第十八話 立派な髭は、通行証になる
翌日の昼すぎ、俺たちは関所町に着いた。
町というより、砦に市場と倉庫を無理やり縫いつけたような場所だった。高い柵、見張り台、石壁。門前には荷車が何列も詰まり、馬はいらだって地面を掻き、怒鳴り声があちこちでぶつかっている。干し肉と汗と鉄の匂いが混ざって、空気までせわしなかった。
魔王城へ向かう街道の手前。
ここが前線への最後の補給拠点らしい。
「すごい人ですね……」
アリシアが門前の列を見て目を丸くする。
「人だけじゃありません」
俺は荷車の並びをざっと見た。
「荷も、順番も、たぶん責任も詰まってます」
並んでいるのは旅人ばかりじゃない。小麦袋を積んだ荷車、薬草の樽、矢束、鍛冶道具、毛布、酒樽。前線へ今夜送るべきものと、明日でもいいものと、誰かがついでに積んだ雑多な荷が、見事に一塊になって止まっている。
しかも、柵の内側では人間の兵士が帳面を抱えて怒鳴り、外側ではドワーフの荷役たちが荷台を庇って怒鳴り返していた。
検める側と、触らせたくない側。
補給の現場で一番噛み合わない組み合わせである。
詰んでる。
景色だけでわかる。
これは「通してください」で済む現場ではない。
案の定、門番に槍を突きつけられた。
「ここから先は許可制だ。勇者だろうが何だろうが、勝手には通せん」
疲れた顔の兵士が言う。
「前線の補給が詰まってる。人も物も、これ以上増やせない」
「ですが、私たちは――」
アリシアが一歩出て、そこで止まった。
少しだけ、俺を見る。
前ならそのまま押し切っていたはずだ。
でも今は、ちゃんと止まる。
「……どうしますか、タカハシさん」
小さくそう聞いてきた。
俺は短く息を吐いた。
「まず、何が詰まってるのか聞きます」
門番に向き直る。
「通行の問題じゃなくて、補給の順番が破綻してるんですね?」
「……だったら何だ」
「こちらを通せと言う前に、その詰まりを減らせるなら話は早いでしょう」
門番は露骨に眉をひそめた。
だが追い返しもしない。完全に話を切る余裕もない顔だ。
「今、誰が揉めてるんです?」
「中の補給官と、外のドワーフの荷役頭だ。積荷の検めで止まってる」
「理由は」
「『壊れるから勝手に触るな』『中身を見せない荷は通せない』。いつものやつだ」
「なるほど」
職人と役人の最悪の噛み合わせだった。
◇◇◇
門の脇では、ちょうどその「いつものやつ」が佳境に入っていた。
「だから言ってるだろうが! この箱は角度を変えたら中の瓶が割れる!」
外側で怒鳴っているのは、赤茶色の髭を三つ編みにしたドワーフだ。腕も胸板も分厚い。見るからに荷役頭である。
「中身を確認せずに前線へ回せるか!」
対する人間側は、帳面を抱えた痩せた男。補給官だろう。目の下に隈ができていて、三日ぐらい寝ていない顔だった。
「お互い、少し落ち着いてください」
と俺が言うと、二人とも同時にこちらを見た。
まず、ドワーフの荷役頭の視線が俺の顎で止まる。
「……お前」
値踏みするような目だった。
「ドワーフか」
「見ればわかるでしょう」
「若いのに、妙に手入れの行き届いた髭だな」
「今そこを評価されるの、だいぶ複雑なんですが」
荷役頭は鼻を鳴らした。
「その髭で口を挟むなら、少なくとも耳は貸してやる」
最悪だ。
顔面のモジャモジャが名刺代わりになっている。
補給官の方も、俺を見て目を細めた。
「……ドワーフのくせに、話が早そうな顔をしてるな」
「褒めてるのか貶してるのか、微妙ですね、それ」
「どっちでもいい。解決できるならしろ」
現場、逼迫しすぎである。
俺は二人のあいだに立って、荷を見た。細長い木箱が六つ、布巻きの包みが四つ、薬草樽が二つ。その横には毛布と干し肉の荷車。壊れ物、緊急物資、雑貨が一列に並んで止まっている。
「質問します。前線に最優先で送りたいのは?」
補給官へ。
「薬、矢、乾燥食、包帯」
「後回しでもいいのは?」
「酒と余剰の鍋釜」
今度は荷役頭へ。
「この箱は?」
「蒸留した消毒液だ。雑に持つと割れる」
「樽は?」
「防腐用の薬草油」
「布包みは?」
「前線の鍛冶班向けの替え金具だ」
よし。見えた。
「要するに、検めの問題じゃない。順番の問題です」
「順番?」
補給官が眉をひそめる。
