第67話:太陽の審問官
翌朝、その男は、堂々と城の謁見の間へ通されてきました。
白に金糸の刺繍を施した、教会の正装。胸には「太陽と天秤」の紋章。その手には、太陽を象った杖。
そして、その顔を見た瞬間、私の背筋を、冷たいものが走り抜けました。
神経質そうに痩せた頬。何もかもを見下すような、薄い笑みを浮かべた瞳。――忘れもしません。かつて私を「不浄の娘」と断じ、審問の炎にかけようとした、あの異端審問官。砂漠で杖を砕かれ、北の地から這う這うの体で逃げ帰ったはずの男が、新たな杖を手に、再び私の前に立っているのです。
「お久しゅうございますな。エルシア・ド・ノースウォール……いいえ、今は『調和の聖女』と、名乗っておられるか」
異端審問官、マルファス。
その物腰は、かつて私を魔女と罵った時の、あの高圧さとは、どこか違っていました。慇懃に頭を垂れながら、隠しきれない傲慢だけが、昔のまま滲んでいます。力で私に敗れたあの男が、今は、教会という組織の影に、その身を潜ませているのでした。
「あなたに、教会より、正式な通告がございます」
「通告?」
私は、玉座の隣に立ったまま、静かに問い返しました。
「左様。先日、あなたはソルレイ子爵領において、神聖なる『太陽の祭壇』を、独断で破壊なさいましたな」
「破壊ではありません。解放です。あの祭壇は、領民を生贄にして、繁栄を――」
「お黙りなさい」
マルファスが、ぴしゃりと遮りました。その瞳に、ぞっとするような冷たさが宿ります。
「『太陽の祭壇』は、聖王猊下より各地に賜りし、神聖なる恵みの源。それを穢し、神の摂理に背いた。……これは、神への、明確な冒涜です」
「冒涜……」
「ええ。よって、教会は、あなたを――『調和の聖女』を僭称する異端者として、異端審問にかけることを、ここに通告いたします」
謁見の間が、しんと、凍りつきました。
異端。
その言葉は、千年前に、もう一人の聖女を、太陽の焔へと葬った言葉。
あの幻で見た光景が、私の脳裏に、ありありと蘇りました。
「……つまり、貴様らは」
低い声が、響きました。
玉座から、カイルム様が、ゆっくりと立ち上がります。漆黒のマントを翻したその姿は、まさに、死神そのものでした。
「人を生贄にする祭壇を守り、それを止めた者を『異端』と呼ぶ。……それが、貴様らの言う『神の摂理』か」
「で、死神辺境伯閣下。これは、教会の聖務でございます。武門のあなた様が、口を挟まれることでは――」
「口を挟む?」
カイルム様が、一歩、前へ出ました。
ただそれだけで、謁見の間の温度が、奈落の底まで落ちます。マルファスの足元に、薄く霜が這い上がりました。
「ここは、ノースウォールだ。私の領で、私の妻を『異端』と呼んだ。……その舌、二度と動かぬよう凍らせてやろうか」
「ひっ……」
マルファスの顔から、血の気が引きました。
けれど――この男は、それでも、引かなかったのです。震える足を踏みしめ、太陽の杖を、まるで盾のように、ぐっと前へ突き出しました。
「……お、脅しは、無駄でございます。閣下。これは、私一人の言葉ではない」
「何だと」
「これは――枢機卿、ヴァレリウス猊下の、ご意向。……ひいては、聖王猊下の、総意でございます」
ヴァレリウス。
ソルレイの祭壇を解いた夜、報告書を握りつぶしていた、あの枢機卿の名でしょう。
その名を口にした途端、マルファスの瞳に、再び、ねじ曲がった自信が戻りました。
「私を凍らせたところで、第二、第三の審問官が参ります。教会は、組織です。あなた方が相手にしているのは、もはや一人の領主でも、一つの祭壇でもない。……千年、この大陸を統べてきた、神の御業そのものなのですよ」
その言葉に、私は、ぞくりとしました。
ドレイク子爵は、教会の威を笠に着る、ただの小物でした。けれど、この男は違う。組織という、顔のない巨大なものを、背負っている。
