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氷の追放令嬢、死神辺境伯の熱に溶かされて幸せになります ~捨てられた聖女の調和魔法で、極北の地を宝石の都へ~  作者: 花菱エマ


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第74話:太陽の使者、司教ガレス

その男は、雪の朝に、馬車から静かに降り立ちました。


 白い法衣に、金の刺繍。胸には「太陽と天秤」の紋章。マルファスと同じ意匠のはずなのに、まとう空気が、まるで違いました。

 歳の頃は五十ほどでしょうか。穏やかに微笑み、腰は低く、誰に対しても丁寧に頭を垂れる。一見すれば、慈悲深い老神父そのもの。


「お初にお目にかかります。中央教会、司教ガレスと申します。此度は、突然の来訪をお許しくださり、感謝の念に堪えません」


 その物腰には、マルファスのような傲慢の棘は、どこにもありませんでした。

 けれど――だからこそ、私の背筋を、得体の知れない寒気が這い上がりました。あの薄笑いの審問官よりも、この穏やかな司教の方が、ずっと、底が見えないのです。


「司教様が、私に、何の御用でしょう」


「ええ。実は、心を痛めておりましてな」


 ガレスは、悲しげに目を伏せました。広間には、会議のために集った各領の当主たちが、固唾を呑んで見守っています。


「近頃、北の地に『調和の聖女』と名乗る女人がおり、各地の神聖な祭壇を、次々と破壊して回っている、と。……民を惑わし、神の秩序を乱す。我ら教会は、それを深く、深く憂えているのです」


「破壊ではありません。解放です」


 私は、静かに、けれどはっきりと告げました。


「あの祭壇は、生きた人を生贄に捧げて、繁栄を買う装置でした。私はただ、囚われた人々を、還しただけです」


「おお、なんと痛ましい誤解か」


 ガレスは、心底嘆かわしいというように、首を振りました。


「聖女様。あなたは、お優しい。だからこそ、欺かれておられる。『太陽の祭壇』は、聖王猊下が、千年の昔より民に賜った、繁栄の源。そこへ我が身を捧げることは、生贄などではなく、最も尊い『奉仕』なのです。……それを『生贄』と呼び、勝手に壊して回る。さて、どちらが、人を惑わす者でしょうか?」


 ざわり、と。

 広間の当主たちが、互いに顔を見合わせました。その瞳に、ほんの小さな、けれど確かな「迷い」が宿るのを、私は見逃しませんでした。


 巧妙でした。

 ガレスは、私を「嘘つき」と罵ったりはしません。ただ、同じ事実に、まるで反対の名前を貼りつけてみせる。「解放」を「破壊」と。「生贄」を「奉仕」と。どちらが正しいのか、その場の誰にも、すぐには分からなくなるように。


「皆様にも、よくお考えいただきたい」


 ガレスは、今度は当主たちへと、慈愛に満ちた声を向けました。


「千年、この大陸を照らしてきた太陽の秩序。それを、たった一人の女人の言葉で、覆してよいものか。……万が一、彼女が『偽りの聖女』であったなら? 皆様は、異端に与した者として、その名を汚すことになりますぞ。なに、脅しではございません。ただ、案じているのです。皆様の、御身を」


 慇懃に、どこまでも穏やかに。

 けれどその言葉は、一つひとつが、集った当主たちの足元に、冷たい楔を打ち込んでいきました。


  ◇◇◇


「……お見事な弁舌ですね、司教様」


 私は、まっすぐにガレスを見据えました。


「ですが、一つだけ。ソルレイで救い出された人々は、今も生きて、家族の元にいます。祭壇に捧げられかけた、その口で、真実を語っています。……名前を貼り替えても、その人たちが流した涙は、消えません」


 ガレスは、しばし、私を見つめました。

 そして――ふっと、微笑んだのです。怒りでも、動揺でもなく。むしろ、憐れむように。


「ああ。あなたは、本当に、信じておられるのですな。ご自分が、正しいと」


 その瞳に、私は、ぞっとしました。

 そこには、欺こうとする者の濁りが、ありませんでした。あったのは、もっと恐ろしいもの。――この男は、自分こそが正義だと、骨の髄から、信じきっている。論破されても、揺らがない。なぜなら、彼にとって私の言葉は、はじめから「異端の戯言」でしかないのですから。


「私は、聖王猊下の御心のままに、ただ、迷える子羊を導くのみ。……どうか、皆様。賢明なご判断を」


 深々と一礼し、ガレスは広間を辞していきました。

 その背中が消えた後も、当主たちの間には、重い、重い沈黙が残りました。


「エルシア様」


 いつの間にか、ロザリア様が、私の隣に立っていました。珍しく、その扇子は、ぴたりと閉じられたままです。


「……何人かのご当主が、夜のうちに、城を発つ算段をしておりますわ。『様子を見たい』と。あの司教、ただの坊主ではございませんわね」


 希望に満ちていたはずの北の城に、目に見えぬ亀裂が、静かに走り始めていました。


さあ、登場いたしました。第二章の顔――司教ガレスですわ。


力押しのマルファスとは、まるで違うタイプの敵。

怒鳴らない、脅さない、終始穏やか。なのに、誰よりも不気味。


彼の恐ろしさは、「嘘」をつかないことですわ。

同じ事実に、反対の名前を貼り替える。「解放」を「破壊」と、「生贄」を「奉仕」と。

そして何より――彼は、自分が正しいと、心の底から信じきっている「確信犯」。

だから、エルシア様が事実で迫っても、揺らがない。憐れむように微笑むだけ。

このタイプ、いちばん厄介ですわよね……。


エルシア様も、ソルレイの人々の「生きた証言」で真っ向から応じましたが、

ガレスの撒いた疑念の種は、集った領主たちの心に、確かに根を下ろし始めました。

ロザリア様が掴んだ、不穏な離反の動き……。


世論を巡る戦い、ここからが本番ですわ。


もし、この慇懃なる敵に「ゾクッとした!」と思ってくださったなら、

ぜひ【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】の評価で、エルシア様に力を貸してあげてくださいな。


次回、第75話「広がる囁きと、聖都からの便り」でお会いしましょう。


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