第二話 髭は家宝、剃られるのは刑罰です
連れてこられた集落は、思っていたよりずっと大きかった。
岩山をくり抜いたような、洞窟と洞窟をつなぐ構造。あちこちに灯された炎が、岩壁をオレンジ色に照らしている。鍛冶場らしき場所からは絶え間なく金属を叩く音が響き、その合間を縫うように、子供たちが駆け回っていた。
みんな、髭がある。
いや、子供にはさすがにないんだが、その分「将来立派な髭を生やすんだ」と言わんばかりの目つきで、大人たちの顎を見つめている。英才教育か何かか。
「タカハシ、こっちだこっち」
肩を組んできたのは、最初に声をかけてきた体格のいい男だった。名前はガロンというらしい。
声のデカさが物理的に岩壁を震わせている。
「まずは飯だ。腹減ってんだろ」
断る理由もなく、俺は促されるまま広場らしき場所の長机に座らされた。
出てきたのは、山盛りの肉と、得体の知れない濃いスープ。腹は正直減っていたので、遠慮なくかき込む。
「お、いい食いっぷりだ」
「腹減ってたんで……あ、うまい」
スープが思いのほか美味い。前世で食べたどんな高級店の味とも違う、ワイルドで骨太な旨味。
周りのドワーフたちが、俺の顎を見ながらニヤニヤしている。
「なぁタカハシ。おめぇ、それ天然か?」
「え、なにがです?」
「その髭の艶だよ。手入れのやり方、誰に習った?」
艶。手入れ。
……確かに、前世の俺は毎日欠かさずジェルを塗り込んでいた。まさかその名残りが、この世界でも「艶」として評価されているのか。
「あー、まあ、その、独学というか……」
「謙遜すんな! 見りゃ分かる、これは相当な手入れの賜物だぜ」
ガロンが俺の顎をわしづかみにして、周りに見せびらかす。やめてほしい。恥ずかしいというより、単純に痛い。
「よぉし、タカハシ。今夜はお前の歓迎会だ! 酒持ってこーい!」
どっと歓声が上がる。
断る隙もなく、木製のジョッキに並々と注がれた酒が目の前に置かれた。
こうして俺の異世界一日目は、髭を褒められながら酒を飲まされるという、まったく望んでいない方向に進んでいった。
◇ ◇ ◇
翌朝、目が覚めると、俺は集落の共同宿舎のような場所にいた。
頭がガンガンする。二日酔いというやつだ。ドワーフ体でも二日酔いにはなるらしい。理不尽だ。
「うっ……」
起き上がって、まず手が顎に伸びる。
朝の習慣というやつだ。前世では、目覚めと同時に鏡の前へ直行し、髭の伸び具合を確認していた。今日もその癖が抜けていない。
もちろん、鏡なんてない。代わりに指先でなぞってみる。
……伸びてる気がする。いや、気のせいか? もともとモジャモジャだから伸びたかどうかの判定が難しい。
「くそ、これじゃ管理できない……」
思わず愚痴がこぼれた。前世なら毎朝記録を取っていた。伸び具合、剃り味、肌の調子。三つの変数を毎日記録して、最適な剃り方を追求していた。
その記録用ノートも、今はどこにもない。
宿舎を出ると、朝から集落は活気にあふれていた。鍛冶場の音、市場らしき場所の呼び込み、子供たちの笑い声。
ふと、通りすがりの家の壁に、奇妙な肖像画のようなものが飾られているのに気づいた。
髭の長さと形を、まるで家系図のように並べたものだ。
「あれは……?」
「ん? ああ、うちの一族の“髭譜”だな」
声をかけてきたのは、昨夜のメンバーの一人だった気がする。名前は忘れた。
「髭譜?」
「先祖代々の髭の形を記録したもんだ。うちはこの三代、見事な二又カールが受け継がれててな」
誇らしげに胸を張る彼を見て、俺は言葉を失った。
髭が、家系の誇りとして記録される文化。
前世で言えば、家宝の壺とか、代々受け継がれる名刀みたいなポジションに、髭がいる。
「ちなみに聞くけどよ、剃るってことは……」
恐る恐る聞いてみる。
「ああ? 剃るぅ?」
その一言で、彼の表情が一変した。
さっきまでの誇らしげな顔が、すっと冷えた。
「タカハシ、まさかとは思うが、そういう不謹慎な冗談はやめとけ。よそもんが知らねぇのは仕方ねぇが、ここじゃそいつは笑えねぇ話だ」
「す、すみません……」
空気が凍る。俺は反射的に営業スマイルで場を取り繕った。
「軽い罪でも“剃髭刑”だ。前にも言ったろ。盗みとか、喧嘩の仲裁破りとか、そういうのやらかした奴は、集会の場で皆の前でジョリジョリ刈られる」
「刈るって言っても、精巧な刃なんか使わねぇぞ。斧の背とか、鈍らせた鎌とかでな。……綺麗になんか、剃れやしねぇ」
彼は苦々しい顔で続けた。
「刈られた奴は、しばらく外を出歩けねぇ。子供にも指をさされる。伸びるまで数ヶ月、まともに働かせてもらえねぇ奴もいる」
「そんなに……」
「そんなにも何も、髭は誇りだからな。それを奪われるってのは、つまり“お前は一人前として認められねぇ”って烙印を押されるのと同じなんだよ」
なるほど。
