第十九話 四天王は、一人しかいないらしい
魔王城まで、あと一日。
街道はさらに荒れ、道の両側には焼けた車の残骸や、誰かが放棄した荷が転がっていた。空気が乾いている。風が肌を擦る感じが、ここ数日の湿気とはまったく違った。
「……近いですね」
アリシアが、珍しく声を潜めて言った。
「ええ」
エルヴィラが短く答える。
「魔素の濃度が上がっています。結界の反応も不安定です」
セリアは毛布を頭から被ったまま、ぽつりと呟いた。
「近づくと酒の味が落ちる気がする……気のせいだといいんですけど」
俺は何も言わなかった。
顎に触れる。髭は相変わらずある。整えられていて、少しだけ乱れている。剃りたい。剃りたいはずなのに、昨日の関所のことを思い出すと、手が止まる。
そのときだった。
道の先で、影が動いた。
一人だ。
黒い外套を羽織り、肩まで伸びた銀髪を後ろで結んだ男が、街道の真ん中に立っていた。手には一本の槍。派手な装飾はなく、ただ長く、よく手入れされている。
アリシアが剣に手をかけた。
「……誰ですか」
男は、俺たちを一瞥した。
特に焦った様子もない。むしろ、少しだけ面倒くさそうだった。
そして、深呼吸をした。
「……魔王が四天王の一人、ガルム。魔王の命により、ここより先を通すわけにはいかん」
言い終わった瞬間、男は小さく息を吐いた。
俺は、つい口を開いてしまった。
「でた〜!?」
「は?」
「テンプレ〜。ここで来たかぁ」
ガルムの眉が、ぴくりと動いた。
「何を言っている」
「そのセリフですよ。『魔王が四天王の一人』って。言ってて恥ずかしくないですか」
「……煩い」
ガルムは槍の石突を地面に突き立てた。
「魔王様がこう言えって言うから言ってるだけだ。だいたい四天王って俺以外おらんし……」
空気が、一瞬止まった。
アリシアが「えっ」と声を漏らす。
エルヴィラが目を細める。
セリアが毛布の隙間から顔を出した。
「……一人しかいないんですか」
俺が聞くと、ガルムは露骨に不機嫌な顔をした。
「最初は四人いた。一人は転職した。一人は行方不明。一人は『四天王って響きが恥ずかしい』って辞表を出した。残ったのが俺だ」
「組織としてかなり問題では」
「お前に言われたくない」
ガルムは槍を担ぎ直した。
「とにかく、通すわけにはいかん。命令だ」
「命令、ですか」
「ああ」
「内容は?」
「お前たちを止めること」
「どのくらいの強度で?」
ガルムが、きょとんとした。
「……は?」
「完全排除ですか。足止めですか。報告だけすればいい程度ですか。上からの指示って、だいたい抽象的なんですよ。『止める』だけだと、現場の裁量幅が広すぎる」
「……何を言い出す」
「元営業です。上からのふわっとした指示には、かなり慣れています」
ガルムは、しばらく俺を見ていた。
そして、小さく舌打ちした。
「完全に殺す必要はない。通さなければいい。それ以上は聞いていない」
「じゃあ、交渉の余地がありますね」
「あるか」
「あります。あなたも、あんまりやりたくなさそうですし」
「……お前、人を怒らせるのが上手いな」
「営業時代、よく言われました」
アリシアが、そっと俺の袖を引いた。
「タカハシさん、大丈夫ですか? 相手、四天王ですよ?」
「一人しかいない四天王です」
「それはそうなんですけど」
エルヴィラが、静かに口を開いた。
「相手の槍には、弱い呪いがかかっています。接触すれば体力を奪うタイプです。ただし、発動には相手の『戦意』が必要なようです」
「戦意?」
「本気で殺す気がないと、十分に機能しない、という意味です」
ガルムが、露骨に顔をしかめた。
「……分析するな」
「すでにしました」
セリアが、毛布の中から手だけ出して振った。
「じゃあ、あんまり本気じゃないってこと? よかった。本気が来たら私、逃げるんで」
「神官のセリフじゃないですよ、それ」
ガルムは、槍を立てたまま、俺を見据えた。
「お前は何者だ。勇者でも賢者でも神官でもない。なのに、やたらと話が長い」
「家政夫です」
「……は?」
「あと、元営業です。今は髭が伸びてるだけで、中身はそれです」
ガルムの視線が、俺の顎で止まった。
「……なるほど。ドワーフか」
「はい」
「その髭、手入れされてるな」
「最近よく言われます」
「魔王城の近くまで来て、よくそんな余裕がある」
「余裕じゃありません。剃りたいだけです」
ガルムは、一瞬だけ黙った。
そして、思いがけないことを言った。
「……魔王様も、同じことを言ってた」
「は?」
「『髭が邪魔だ』と。毎朝、鏡の前で呟いていた」
空気が、また止まった。
俺は、思わず聞き返した。
「……魔王が?」
「ああ。我々は聞いていないことになっている。だが、事実だ」
ガルムは、面倒くさそうに肩をすくめた。
「だから、お前のその刃物にも反応したのだろう。『神剃り』などと、勝手に騒がれたらしいな」
「勝手に騒いだのはこっちの賢者です」
「私は正当な鑑定をしたまでです」
エルヴィラが淡々と訂正する。
ガルムは、長く息を吐いた。
「……通すわけにはいかん。命令だからな」
「わかりました」
俺は両手を上げた。
「では、別の提案です。ここで本格的に戦うと、お互い疲れるだけです。あなたは命令を果たした形を作り、我々は先へ進む。両方の面子が立つ着地点を探しましょう」
「またその口調だ」
「職業病です」
しばらくの沈黙。
ガルムは、槍の石突で地面を軽く叩いた。
「……一時間、道を塞ぐ。そのあいだに、お前たちが迂回できるかどうかは知らん」
「それで報告書は通りますか」
「『激しい抵抗に遭い、一時的に足止めした』と書く。嘘ではない」
「合理的ですね」
「合理性で飯は食えん」
「食えます。少なくとも、無駄な怪我は減ります」
ガルムは、俺をじっと見た。
そして、ほんの少しだけ口の端を緩めた。
「……変なドワーフだ」
「よく言われます」
「その髭、魔王様が見たら…どう思うか、楽しみだ」
「褒め言葉として最悪です」
「褒めてはおらん」
そう言って、ガルムは道の真ん中に槍を立て、どかりと座り込んだ。
「一時間だ。それ以上は知らん」
アリシアが、俺の耳元で囁いた。
「……これでいいんですか?」
「いいんです。戦って勝つより、相手が引ける理由を作るほうが早い場合もあります」
エルヴィラが、短く頷く。
「合理的判断です」
セリアは、すでに荷袋から干し肉を出していた。
「じゃあ、一時間休憩でいいですかね。私、足が痛いんで」
「一時間の間に迂回して進むんですよ!毛布にくるまってただけなのに」
「心が疲れてるんですよ」
俺は、ガルムに背を向けながら、小さく息を吐いた。
笑えない話が、また一つ増えた。
顎に触れる。
髭は、まだある。
「……本当に、最悪だ」
誰に言うでもなく、俺は呟いた。




