無駄にしない。料理をする人の手間を減らせます」
「その通りだ!」
後ろのほうから声が飛ぶ。
「でも、あれは誰でも作れるものではありません」
俺はドルグを見る。
「薄い刃を、折れず、曲がらず、しかも安全に使える形に仕上げる。そんなことができるのは、この集落でもドルグさんだけです」
ドルグの眉が、わずかに動いた。
「昨日の一本は試作品でした。でも、あの時点であれだけの切れ味だった。使いやすく改良すれば、もっと良くなる」
集まった人々の顔を見る。
「だから、ただ安く、急いで、雑に作ってもらうのは違うと思います」
「じゃあ、どうすりゃいいんだ?」
ガロンが聞く。
「予約制にします」
「よやく?」
「欲しい人が名前と必要な本数を出す。ドルグさんは、剣や斧の仕事を優先しながら、空いた時間で一定数だけ作る。そのかわり、値段は安売りしない」
「高くなるのか?」
「価値に見合った値段になります。でも、毎日の料理で使えて、何年も使えるなら、安い買い物です」
俺は少し間を置いた。
「それに、これは単なる芋剥きではありません」
手元のピーラーを掲げる。
「ドルグ工房製。料理をする人の時間と手を守る、新しい生活道具です」
自分で言いながら、少し恥ずかしくなった。前世の営業資料に書いていたような言葉だ。
だが。
「……ドルグ工房製」
誰かがぽつりと繰り返した。
「それなら、ちょっと欲しいな」
「いや、俺は最初から欲しかったぞ」
「うちの店で使えば、仕込みが早くなるかもしれん」
「妻の誕生日に……」
「お前、奥さんの誕生日知らなかっただろ」
「今思い出したんだよ!」
空気が変わり始めた。
ドルグは無言だった。だが、怒っているというより、考えている顔だった。
俺は最後に、彼へ向き直った。
「ドルグさん。俺が受注をまとめます。材料の数も、納期も、値段も、全部管理します。工房の仕事を邪魔しない形にします」
「……」
「ドルグさんには、最高の一本を作ってほしい」
しばらくの沈黙。やがてドルグは、深く息を吐いた。
「……一本、銀貨三枚」
周囲がざわつく。
「高ぇ!」
「包丁が何本買えると思ってんだ!」
「包丁より便利ですよ」
「お前は黙っとれ」
ドルグは俺を睨んだ。
だが、その視線には昨日までの拒絶だけではないものがあった。
「試作品は一本だけだ。改良したものを十本。まず十本だけ作る。それ以上は、使った奴らの評価を聞いてから決める」
「ありがとうございます!」
「礼はまだ早い。お前はその“予約”とやらを管理しろ。材料の計算もだ。間違えたら、お前の飯を抜く」
「食事を人質に取らないでください」
とはいえ、交渉成立である。俺は急いで、木炭と紙を用意した。
紙は麓の街から運ばれてくる貴重品らしく、ドルグに「そんなものに使うな」と怒られたので、薄い木板に名前を刻むことにした。
次々と名前と欲しい本数を告げていく。
「ガロンだ。一本頼む」
「はい、”ガロン、一本”」
「なぁ、他の奴より早く作ってもらうワケには……」
「順番通りですよ。じゃなければ、予約を取り消します。」
「ちょっ、冗談だよ。冗談。ガロン、一本で頼むぜ」
こうして、ドルグ工房初のピーラー予約が始まった。
◇ ◇ ◇
その日の夜。
工房の隅には、注文のための木板が立てかけられていた。
予約数、四十七本。
最初は十本限定のはずだった。
なのに、夕方までに集落中から注文が来た。
料理屋。
酒場。
大家族の家。
嫁への贈り物にしたいという鉱夫。
なぜか「自分の髭の手入れにも使えるか」と聞いてきた若いドワーフ。
それだけは、全力で否定した。
「絶対に駄目です。髭に当てないでください」
「なんでだよ」
「……危ないからです」
危ない。
主に俺の理性が。
工房の奥で、ドルグが改良型のピーラーを打っている。
カン。
カン。
カン。
その音を聞きながら、俺は注文板を眺めていた。
四十七本。
悪くない数字だ。
いや、異世界で初めて営業したにしては、かなりいい。だが、俺の目的は売上ではない。
ピーラーの刃を作る技術。
薄く、鋭く、安全に削ぐ技術。
それをドルグが磨けば磨くほど、いつかきっと……
俺は自分の髭を握った。
相変わらず、ふさふさだった。
「……もう少しだ」
誰にも聞こえない声でつぶやく。
ピーラーが売れれば、ドルグは生活道具の刃にも価値を見出す。
そうすれば、次に提案する道具の話も、聞いてもらえるかもしれない。
俺は予約帳の余白に、小さく次の案を書き込んだ。
持ち手。
薄い刃。
肌に沿う角度。
泡立てた石鹸。
そして、一番上に。
カミソリ。
「……見つけたぞ」
ようやく、俺はこの世界で初めて、その言葉を木の板に書いた。
だがその直後、背後からドルグの声が飛んできた。
「タカハシ!」
「はい!」
「明日の朝までに、根菜を二十籠剥いとけ!」
「なんでですか!?」
「ピーラーの試し切りだ!」
こうして俺のカミソリ開発計画は、大量の芋と、根菜と、かぼちゃに似た何かによって、あっさり後回しになった。
俺は髭を剃るために動いているはずなのに。
なぜか今、集落で一番芋を剥く男になりかけていた。




