第四話 芋剥き器と最初の交渉
第四話 芋剥き器と最初の交渉
ドルグは、俺が差し出した布を見て、長いこと黙っていた。
工房の奥では炉の火がごうごうと鳴っている。
赤く熱せられた鉄の匂い。煤けた壁。床には金属片と、使い込まれた工具が並んでいた。
そんな神聖な鍛冶場で。
俺は木炭で描いた、芋の皮むき器の絵……工房の隅にあった端材の裏に描いたものを掲げている。
「……お前」
「はい」
「ワシに、芋の皮をむく道具を打てと言っとるのか」
「はい」
「包丁があるだろうが」
「あります。でも、包丁では皮と一緒に可食部まで削れます」
「削ればいい」
「十個ならそうです。二十個、三十個なら、削った分だけ損です。時間もかかるし、指も切りやすい」
ドルグは、俺と布を交互に見た。
「……芋を剥くのに、そこまで考えるのか」
「営業をやっていると、無駄が気になるんです」
「なんの関係がある」
「あります。手間を減らせば、その分、別の仕事ができます。料理をする人が楽になれば、家族と過ごす時間も増える。作る側にも売る側にも、価値があります」
つい、前世の癖で説明が長くなる。
だが、これは単なる便利グッズではない。
俺にとっては、ドルグに「薄く鋭い刃」を作らせるための、最初の一歩だ。
髭を剃るための刃物をください、とは言えない。
ならばまず、「皮だけを薄く剥く刃物」を作ってもらえばいい。
似ている。
いや、かなり似ている。
ドルグは鼻を鳴らした。
「くだらん」
「ですよね」
「芋は包丁で剥くもんだ。何百年もそうしてきた」
「それは、“今までそうだった”というだけです」
言ってから、しまったと思った。
営業時代、保守的な取引先への提案で何度も使った言い回しだ。
便利になる根拠を示せば通じることもあるが、相手の積み重ねを否定するように聞こえることもある。
案の定、ドルグの眉がぴくりと動いた。
「……若造が」
「すみません。言い方が悪かったです」
すぐに頭を下げる。
「包丁で剥く技術を否定したいわけじゃないんです。ただ、料理が得意じゃない人でも、同じようにきれいに剥ける道具があれば便利だと思って」
ドルグは答えない。
工房に、炉の火の音だけが響く
俺は木の板を胸の前で握った。
無理かもしれない。そもそも、この人は伝説級の鍛冶師だ。剣や斧を作る職人に、芋の皮むき器なんて頼むこと自体が間違っている。
だが。
「……一個だけだ」
「え?」
「一個だけ打つ。使えんかったら、その板切れは焚きつけにする」
ドルグはそう言って、俺の手から板をひったくった。
「刃の幅はこれでいいのか」
「あ、はい。たぶん……そのくらいで」
「“たぶん”で物を作らせるな。寸法を決めろ」
「すみません」
「柄は木か、金属か」
「木で。滑りにくいほうがいいです」
「刃の厚みは」
「薄く。でも、曲がらない程度に」
「それを決めるのが職人だろうが」
「ですよね」
怒られているのに、少し嬉しかった。
ドルグは木の板を作業台に置き、棚から薄い鋼材を取り出した。
あの失敗作のナイフに使われているものと、似たような金属に見える。
俺の心臓が、どくんと鳴った。
「見てろ。鍛冶を習う気はなくても、物ができる過程くらいは覚えろ」
「はい」
ドルグは鋼材を炉に入れた。
◇ ◇ ◇
鍛冶というものを、俺は初めて間近で見た。
熱された金属は、赤から橙へ、橙から白へと色を変える。
ドルグはそれを取り出し、迷いのない手つきで金床へ置いた。
カン。
カン、カン。
カン、カン、カン。
一打ごとに、金属の形が変わっていく。
荒々しいのに、正確だった。
ハンマーを振り下ろすたびに火花が散り、薄い鋼が少しずつ整えられていく。
打ち終えた刃を、ドルグは水の入った桶へくぐらせた。じゅっ、と小さな音が立つ。
砥石を取り出し、刃を当てる。しゃり、しゃり、と乾いた音が工房に響いた。何度も水にくぐらせては研ぎ、研いでは光にかざす。
やがてドルグは、研ぎ上がった細い刃に穴を開け、木の柄を取りつけた。
見慣れたY字型とは少し違う。
持ち手の先に横向きの刃があり、両端を金具で支える形。武骨で、重い。それでも、確かにピーラーだった。
「できたぞ」
ドルグが差し出したそれを、俺は両手で受け取った。
ずしりとした重み。
金属の冷たさ。
そして、横に走る薄い刃。
「……すげぇ」
「芋を剥くだけの道具に、そんな顔をするな」
「いや、これは……すごいです」
危うく「髭も剃れそうです」と言いかけて、飲み込んだ。
俺は台所へ駆け込み、籠に残っていた根菜をひとつ取り出す。
「ドルグさん、見ててください」
「指を落とすなよ」
「落としません」
根菜を握り、ピーラーの刃を表面に当てる。