ついに、教会が、一個人としてではなく、「組織」として、私に牙を剥き始めたのです。
「……マルファス。また、あなたなのですね」
私は、カイルム様の前に、そっと進み出ました。
怯えてなど、いられません。あの千年前の聖女は、たった一人で、立っていたのですから。
「あなたは、見たことがありますか。祭壇に囚われた人々の顔を。魔力を搾り取られ、涙の痕だけを残して、意識を失った人々の顔を」
「……それが、神への奉納というものです」
「奉納ですって」
私は、まっすぐに、マルファスの瞳を見据えました。
「人を道具にして、繁栄を買う。それを『神の御業』と呼んで、疑問を持つ者を『異端』と焼く。……ならば、私は、喜んで異端になりますわ。そんな神に従う『正統』であるくらいなら」
謁見の間に、私の声が、凛と響きました。
その瞬間、窓硝子に、一面の霜の花が、咲き誇ったのです。
マルファスは、ぐっと唇を噛みました。けれど、彼の薄い笑みは、消えませんでした。
「……結構。では、あなたは、自ら『異端』であると認められた。……後悔なさいませんよう」
男は、深々と一礼して、謁見の間を去っていきました。
その背中に、私は、言いようのない、嫌な予感を覚えました。
◇◇◇
その夜。
私は、なかなか寝つけずにいました。隣で、カイルム様が、静かに私の髪を撫でてくれています。
「……気に病むな。奴は、所詮、組織の使い走りだ」
「ええ。……でも、カイルム様。あの男は、なぜ、あんなにも自信に満ちていたのでしょう」
私は、暗い天井を見つめながら、呟きました。
「私たちが祭壇を解けることを、教会は、もう知っているはずです。なのに、たった一人で、武力も使わずに、ただ『通告』だけをして帰った。……まるで、力で勝てないことを、最初から、わかっているみたいに」
カイルム様の手が、ふと、止まりました。
「……正面から勝てぬなら、別の手を使う、か」
「ええ。……あの男は、きっと、私たちの一番、弱いところを突いてくる。私が、剣で人を斬れない聖女だと、知っているから」
胸の奥に、冷たい予感が、わだかまっていました。
あの薄い笑み。引き際の、妙な余裕。あれは、すでに、次の手を用意している者の顔でした。
そして、その予感は、翌朝、最悪の形で、的中することになるのです。
領境の村から、悲鳴のような早馬が、ノースウォールへと駆け込んできた時に。
ついに、中央教会が「組織」として動き出しましたわ。
そして現れたのは、まさかの因縁の相手――異端審問官マルファス。
かつてエルシア様を「不浄の娘」と断じて審問にかけようとし、砂漠で、北で、二度も退けられた、あの男ですわ。
力で敗れた彼が、今度は聖王猊下の尖兵として、組織の威光を笠に戻ってきた。ソルレイの子爵のような小物とは、また違う不気味さですわね。
カイルム閣下が「舌を凍らせる」と凄んでも、引かない。
なぜなら、彼の背後には「枢機卿ヴァレリウス猊下」、ひいては「聖王猊下」がいるから。
「教会は組織です」――この一言が、これまでとは敵の質が変わったことを示しています。
それでも怯まず、「ならば喜んで異端になりますわ」と言い放つエルシア様。
千年前の聖女が、たった一人で立っていたことを思えば……彼女の覚悟、痺れますわね。
ですが、エルシア様自身が見抜いた通り、
マルファスの妙な余裕は、「正面から勝てぬなら別の手を使う」という、卑劣な企みの裏返し。
聖女が、剣で人を斬れないことを、あの男は知っているのです。
その弱点を、マルファスはどう突いてくるのか。
領境から駆け込んできた、悲鳴のような早馬の正体とは――。
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次回、第68話「人質の祭壇」でお会いしましょう。