つまりこの世界では、俺が前世で毎朝やっていた行為『ツルツルに剃り上げること』は、犯罪者への懲罰と同義なのだ。
「今日も綺麗に剃れた」と鏡の前で満足していたあの頃の俺が、もしこの世界にいたら、間違いなく全裸で市中引き回しにされていただろう。
「……分かりました。もう二度と言いません」
「おう、それでいい。悪気ねぇのは分かってっからよ」
彼はガハハと笑って去っていった。
残された俺は、深いため息をついた。詰んだ、というのが率直な感想だった。
この世界で「髭を剃りたい」なんて願望を口にした瞬間、俺は社会的に詰む。最悪、犯罪者予備軍だと思われかねない。
だが、諦めるわけにはいかない。
俺には、前世で培った営業スキルがある。相手の本音を探り、着地点を見つけ、双方が納得する形に持っていく。それが俺の生業だった。今回のゴールは単純明快。
「誰にもバレずに、剃る」
方法はまだない。だが、いつか必ず見つけてやる。
◇ ◇ ◇
集落を歩き回っていると、鍛冶場の一角に、妙に静かな空間があった。
他の鍛冶場のような荒々しさがなく、規則正しいハンマーの音だけが響いている。
覗き込むと、白い髭をたくわえた、明らかに只者じゃない雰囲気の老ドワーフが、一心不乱に金属を打っていた。
その傍らの棚に並んだ品々を見て、俺は息を呑んだ。
ナイフ、斧、剣。どれもこれも、他の店で見たものとは輝きが違う。刃の一本一本が、まるで意志を持っているかのように鋭く、美しい。
「……すごい」
思わず声が漏れる。
老ドワーフがちらりとこちらを見た。
「見学は自由だが、触るのはよせ。指を落とすぞ」
「あ、す、すみません」
慌てて手を引っ込める。
だが、視線はどうしても棚の一本の小さなナイフに吸い寄せられていた。
他の武骨な品々とは違い、それはやけに繊細な作りをしている。刃渡りは短く、薄い。柄の部分にも細やかな細工が施されていた。
「爺さん、あれは……?」
「ん? ああ、あれか」
老ドワーフは手を止め、ふん、と鼻を鳴らした。
「あれは失敗作だ。武器にしちゃ薄すぎる、儀式用にしちゃ不格好すぎる。中途半端な代物よ」
「失敗作……」
俺の目には、とても失敗作には見えなかった。
むしろ、あの刃の薄さと鋭さは……
(これ、下手したら……髭、剃れるんじゃないか?)
心臓が跳ねた。
これまで見た集落のどの道具よりも、あのナイフの刃には、俺が求める「剃る」という機能に必要な繊細さがある気がした。
「爺さん、あのナイフ、俺に……」
「タダではやらんぞ」
「じゃあいくらなら」
「金の問題じゃねぇ。あれはワシの気まぐれで打った試作品だ。値打ちなんぞ付けようがない」
ぴしゃりと言われて、俺は言葉に詰まった。
だが、ここで引くわけにはいかない。
あの刃こそが、俺のツルツル人生を取り戻す唯一の鍵かもしれないのだ。
「爺さん、名前を聞いてもいいですか」
「……ドルグ」
「ドルグさん。俺、タカハシって言います。あの、弟子にしてもらえませんか」
自分でも驚くくらい、するりと言葉が出た。
営業職の癖というやつだ。目的のためなら、とりあえず懐に飛び込む。
ドルグは、じろりと俺を睨んだ。
弟子入りを願う俺を、値踏みするような目だった。
「……弟子、ねぇ」
しばらくの沈黙。
やがて老ドワーフは、ふん、と鼻を鳴らした。
「断る」
「即答!?」
「鍛冶を教えてくれって顔じゃねぇ。お前の目は、あの刃を欲しがってるだけだ。そんな半端者に、ワシの火床は預けん」
図星だった。
俺は言葉に詰まった。
確かに俺は、剣を打ちたいわけでも、職人として名を上げたいわけでもない。
「お前、なんであのナイフを欲しがる?」
「俺は……髭が…髭が剃り…」
俺が最後まで言う前に、ドルグは目を剥いて、俺を睨んだあと、
「待て、……聞かなかったことにしといてやる。」
と言った。
やっぱり、ダメか。髭を剃りたいなんて言い出すやつを弟子になんかしないよな。
背を向けかけた俺に、ドルグが言った。
「家事は、できるか」
「はい?」
「洗濯、掃除、飯炊き。ワシは鍛冶以外がまるで駄目だ。作業場も家も散らかってしょうがねぇ。住み込みでそれを片づけるなら、ここに置いてやる」
「それって弟子入りでは」
「家政夫だ」
あまりにも迷いのない答えだった。
だが、断る理由はない。
ドルグの家に入れる。作業場を見られる。あの薄く鋭い刃の近くにいられる。
髭を剃るためなら、掃除でも洗濯でも営業資料作りでもやってやる。
「やります」
「返事だけはいいな。明日の朝、夜明け前に来い。寝坊したら、その立派な髭を三つ編みにして吊るすぞ」
「それは絶対に嫌です」
こうして俺は、伝説の鍛冶師ドルグの弟子……ではなく、住み込み家政夫として、彼の家に転がり込むことになった。
目的は一つ。
あの刃を手に入れ、この顎のモジャモジャを消し去ること。
俺の「剃る」への道は、なぜかエプロン姿から始まった。