ゆっくり、手前に引いた。
す、と。
薄い皮が、長くつながって剥けた。
俺は止まった。
ドルグも止まった。
床に落ちた皮を見つめる。
包丁なら厚く削れていたはずの皮が、透けるほど薄い。
中身はほとんど残っている。
「……」
「……」
もう一度、引く。
す、するるるっ。
また薄い皮が落ちた。
気持ちいい。
前世でも何度も使った道具なのに、異世界で初めて形になったそれは、妙に感動的だった。
「剥ける……!」
「芋の皮が、剥けただけだ」
「“だけ”じゃないんですよ。見てください、この薄さ。包丁より早い。中身を無駄にしない。握る手も疲れにくい。しかも危なくない!」
「最後は、お前が指を落とさなかっただけだろう」
「そこは使い方の問題です」
俺は夢中になって根菜を剥いた。
一個。
二個。
三個。
面白いように皮が剥ける。
薄く、きれいに、一定の幅で。
気づけば、籠に入っていた根菜を全部剥き終えていた。ドルグはその様子を、腕を組んだまま眺めている。
「……包丁より早いな」
「でしょう?」
「皮が薄い」
「でしょう?」
「芋が減っとらん」
「でしょう!」
思わず拳を握りしめた。
やった。
第一段階、成功だ。
ドルグは出来上がったピーラーを取り上げ、じっと見た。
「……刃の角度を少し寝かせたほうがいいな。今のままだと、固い皮では引っかかる」
「直せますか?」
「誰に聞いとる」
ドルグは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
笑ったのかどうかは、長い白髭に隠れてよく分からない。
ただ、その手はもう一度、ピーラーを改良する気になっているようだった。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。俺は市場へ、買い出しに出ていた。
根菜、豆、塩。
ドルグの食事を作るための、ごく普通の買い物だ
ただし腰には、例のピーラーを下げている。
別に見せびらかすつもりはなかった。
今日は改良前の一本だけで、まだ人に売れる完成度ではない。
……なかったのだが。
「おい、タカハシ」
後ろから声をかけられた。
振り返ると、昨日俺を集落へ連れてきたガロンが、買い物袋を抱えて立っていた。袋の中からは、でかい根菜がいくつも覗いている。
「それ、腰に下げてるのは何だ?」
「え? ああ、これは……料理用の道具です」
「料理用?」
「皮むき器、というか」
「皮むきぃ?」
ガロンが首を傾げる。
「包丁があるだろ」
「ドルグさんにも同じことを言われました」
「だろうな」
「でも、これを使うと早いんです。皮も薄く剥けて、食べる部分を無駄にしません」
「ふぅん」
ガロンは半信半疑の顔だった。
だが、袋から根菜をひとつ取り出すと、ずい、と俺に突き出してきた。
「なら、やってみせろ」
「ここでですか」
「ここでだ」
周りの露店のドワーフたちが、何事かとこちらを見始める。
まずい。
これはちょっとした実演販売になってしまった。
だが、営業として、目の前の商機を逃すわけにもいかない。
「……分かりました」
俺は根菜を受け取った。
そして、腰のピーラーを抜く。
周囲が静かになった。
ドワーフたちの視線が、細い横刃に集まる。
なぜか、少し緊張しているように見えた。
「おい……あれ、刃物か?」
「なんであんな細い刃を……」
「まさか、髭に使うんじゃねぇだろうな」
ひそひそ声が聞こえて、俺は慌てて首を振った。
「違います! 芋用です!」
何だよ、芋用って。
自分で言っていても説得力がない。
俺は根菜の表面に刃を当て、手前へ引いた。
す、と。
薄い皮が、するすると長く剥けていく。
「……おお?」
ガロンの目が丸くなった。
もう一度。
するるるっ。
皮は途切れず、細い帯になって地面へ落ちる。
「おおおおっ!」
誰かが声を上げた。
「なんだあれ!」
「中身が残ってるぞ!」
「包丁より速ぇ!」
「皮が薄い! 薄すぎる!」
周囲に人が集まり始める。
ドワーフたちは、俺の手元ではなく、剥かれていく根菜に釘付けだった。
それを見て、俺は確信した。
これは、いける。
カミソリのために作ったわけではない。
いや、正確にはカミソリへ近づくために作った。
だが、この世界で最初に人々を変えるのは、髭剃りではなく。
一本の、芋の皮むき器らしい。
そしてこのときの俺は、まだ知らなかった。
翌朝にはドルグの工房前に、根菜を抱えたドワーフたちの長い行列ができることを。
そして、俺がしばらく「謎の刃物を求める男」ではなく……
ピーラー職人の家政夫として、集落中に知られることになるのを。




