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髭がそりたいだけなのに〜聖剣はカミソリだった!?〜  作者: 藤紫


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第二十三話「俺は、お前の失敗の後始末として呼ばれたのか」

「あのカミソリだ。お前は、あの刃で、何をしたい」

 

「……決まってる。髭を剃るんだ」

 

「剃る。それが……お前の答えか」

 

「ああ。この世界に来てから、ずっとそうだ。毎日、毎晩、それだけを考えてきた」


 魔王はじっと俺を見ていた。値踏みするような目。あるいは試すような目。そしてふっと口元を緩めた。

 

「ふむ。ならば話してやろう。俺とアイツらの話を。……お前が、本当に『剃る』と決めるのなら、その前に知っておくべきことがある」


 魔王は窓辺から離れ、石の椅子に腰をかけた。ローブの襟を直しながら、その目は……遠くを見ていた。

 

「俺の前世はな。髭が濃すぎて、殺された男だ」

 

「……殺された?」

 

「正確に言えば、死ぬほど、嫌われた。学校では『汚い』『移る』と言われた。物を触るなと言われた。机の横に誰も座らなかった。大人になっても視線は変わらなかった。剃っても剃っても、昼にはもう影が出る。それだけで人は離れていった」


 魔王は淡々と語った。まるで他人の話のように。

 

「俺は、思った。髭のせいだ、と。髭さえなければ俺は愛された。そう本気で信じていた、いや、今でも信じている」


 その言葉に俺は何も言えなかった。この男は本気でそう思っている。髭さえなければ愛されたと。その呪いを何十年も抱えて生きてきた。そして、ここにいる。

 

「髭を完璧に整えた後、自ら望んだ死の間際、光が見えた。そしてあの声がした……」

 

「『転生、おめでとうございます』ってやつか」

 

「ああ、『あなたは髭に苦しんできたようですので、髭が愛される世界に転生いたしました。髭事情の改善フラグが満載です。どうぞ異世界での新生活をお楽しみください。』だとよ」

 

「髭……事情?」

 

「ああ。俺は笑ったよ。まさか生まれ変わってまで、髭の話をさせられるとはな。さらに『この世界では、髭は、成人の証であり、信用であり、一族の誇りである』んだと」

魔王はそこで初めてくつくつと笑った。

 

「大人の証。信用。誇り。……俺が前世で髭のせいで奪われたものの、全部だ。『お前が憎んだ髭は、この世界では愛される』と。……最悪だろ。それ」

 

……最悪だ、と。


 俺はその気持ちが分かった。前世で憎んだものを今度は愛せ、と。そんなのできやしない。

「俺はドワーフとして転生した。髭は鼻の下から、顎から、頬から、生えた。立派な髭だと誰もが褒めた。褒められれば褒められるほど、俺は……」


 魔王は自分の顎を撫でた。

 

「この髭ごと自分を切り落としたくなった」

 

「だから剃ろうとしたのか」

 

「ああ。ある夜、風呂場で、手近な刃物を当てた。……三日後、村の広場で、『剃髭刑』に処された。剃るんじゃない、刈られるんだ。血まみれの顔を晒して蔑まれる。それでも髭はまた生えた。だが、『剃られた男』という烙印だけは生え戻らなかった」


 俺は思わず自分の髭を守るように握っていた。

 

「前世も今世も髭のせいで、罪人扱いだ。笑えるだろう」


 魔王は嗤った。その笑い声は乾いていて、からっぽだった。

 

「だから俺は、あの声の意図にも、ドワーフの社会にも背を向けた。魔法を学んだ。魔学のすべてを極めた。そして辿り着いた。……時空魔法だ」

 

「時空……魔法」

 

「生える前の憎まれる前の俺に戻ればいい。転生する前の完璧に剃り上げた朝に戻り、そのまま時を止められれば、そうすれば、俺は……」

 

「待て」


 俺は遮った。手が震えていた。

 

「待て、お前それ何度もやってるのか。時を戻して、戻して、それで……」

 

「ああ。何度も。何度も。……だが何度戻しても髭は消えなかった。ドワーフの髭は時空魔法では消えぬ。加護か呪いか、魂に刻まれたものだ。それでも俺は可能性を求めて針を戻し続けた。……戻さずにはいられなかった」


 魔王は自分の髭を握りしめた。その手が微かに震えていた。

 

「気づけば俺の周りの時間は逆回りになり、魔素が歪み始めた。世界のどこかで災厄が起きる。すべて、俺のせいだ。俺は世界を滅ぼしたかったわけじゃない。ただ、髭が生えないまま生きていたかった。それだけだ」

 

「それだけ、って……」

 

「それだけだ。アホだろ。皆まで言うな」

 

……アホだ。


 俺は思った。本当にアホだ。魔王が世界を巻き込んで壊しかけている。その理由が髭だ。たかが髭だ。

 

だが。

 

たかが髭、か。


 俺は自分の顎を撫でていた。この旅の間、何度もこの顎の髭に助けられた。雪山で。湿地で。交渉の席で。……そして、今もこうして髭があることで、この男と向き合えている。いや、違う。髭があるからじゃない。髭が……彼と同じ『呪い』だからだ。

 

「……で、俺は…。そこでお前の出番だ」

 

魔王が話を戻した。

 

「失敗を確認したアイツらは、俺を諦めたんだろう。そして事務処理のついでに、次の候補を探したんじゃないかな」

 

「次の……候補」

 

