第86話:満月の夜、昇る偽りの太陽
満月が、中天に懸かりました。
メルディア大聖堂の大広場は、見渡す限りの人、人、人。掲げられた無数の松明が、夜を昼のように照らし、万を超える民が、ただ一人の登場を、今か今かと待ち焦がれていました。
やがて、荘厳な聖歌が響き渡り――大聖堂の正面、白亜の壇上に、その人は、姿を現したのです。
「ああ……!」
万民の口から、感嘆の溜息が、漏れました。
黄金の髪が、月光を弾いて輝いている。純白の聖衣をまとい、慈愛に満ちた微笑みを湛えた、息を呑むほど美しい少女。
太陽の聖女、アウレリア。
「迷える、子らよ」
鈴を振るような、澄んだ声でした。
「お顔を、お上げなさい。聖王猊下の御光は、すべての民に、等しく降り注ぎます。さあ――その身の痛みを、私に、お預けなさい」
彼女が、すらりとした両腕を、天へと掲げました。
その瞬間。
壇上から、まばゆい黄金の光が、波紋のように広がっていったのです。光に触れた病人の顔から、苦悶が消える。腰の曲がった老人が、すっと背を伸ばす。広場の敷石の隙間から、季節外れの花々が、いっせいに咲き誇り――月夜に、色とりどりの花吹雪が、舞い踊りました。
「奇跡だ……!」
「太陽の聖女様、万歳! アウレリア様、万歳!」
歓呼が、地を揺るがしました。
眩い、あまりにも眩い光景でした。誰もが涙を流し、ひれ伏し、その偽りの太陽を、本物の救いだと、信じきっていました。
◇◇◇
けれど。
群衆の片隅で、フードを被った私だけは、その光を、まったく違うものとして、見ていました。
懐の、氷の破片が。
灼けるように、冷たく、震えていたのです。
私は、そっと、その破片を握りしめました。すると――
花吹雪の幻想の、その奥から。聞こえてきたのです。
……たすけて。……あつい。……もう、いやだ。
幾人もの、声にならぬ悲鳴が。
遥か海都の、教会の最も深い場所で。今この瞬間も、魔力を搾り取られ、命を燃やされている、生贄たちの。アウレリアが花を咲かせるたびに、その「見えない糸」の彼方で、また一つ、命の灯が、細く、細く、消えていく。
「……ひどい」
声が、震えました。
ここでは、花が咲く。あそこでは、人が死ぬ。その対価の上に、この眩い奇跡は、成り立っている。
壇上のアウレリアを、私は、見つめました。
歓呼を浴び、慈愛の微笑みを絶やさぬ、その美しい横顔。けれど――ふとした拍子に、その瞳が、ぞっとするほど、虚ろに見えたのです。喜びも、誇りもない。ただ、そう振る舞うよう「作られた」人形のような、空虚さ。
ああ、と。私は、悟ってしまいました。
彼女もまた、知らないのかもしれない。自分の奇跡が、何の上に成り立っているのかを。あるいは――そう信じ込まされ、疑うことすら、許されてこなかったのかもしれない。
その瞬間。
私の中で、何かが、決壊しました。
もう、黙って見ては、いられない。
たとえ証拠が、この手になくとも。たとえ、万の歓呼に、かき消されようとも。リーシェ様の隣に、誰もいなかった、あの千年前のように――この光を、誰一人「違う」と言わぬまま、終わらせるわけには、いかないのです。
私は、フードを払いのけ、群衆をかき分け、前へと、進み出ました。
「その奇跡は――偽りです!」
凛とした私の声が、歓呼の津波を裂いて、満月の夜に、響き渡りました。
ついに、偽りの太陽が昇りましたわ……。
アウレリアの公開デビュー。黄金の髪、純白の聖衣、慈愛の微笑み。
病を癒し、月夜に花吹雪を舞わせる、文句なしの「奇跡」。万民は熱狂し、ひれ伏す。
眩い。あまりにも、眩い。
ですが、エルシア様だけが見ていた、その裏側。
氷の破片が伝える、海都の生贄たちの悲鳴。
「ここでは花が咲く。あそこでは人が死ぬ」――この対比、ぞっとしますわね。
そして、アウレリアの「虚ろ」。
喜びも誇りもなく、ただ「そう振る舞うよう作られた人形」のような瞳。
彼女自身、自分の奇跡の対価を、知らない――あるいは、疑うことを許されてこなかった。
単なる悪役ではない、彼女の哀しみ。ここ、大事な布石ですわ。
そして、決壊。
「リーシェの隣に、誰もいなかった、あの繰り返しはさせない」――
証拠がなくとも、万の歓呼にかき消されようとも。
エルシア様は、フードを払い、前へ。「その奇跡は――偽りです!」
二人の聖女が、ついに、相見えます。
もし、この一声に鳥肌が立ったなら、
ぜひ【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】で、エルシア様に勇気を!
次回、第87話「二人の聖女」でお会いしましょう。




