第56話:精神世界への口づけ。燃え盛る過去へ、私が迎えに行きます
視界のすべてが、赤と黒の濁流に飲み込まれていました。
熱い。肺の奥まで焼けるような感覚。
けれど、私は足を止めませんでした。カイルム様の心臓の鼓動が、この業火の奥から「助けて」と泣き叫んでいるのが分かっていたからです。
私の周囲を漂う白銀の氷華が、熱風に触れる端から蒸発して消えていきます。それでも私は魔力を練り続けました。誰かに必要とされることを恐れ、透明になろうとしていた私に、実体を与えてくれたのは彼だったから。
火の粉が舞う荒野の真ん中に、その子は座り込んでいました。
膝を抱え、震える背中。
まだ幼いカイルム様でした。
彼の周囲だけ、地面が真っ黒に焦げ付き、触れるものすべてを焼き尽くす禍々しい黒炎が渦巻いています。
「……来ないで。こっちに来たら、お前も焼け死ぬぞ」
顔を上げた幼いカイルム様の瞳には、絶望と、そして深い自責の色が宿っていました。
王都で「不浄」と罵られていた頃の私と同じ……いいえ、それ以上に鋭い孤独。
「お前も、俺を『死神』って呼ぶんだろ? 俺が触れた花は枯れて、俺が触れた鳥は灰になった。俺は、生きていちゃいけない怪物なんだ……っ!」
「……いいえ。違いますわ、カイルム様」
私は、足元を焼く熱をものともせず、彼に向かって一歩を踏み出しました。
ドレスの裾が焦げ、肌を刺すような痛みが走ります。けれど、そんな痛みよりも、彼の泣き顔を見ている方が、何万倍も私の心を痛めつけました。
「カイルム様。その火は、貴方の心が優しいから溢れてしまうだけなのです」
「嘘だ! こんなの、呪いだ!」
「呪いではありません。……私にとっては、冷え切っていた私の魂を温めてくれた、世界で一番優しい光なのですわ」
私は、彼の目の前に膝をつき、怯えるその小さな頬を、私の冷たい掌で包み込みました。
「あっ……!」
カイルム様の小さな身体がびくりと震えました。
私の指先が触れた瞬間、彼の周囲で暴れ狂っていた黒炎が、驚いたように揺らめき、そして静かに凪いでいきました。
「……つめたくて……きもちいい……」
「ええ。私は調和の聖女ですもの。貴方の熱を、半分だけ私に預けてくださる?」
私は、彼を壊れ物を扱うような慈しみを持って抱きしめました。
幼いカイルム様の細い腕が、私の背中に回されました。
最初は震えていたその手が、次第に力を帯び、私の服をギュッと掴みます。
「……いいの? 本当に……俺の側にいても、いいの?」
「当たり前ですわ。貴方の側にいるために、私は来たのです。……約束します。貴方はもう一人ではありません。私が一生、貴方の側にいて、その熱を愛して差し上げます」
私は彼の額に、そっと口づけを落としました。
その瞬間、真っ赤だった世界が、眩い白銀の光に包み込まれました。
業火は、いつしか春の陽だまりのような柔らかな光へと変わり、カイルム様の小さな姿が、私の愛する「現在の閣下」の姿へと重なっていきました。
意識が急速に現実へと引き戻されます。
「……ん……っ」
瞼を開けると、そこはノースウォール城の、私たちの寝室でした。
窓の外からは、静かな冬の月光が差し込んでいます。
「……エル……シア……?」
掠れた声に視線を向けると、そこには、汗に濡れた顔で私を見つめるカイルム様がいました。
先ほどまでの暴力的な熱気は消え、彼の瞳には、はっきりとした理性が戻っていました。
「……カイルム様! 気がつかれたのですね!」
「……ああ。……君の、声が聞こえた。……暗闇の中で、君の冷たい指先が、私の魂を掴んで離さなかった……」
カイルム様は、震える手で私の頬を撫で、そのまま私の首の後ろに腕を回して、私を自分の方へと引き寄せました。
「……呪いが、消えたわけではない。だが……今は不思議と、静かだ。君が私の中にいてくれる実感が、これを鎮めてくれている」
彼はそのまま、私の唇を熱く、深く奪いました。
それは先ほどまでのうわ言とは違う、はっきりとした独占欲と、狂おしいほどの愛が籠もった接吻。
「……エルシア、もう離さない。君を私の心臓に繋ぎ止めておきたい。……君なしでは、私はまた、あの燃え盛る荒野に逆戻りだ」
「ええ。離れませんわ。……地獄の底まで、お供します」
私が彼の胸に顔を埋め、安堵の涙を零した、その時でした。
カイルム様を抱きしめていた私の右腕が、不意に、彼の高熱に当てられたかのように熱を帯びたのです。
「……っ!?」
袖を捲り上げた私の腕には、カイルム様の胸にあるものと同じ、赤黒い『血の盟約』の紋章が、薄く、けれど確かな輝きを持って浮かび上がっていました。
「エルシア……まさか、君……私の呪いを、その身に肩代わりしたというのか……!?」
カイルム様の顔が、驚愕と絶望に染まります。
運命は、単なる看病だけでは終わらせてくれないようです。
けれど、腕に刻まれたその熱を見つめながら、私は不思議と、恐怖を感じていませんでした。
彼と同じ呪いを背負うこと。それは、私が彼と「番」として、真に運命を共にするための儀式のようにさえ思えたから――。
「……俺の側にいても、いいの?」
幼いカイルム様のその震える一言に、全なろう読者の皆様が「いいに決まってますわー!」と叫ばれたことでしょう。
未来の妻が、時を越えて過去の孤独を抱きしめに行く……。
不遇だったエルシア様だからこそ、同じ深淵にいたカイルム様を救い出すことができたのです。
これぞまさに、究極の「心の安全基地」の完成ですわね。
目覚めた閣下の、あの切なすぎるほどの執着、そして「心臓に繋ぎ止めておきたい」という激しい告白……!
愛が重すぎて最高ですわ。
けれど、エルシア様の腕に浮かび上がった紋章。
閣下を救った代償は、彼女を「死神の道連れ」にしてしまうことなのでしょうか。
二人の絆は、ここから物理的にも「運命共同体」となって加速して参ります。
もし、精神世界での救済と、閣下の甘すぎる独占欲に「尊い……!」と思ってくださったなら……
ぜひ【ブックマーク】の継続と、下の【☆☆☆☆☆】の評価で、
紋章の熱を愛に変える「祝福の吹雪」を贈ってあげてくださいな。
皆様の評価が、エルシア様の覚悟をさらに強くし、
二人の運命をハッピーエンドへと導く最強の「希望」になりますわ。
次回、第57話「共犯者の証。二人で背負う、死神の宿命」でお会いしましょう。
(※今度は閣下が、エルシア様の腕の紋章に狂おしいほど口づけして回る回になりますわよ!)




