第二十二話「お前は、あの刃で、何をしたい」
結局、俺たちは魔王城に、『客人』として泊まることになった。
防具どころか、武器すら解かされていない。警備もない。城の中を、好きに歩ける。もちろん、逃げようと思えば、逃げられるかもしれない。だが、魔王は言った。『この城の時間は、逆回りにしか進まない。お前たちの未来は、ここにしかない』と。つまり、城を出れば、俺たちは……文字どおり、時間のない世界に放り出されるということらしい。
俺たち三人は、与えられた客間で、顔を見合わせた。アリシアだけは、与えられたベッドで、もうすやすや眠っている。……すごいな、この勇者。魔王城で、初日の夜から爆睡できるのか。胆力というより、脳筋だ。
「タカハシさん」
エルヴィラが、ノートも広げずに、切り出した。
「先ほど、魔王が言った『後釜』という言葉。あれは……」
「……知らない。俺も、知らないんだ」
嘘だった。知らないわけがない。あの朝のことは、忘れたことがない。天井のない朝。水たまりに映った、知らない顔。『チート能力はありません』と告げた、あの事務的な声。
……あの声の言っていた、『「髭の手入れ」に関するイベントフラグ』っていったい……
今日、魔王は言った。『新しい駒を落としたか。俺の後釜にな』と。
つまり。俺は。何かの……後始末をするために……
だが、認めたくなかった。
自分が誰かの「後釜」だなんて。誰かの失敗の続きだなんて。
俺は、ただ髭を剃りたくて、ここにいるはずだった。
「何にせよ、あの魔王は、ただの敵ではありません」
エルヴィラが、真剣な声で言った。
「ドワーフでありながら髭を憎み、時間を巻き戻す術を持つ。そして、あなたのことを、事前に知っている。……ひとつの仮説ですが」
「仮説?」
「魔王もまた、『天より堕ちし者』なのではないでしょうか。魔王が『後釜』と呼んだあなたも、また同じ。そして、あなたは、その後の……『二号』だと」
……二号。
「さあ、どうだか。……もう寝るぞ。明日が本番だ」
俺は、ランプを消した。暗闇の中で、布包みのカミソリを、いつもより強く、抱き枕にするようにして、眠った。
◇◇◇
……深夜。
ノックがあった。
「タカハシ殿。魔王が、あなたお一人をお呼びです」
いつの間にか、客間の入り口に、カラッポの甲冑が立っていた。あの、中身のない青銅の兵隊だ。声は、どこから出ているのか——いや、そもそも、聞くだけ無駄だ。
エルヴィラとセリアは、微動だにしない。今日一日の道中の疲れが、よほど深く効いているらしい。
俺は、布包みを帯に挟んで、立ち上がった。
「剣聖様!」
アリシアが、はっと目を覚ました。
「一人では行かせません! 私も……」
「アリシア。お前は、寝てろ」
「しかし!」
「敵の大将が一人で来いと言っている。そもそもここは魔王城。何かする気なら、とっくにしてるだろう。……それに、相手は俺の……」
俺は、ここで、言葉を切った。何と言えばいい。『先輩』か? 『同業者』か? 『失敗作』か?
……どの言葉も、しっくりこなかった。ただ、なぜか『先輩』という響きだけが、胸の奥の、前世で使い古した神経を、微かに逆撫でした。理由は、分からない。分からないまま、俺はその感覚に蓋をした。
「……俺の問題だ。お前は、休んでいろ。明日、うまい朝飯を作ってやるからな」
「……ぅ。でも、魔王が剣聖様に危害を加えたなら、私……」
「加えないさ、たぶん。あいつ、俺のこと呼び出しといて、いきなり殺すようなタイプには見えなかった」
「『たぶん』って、一番信用できない言葉です……」
「大丈夫だ。俺は元営業マンで現家政夫、そして剣聖なんだろ。聖剣の力を信じて待っててくれ。」
「うぅ……」
アリシアは、納得しないまま、不貞腐れるように枕に顔を埋めた。「剣聖様……」と溢しながらも眠気には勝てなかったようだ。そのまま、すぐに寝息を立て始め「剣聖様……お肉…」と寝言を唱え始めた。……コイツ、俺のシリアスを返しやがれ。
◇◇◇
廊下は、静まり返っていた。
篝火のひとつもない。それなのに、なぜか足元だけは、ぼんやりと青白く見える。壁に埋め込まれた、無数の小さな砂時計――そのすべてが、下から上へ、砂を吹き上げていた。時間が、逆に流れている証拠だ。
立ち竦む兵士たちは、皆、直立不動のまま、目だけをこちらに向けた。誰も、声をかけてこない。誰も、道を塞がない。まるで、この城全体が、俺が来ることを、とうの昔から知っていたかのように。
……いや、そんなワケはないだろう。『後釜』が、来ることなど誰も想定していないはずだ……神以外は……
甲冑に先導されるまま、俺は、玉座の間の扉の前に立った。
◇◇◇
玉座の間は、ランプの灯りもなく、月明かりだけで青白く照らされていた。
魔王は、玉座ではなく、窓辺に立っていた。背を向けて。黒いローブのまま。窓の外には、逆回りに回る時計塔が見える。その針は、永遠に、過去へ向かって、進んでいた。
「……来たか」
「呼んだのは、お前の方だ」
「うむ。俺は、単刀直入に聞く」
魔王が、振り返った。月明かりの下で、その顔が、初めて、はっきり見えた。
……立派な髭だった。
胸元まで届く、豊かな茶色の髭。俺のよりも、ずっと長く、毛流れひとつ乱れていない。ドワーフなら、誰もが自慢するだろう、一族の宝と呼んでいい出来だ。なのに、その持ち主は。その髭を……まるで、枷のように、扱っていた。
「お前は、あれを、どうしたい」
「……は?」
「あのカミソリだ。お前は、あの刃で、何をしたい」




