第83話:割れる評定、届かぬ証
満月まで、あと七日。
北の城の評定の間は、かつてない、重い空気に満ちていました。
「……正気の沙汰とは、思えませんな」
口火を切ったのは、東の麦領の老当主でした。
「聖堂都市メルディアと言えば、教会の威光が、最も篤く根を張った街。太陽信仰の、本丸も同然。そこへ、『調和の聖女』が乗り込む? 飛んで火に入る、とは、まさにこのこと。我らを、皆殺しにする気か」
「老当主の仰る通りですわ」
別の当主も、青い顔で続けます。
「万が一、あの場で異端と断じられれば、我ら全員、もろともに焼かれる。……聖女殿。お気持ちは分かる。だが、これは、無謀が過ぎる」
評定の間が、ざわめきに沈みました。
せっかく編み直した「輪」が、満月の影に怯えて、再び、ほつれ始めている。
「皆様の懸念は、もっともです」
私は、静かに告げました。
「メルディアで、アウレリアと相対しても。私は、彼女の奇跡が偽りだと、口で言うことしかできません。その証拠――生贄の祭壇は、遥か海都の、教会の最も深い場所にあるのですから。証なき糾弾は、ただの負け惜しみと、嗤われるだけ」
言いながら、胸が、軋みました。
届かない。手を伸ばしても、証拠には、届かない。眩い偽りを前に、私が掲げられるのは、塩の一粒から真実を掬うような、地道な言葉だけ。それで、万民の熱狂に、抗えるのか。
◇◇◇
その夜。
城を抜け出すように去っていく、いくつかの馬車の音を、私は塔の上から聞いていました。
「……三家、抜けましたわね」
隣に立つロザリア様の声も、珍しく、沈んでいました。
「ガレスの置き土産ですわ。あの男、去り際に、各家へ囁いて回ったそうですの。『北の聖女に従えば、メルディアで共に焼かれる。今ならまだ、引き返せる』と。……兵を出さず、ただ言葉だけで、これだけ人を動かす。恐ろしい男ですわ」
「ロザリア様」
「ええ、分かっておりますわ。残った家は、まだ、たくさんある。……けれど、エルシア様。一つだけ、わたくしにも、答えの出ぬことが」
ロザリア様は、扇子を、ぎゅっと握りしめました。
「メルディアへ行けば、危うい。行かねば、偽りの太陽が、何の妨げもなく昇る。世論は、完全に、アウレリアのものになる。……どちらに転んでも、茨の道。エルシア様は、どうなさるおつもり?」
私は、答えられませんでした。
遥か南、満月へと膨らんでいく月を、ただ、見つめることしか。
行けば、皆を、危険に晒す。
行かねば、千年前の繰り返しを、黙って許すことになる。リーシェ様が葬られた、あの広場の光景が、また、どこかで。
「……カイルム様なら、どうなさいますか」
いつの間にか傍らに来ていた夫へ、私は、思わず、問うていました。
彼は、すぐには答えず、ただ、私の冷えた手を、その大きな手で、包み込みました。
「私が決めることではない。これは、お前の戦だ。……だが、一つだけ言える。お前がどちらを選ぼうと、私は、お前の隣にいる。火の中だろうと、な」
その言葉は、答えではありませんでした。
けれど――凍えた指先から、確かな熱が、ゆっくりと、伝わってきました。
満月まで、あと七日。
私は、まだ、答えを、出せずにいました。
緊迫の終盤戦、開幕ですわ。
満月まで七日。北の評定は、割れに割れます。
「教会の本丸メルディアへ乗り込むなど、飛んで火に入る無謀」――当主たちの恐怖、もっともですわ。
そしてエルシア様自身が抱える、最大のジレンマ。
「相対しても、奇跡が偽りだと"口で言う"ことしかできない。証拠は、遥か海都に」。
眩い偽りには、証なき言葉では抗えない……これは、しんどい。
さらに、去り際のガレスの「置き土産」。
兵ではなく、言葉だけで三家を離反させる。本当に、恐ろしい敵ですわ。
行けば、皆を危険に晒す。行かねば、千年前の繰り返しを許す。
どちらも茨。エルシア様は、まだ答えを出せません。
カイルム閣下の「これはお前の戦だ。だが、どちらを選ぼうと、私は隣にいる」――
答えではない。けれど、凍えた指に伝わる熱が、たまりませんわね。
エルシア様は、この袋小路から、どんな「第三の道」を見出すのか。
もし、続きが気になる!と思ってくださったなら、
ぜひ【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】で、エルシア様に勇気を贈ってあげてくださいな。
次回、第84話「それでも、手を伸ばす」でお会いしましょう。