「全部を同じように検めようとするから詰まるんです。今夜必要なもの、明日でもいいもの、壊れやすいから確認方法を変えるもの。そこを切り分ければいい」
「そんなことはわかってる! だが人手が……」
「「足りない」」
補給官と荷役頭の声が、きれいに揃った。
そこだ。
「じゃあ、こちらを使ってください」
俺は背後を親指で示した。
アリシアがぱち、と瞬きをする。
エルヴィラは無言でこちらを見る。
セリアは毛布を抱えたまま、「え、私もですか」という顔をした。
「勇者一行です」
俺は営業スマイルを貼った。
「前線へ行く戦力である前に、今この場では即戦力の人手です。あなたたちの詰まりを今夜のうちに減らす。その代わり、夜明けに通行許可と最低限の補給をください」
「……交換条件か」
補給官が俺を見る。
「相手の困りごとを片づけてから、自分の条件を出す。基本です」
「商人みたいなことを言う」
「営業です」
「何だそれは」
「説明すると長いので、便利な人種だと思ってください」
荷役頭が、ぶっと鼻で笑った。
「面白い小僧だな」
「小僧呼ばわりされる筋合いはないんですが」
「だが嫌いじゃねえ。職人の顔で、商人の舌を持ってやがる」
「不本意です」
補給官は帳面を見て、俺を見て、それから門前の混雑を振り返った。
「……一晩で捌けるか?」
「捌き方次第です」
「何をする」
「まず積荷を三列に分けます。壊れ物、緊急物資、保留物資。壊れ物は持ち上げ方を荷役頭の指示に従う。緊急物資は検めの項目を絞る。保留物資は明朝に回す」
「検めを絞るだと?」
「全部を完璧に見る余裕がないなら、今見るべきものだけ見るんです。前線で人が死ぬより、帳面の空欄のほうが軽いでしょう」
補給官は数秒黙ったあと、舌打ちした。
「……やれ」
「ありがとうございます」
「まだ通すとは言ってない」
「そこは仕事で勝ち取ります」
◇◇◇
そこからは、久々に俺の得意分野だった。
「アリシアさん、荷車の列を二本に分けてください。通路を空けます」
「はい! 基準は?」
「こっちが緊急、こっちが保留。迷ったら聞いて」
「はい!」
前みたいに「私が全部運びます!」で抱え込まない。 確認して、聞いて、動く。 この変化は素直にありがたかった。
「エルヴィラさん、この場で薬草と油の魔力反応だけ見られますか」
「可能です。偽装品の排除ですね」
「そうです。全部開ける時間がない」
「合理的です」
エルヴィラは杖をかざし、樽や箱に淡い光を走らせる。補給官が横で目を見開いた。
そうだろう。便利だろう。
だがこの人は、便利さを神話にしないで実務に下ろしてくれる。そこがありがたい。
「セリアさん」
「やっぱり私もですか」
「荷運び人で足を痛めてる人と、疲れて動けてない人を見てください。列が止まる原因なので」
「ひどい依頼だなあ……」
「あなたなら早い」
「そう言われると断りづらいんですよねぇ」
言いながらも、セリアは毛布を脱いで立ち上がった。 やればできる。知ってた。
俺は補給官と荷役頭のあいだを行き来しながら、声を張る。
「消毒液の箱は斜めにしない! 持ち上げるときは前後二人!」
「鍋釜は明朝便でいいです! 今夜は火の種より包帯を先に!」
「帳面、ここ空いてますけど誰がつけてます?」
「俺だ!」
「じゃあ補助を一人ください! 口頭だけだと絶対飛びます!」
次第に、詰まっていた列が動き始めた。
人間側の兵士が箱を運び、ドワーフ側が持ち方を怒鳴り、アリシアが荷車を押し、セリアがへたり込んだ御者に回復をかけ、エルヴィラが「この樽は本物」「こちらは水増し」と仕分ける。
混乱が、少しずつ作業になっていく。
これだ。
俺が知っている、「回る現場」の空気だ。
◇◇◇
二刻ほど経ったころには、門前の景色が見違えていた。
最優先の物資は門をくぐり、壊れ物は別導線に回り、後回しの荷は端へ寄せられている。怒鳴り声はまだ飛んでいるが、さっきまでの「何に怒ってるのか自分でもわからない」種類の怒鳴りではなくなった。
補給官が帳面を閉じる。
「……通ったな」
「通しました」
「お前が?」
「みんなで、です」
そう言うと、彼はちらりとアリシアたちを見た。
アリシアは荷車を押した拍子に頬を煤で汚し、セリアは「あと二人までですからね」と回復の打ち止めを宣言し、エルヴィラは樽に向かって真顔で「これは薄い」と告げている。
確かに、みんなでやった。
