第68話:人質の祭壇
早馬が運んできたのは、信じがたい報せでした。
「あの審問官マルファスが……ソルレイから救い出された領民の方々を、教会の兵で、捕らえていったと……!」
血相を変えた伝令の言葉に、私は、思わず立ち上がりました。
ソルレイの領民。
私とシエルが、あの祭壇から救い出した人々。ようやく家族の元へ還り、本物の春を取り戻したばかりの、あの人たちが。
「……どういう、ことですか」
「マルファスは、こう言ったそうです。『異端の聖女に救われ、神聖な祭壇の解放に与した者は、すべて異端の共犯者である』と……! そして、領境の、古い森の祠へ……」
「カイルム様、シエル。――行きますわ。今すぐに」
私たちは、最速で領境へと馬を走らせました。
胸の中に、嫌な予感が、黒く渦巻いていました。あの男は、力で勝てないと知っている。だからこそ、私が決して見捨てられないものを、人質に取ったのです。
◇◇◇
森の奥、苔むした古い祠。
そこに辿り着いた私たちが見たのは、目を疑うような光景でした。
祠の中央に、黄金に輝く、小さな祭壇。
――復活していたのです。ソルレイのものより、ずっと小さく、急ごしらえの。けれど、紛れもない、あの「太陽の祭壇」が。
そして、その祭壇を取り囲むように、縄で繋がれた十数人の領民たち。その中には、ソルレイで救い出した、あの老婆と、幼い少女の姿もありました。
「ようこそ、いらっしゃいました。調和の聖女様」
祭壇の前に、太陽の杖を掲げたマルファスが、薄い笑みで立っていました。
その足元には、すでに、祭壇へ魔力を注ぐための、不吉な術式が、描かれています。
「マルファス……っ。あなた、何ということを……!」
「何、と仰る? 私はただ、異端に与した罪人を、神の御前で裁こうとしているだけですよ」
マルファスは、太陽の杖を、ゆっくりと掲げました。
祭壇の核が、ぼう、と不気味に脈打ちます。縄で繋がれた領民たちが、恐怖に身を震わせました。
「さあ、聖女様。選んでいただきましょう。……この祭壇に手を出せば、私は即座に、術を発動させる。生贄たちは、ソルレイの時よりもずっと早く、魔力を搾り取られて、命を落とすでしょうな」
「……っ」
「かといって、手を出さねば、彼らは『罪人』として、聖都へ連行され、正式に処刑される。どちらにせよ、あなたは、自分が救ったはずの者を、見殺しにするのです。……ふふ。聖女様の、お優しい御心が、いっそ憐れですな」
卑劣。
あまりにも、卑劣な手でした。
私が、決して人を見捨てられないと知っている。その優しさそのものを、刃にして、突きつけてくる。
「貴様……」
カイルム様の漆黒の魔気が、噴き上がりました。けれど、マルファスは、杖を祭壇に向けたまま、せせら笑います。
「動かれますな、閣下。あなたの氷が私に届くより早く、術は発動いたします。……武力では、私を止められない。それが、教会というものですよ」
カイルム様の足が、止まりました。
その横顔には、静かな、けれど、底知れぬ怒りが滲んでいます。これほど怒っているのに、手を出せない。その葛藤が、痛いほど伝わってきました。
「おねえさま……あの子が……っ」
シエルが、震える声で、私の袖を握りました。
縄に繋がれた幼い少女が、涙を浮かべて、こちらを見ています。ソルレイで、私が「もう怖がらなくていい」と、約束した、あの子でした。
――約束したのです。
もう二度と、誰一人、あの祭壇には捧げさせない、と。
その時でした。
「……おねえさま。わたしに、やらせてください」
シエルが、一歩、前へ出たのです。
「シエル……?」
「あの子を、わたしが守ります。……だって、わたしも、おなじだったから」
その瞳には、もう、迷いはありませんでした。
砂漠の地下牢で「氷の電池」にされ、ただ怯えるばかりだった少女は、もう、どこにもいません。
そこに立っていたのは、自分の意志で、誰かを守ろうとする、一人の氷使いでした。
「――純氷よ」
シエルが、両手を、繋がれた領民たちへと、かざしました。
その白銀の指先から、清らかな氷が、ふわりと溢れ出します。それは、攻撃の氷ではありませんでした。一人ひとりを、優しく包み込む、透き通った氷の繭。
「なっ……何を……っ」
マルファスが、慌てて術を発動させました。祭壇の核から、生贄の魔力を奪う、不吉な光が放たれます。
けれど――その光は、シエルの純氷の繭に阻まれ、領民たちには、届きませんでした。
「わたしの純氷は……奪われた魔力を、還す氷。……だから、奪う術なんかには、絶対に、負けません!」
シエルの繭が、祭壇の搾取の理を、まるごと弾き返しているのです。
それは、ソルレイの祭壇を解放した、あの時の力。救われた側だった妹が、今度は、たった一人で、十数人の命を守りきっていました。
「……シエル」
私は、胸が、熱くなりました。
あの子は、本当に、強くなった。私やカイルム様が守る存在から、自らの足で立ち、誰かを守る存在へ。
「マルファス」
私は、まっすぐに、審問官を見据えました。
もう、人質という枷は、外れたのです。
「あなたの卑劣な手は、もう、通じません。……シエルが、守ってくれましたから」
「ば、馬鹿な……っ。子供の氷が、教会の術を……!」
マルファスの顔が、屈辱と焦りに、歪みました。
彼は、じりじりと後退りしながら、それでも、太陽の杖を、ぐっと握りしめます。
「……いいでしょう。ならば、これを使うまでです。あなた方が、決して跪かずにはいられぬ、教会の――『神罰の光』を」
その瞬間。
太陽の杖の先端に、これまでとは比べ物にならない、灼熱の光が、渦を巻き始めたのです。
空気が、ぴりぴりと焦げ、森の木々が、悲鳴のようにざわめきました。
「……っ、これは」
カイルム様の顔色が、初めて、変わりました。
「下がれ、エルシア、シエル……っ。あれは、人を焼く光ではない。……魂を、焼く光だ」
千年前、あの聖女を、太陽の焔へと葬った光。
教会が、千年、隠し持ってきた、最後の切り札が――今、私たちの前で、目を覚まそうとしていました。
卑劣な審問官マルファス、ついに最低最悪の手に出ましたわ。
救い出したばかりの領民を「異端の共犯者」として捕らえ、復活させた祭壇で脅す。
「手を出せば生贄が死ぬ、出さねば処刑する」――聖女の優しさそのものを刃にする、外道の所業。
カイルム閣下が、これほど怒っても手を出せない悔しさ……読者の皆様も、歯噛みされたのでは。
ですが! ここで立ち上がったのが、我らがシエル!
「わたしに、やらせてください」――救われた側だった少女が、たった一人で十数人を守りきる大見せ場。
「奪われた魔力を還す純氷は、奪う術になんか絶対に負けない」……成長の結実、しかと描きましたわ。
シエル推しの皆様、お待たせいたしました。
そして、追い詰められたマルファスが切ったのは、教会千年の禁術「神罰の光」。
かつて、千年前の調和の聖女を葬った、まさにあの光――。
カイルム閣下が「魂を焼く光だ」と顔色を変える、その正体とは。
第二部・第一章、いよいよクライマックスへ。
もし、シエルの勇姿に「最高!」と思ってくださったなら、
ぜひ【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】の評価で、成長した妹に喝采を贈ってあげてくださいな。
次回、第69話「氷狼と純氷、姉妹の咆哮。神罰の光を断つ三つの絆」でお会いしましょう。