「ああ。『髭の扱いに、執着と精緻さを持つ男』。そんな条件で探したんじゃないか……」


 魔王はそこで突然言葉を切った。しばらく月明かりの下で俺を見つめた。そして、こぼすように。

 

「あの声はな。転生直後しかしゃべらない。お前は何と言われた?」

 

「『髭の手入れ』に関するイベントフラグがどうとかって言われてそれっきりだ」

 

「ふ。やはりな。アイツらは俺たちをこの世界に勝手に送り込んで、見ているだけだ。お前が送り込まれた理由は……。そのカミソリ、そんなものこの世界にはない。それを一から作り上げるほどに、お前は髭を剃ることに執着した男であろう」

 

「それは、まぁ」

 

「前の世界でも同じだったんだろう。毎朝、徹底して手入れして。ジェルを塗って、逆剃りして、肌のざらつきを指先で確認して。替刃の交換時期まで、コンピューターで管理していたんじゃないか?」

 

「はあああああ!?」

 

俺は叫んでいた。

 

「俺のExcelの何が悪い!? いや、お前に関係ないだろ!? あのシステムボイスに俺の替え刃スケジュールの何が……」

 

「図星か。やはり、俺と同じようなことをしていたんだな……」

 

魔王がぽつりと言った。

 

「お前が一番ヒゲと誠実に向き合う方法を知っていた。……それが、アイツらがお前を選んだ理由だろう。チートを渡さなかったのも、『あの男は剃り方だけで勝負できる』ぐらいに思ったんじゃないか。まぁ、俺という失敗作を顧みてってのもあるだろうがな。……なかなかいい着眼だとは思うぞ。アイツらも、案外馬鹿じゃない」

 

「うるさい。」

 

「ふむ。……だが一つ、確かなことはある」


 魔王は立ち上がった。月明かりの下でその髭が銀色に光った。

 

「お前はあの声に、俺の……一号の後釜として、二号として呼ばれた」


 ……一号。

 ……後釜。

 ……二号。


 その言葉が俺のど真ん中を刺した。

 

 俺は考えた。俺は、どうしてこの世界にいるんだ。

 

 目覚めたら天井がなかった。水たまりに見知らぬオッサンの顔があった。『チート能力はありません』という声があった。

 それから、俺は……髭を剃りたくて。カミソリを作りたくて。ドルグに弟子入りを頼んで。ピーラーを作って。市場で売って。勇者と旅をして。魔王城に来た。


 それは全部、俺の選択だった。少なくとも俺はそう思っていた。

 

……違うのか。

 

「……つまり、俺は」

 

「言ってみろ」

 

「俺は、お前の、失敗の……後始末として、呼ばれたのか」

 

その言葉は俺の口から出たはずだが、何故か遠くから聞こえた。

魔王は答えなかった。代わりに言った。

 

「俺はそれを『後始末』とは呼ばないな」

 

「……は?」

 

「俺はそれを『次の機会』と呼ぶ。アイツらは俺を諦めた。そして次の機会としてお前を呼んだ。だが……」


 魔王は少し間を置いた。

 

「俺はお前の答えを見たいと思った。」

 

「……俺の答え」

 

「髭を憎んだ男がこの世界に送られた。髭を憎んだまま世界を壊した。……もう一人、同様な男が送られた。その男はどうするのか。憎むのか。逃げるのか。……それとも、違う答えを見つけるのか。それを最後まで見届けたいと思った」

 

……見届けたい。


 俺はその言葉を反芻した。この男は俺の答えを……見たいと言っている。腹が立った。

 

「……ふざけるな」


 声が低く出た。

 

「俺の人生はな、お前のペーソスの代償でも、神の再試行でもない。俺は、俺が剃りたいから剃る。俺が決めたからここにいる。お前の見届けだの、アイツらの計画だのと関係なく俺は……」

 

「では、答えろ」


 魔王が、静かに、言った。その目が、まっすぐ、俺を見ていた。

 

「お前は、その髭を、どうしたい」

 

「……」

 

「さっきは、『剃る』と答えた。ならば今、ここでそのカミソリを抜け。俺は止めない。あの女たちもここへは来られない。今なら誰にも邪魔されない」


 ……誰にも邪魔されない。

 その言葉に俺の手は……動かなかった。


 カミソリはある。帯に挟んである。抜けば剃れる。あと一振り。昨日の夜この場所で考えた。誰も止めない。それでも、俺は剃れなかった。

 

今日も、だ。

 

「……」

 

「答えられぬか」


 魔王は嗤った。今度はからっぽの笑いではなく、何か含むような笑いだった。

 

「ならばお前も俺と同じだ。お前も髭を憎みきれていない。……俺の後釜のくせに良い髭だ。お前の髭は立派だ。憎むには惜しい」


 魔王はそう言って背を向けた。玉座へ戻っていく。

 

「明日、決着をつけよう。お前と俺と。そのカミソリが……どちらの答えになるのか」

 

「……待て。まだ話は……」

 

「話はもう十分だ。……ああ、そうだ。一つだけ言い忘れた」

 

 魔王は、振り返らずに、言った。

 

「もし、お前がその髭を、『失いたくない』と思っているなら……」

 

「……」

 

「俺はその感情こそが、アイツらがお前を送った、本当の理由だと思うぞ。『髭と誠実に向き合う方法』。それはもしかすると……憎むことでも、剃ることでもないのかもしれん」


 その言葉は玉座の間にひとり残された俺の胸に、妙に重く残った。

 俺は帯からカミソリを抜いて布を開いた。月明かりの下で銀色の刃が静かに光る。


 俺はこれをどうしたい。



 その答えはまだ出ない。

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