荷役頭が腕を組んで、俺の前に立つ。
「見事だな」
「どうも」
「ドワーフのくせに、やたら話が早い」
「さっきからその枕詞、必要ですか?」
「必要だ。こっちも人間も、ドワーフは黙って物を作るもんだと思ってる」
「まあ、思ってるでしょうね」
「だが、お前はその顔でそれをやる」
「その顔、って言わないでもらえます?」
「立派な髭で、相手の言い分も立てながら、自分の話も通す。厄介だな」
「褒められてる気がしない」
「褒めてるんだよ」
最悪である。
補給官も苦い顔で頷いた。
「たしかに、最初は『また気難しいドワーフが来た』と思った」
「失礼ですね」
「だが話してみたら違った。いや、違わないのか。職人気質のまま、話も通せるってだけか」
「それ、だいぶ面倒な評価ですよ」
「役に立つ評価だ」
そこは否定できない。
門番が戻ってきて、木札を四枚と、麻袋を差し出した。
「夜明けの通行許可だ。前線用の簡易配給もつける」
「ありがとうございます」
「礼を言う相手は補給官だ」
「では、そちらにも」
「いらん。二度と詰まらせるな、と言いたいところだが、たぶんまた詰まる」
「でしょうね」
「そのとき、お前みたいなのがもう一人いると助かる」
「勘弁してください」
◇◇◇
その夜、関所町の片隅に空いた部屋を借りられた。
毛布のある寝台に腰を下ろすと、さすがに体が重い。
でも嫌な疲れじゃなかった。久々に、自分の得意分野で消耗した疲れだ。
部屋に入ってきたアリシアが、少しだけ遠慮がちに言う。
「……タカハシさん」
「はい」
「今日は、本当に助かりました」
そこで終わった。
前みたいに「その髭が」とか、「剣聖様だから」とか、そういう余計なものはつかない。
ただ、ちゃんと俺を見て言っている。
「いえ。みんな動いてくれたので」
「でも、最初に回し始めたのはタカハシさんです」
アリシアは少し笑った。
「私、ああいうとき、すぐ前に出ることしか考えてませんでした」
「それも必要です」
「でも、今日は『どうしますか』って聞けてよかったです」
「……そうですね」
それは、俺も思った。
少し遅れて、エルヴィラが木札を机に置いた。
「通行許可です。紛失しないように」
「どうも」
「それと」
彼女は一拍置いた。
「あなたの判断は、合理的でした」
「珍しく、まっすぐ褒めますね」
「事実です」
「……ありがとうございます」
セリアは寝台に大の字になりながら言う。
「いやー、助かった。今日は虫もいないし、寒くもないし、ちゃんとした部屋で寝られるし。全部タカハシくんのおかげでいいんじゃない?」
「ざっくりしすぎでは」
「細かく言うと長いんで」
「そこ雑に省略しないでくださいよ」
でも、その言葉にも今日は妙な軽さがなかった。
あの夜のあとで、みんなが少し言葉を選んでいる。
その少しが、ありがたかった。
◇◇◇
夜が更けて、部屋が静かになる。
俺は一人、窓際で革箱を開けた。
浄鉄のカミソリは、相変わらずきれいだった。
指先で顎をなぞる。
今日一日動き回ったせいで、髭の流れは少し乱れている。整えたい。いや、違う。整えるじゃない。剃りたい。
そう思ったところで、ふと昼間の門前を思い出した。
荷役頭の視線。
補給官の反応。
あの場で相手が耳を貸した理由は、俺の話し方だけだっただろうか。
たぶん、違う。
落ち着いた声。
段取り。
現場の見方。
それに加えて……この髭。
手入れされ、整えられたドワーフの髭は、この世界では信用そのものだ。
俺が嫌がろうが何だろうが、相手はそこも見ている。
「……最悪だ」
小さく呟く。
役に立つから剃れない。
防寒だから剃れない。
防虫だから剃れない。
抱き枕だから剃れない。
そこへ今日、新しい理由が加わった。
この顔のほうが、話が通る。
営業マンとして、こんなに腹立たしい理屈もない。
剃りたい。
剃りたいはずだ。
それは本当だ。
でも、明日また誰かと話を通す必要が出たとき。
今の俺の顎と、つるつるの顎。
どちらが先に相手の耳を開くかと考えた瞬間、答えが出てしまう。
それが、いちばん腹立たしい。
カミソリを持ったまま、しばらく動けなかった。
結局、その夜も刃は顎に当たらなかった。
剃りたい。
剃りたいはずなのに、明日の交渉を考えた瞬間、やめたほうが得だと思ってしまった。




